新車の青いプリウスに、健ちゃんと僕は颯爽と乗り込み、いざ、札幌観光へ。プー助はお留守番。
高校生の時に一度、札幌へは来ているのだが・・・残念ながら、一切の記憶は抹消されているようだ。本当に残念な僕の脳だ。
大倉山ジャンプ場を望み、大通り公園からテレビ塔を望み、時計台、赤レンガ庁舎で記念撮影。すすきのの如何わしい喧噪を通り過ぎ、札幌味噌ラーメンに舌鼓。(詳しくは、昨年九月のブログを参照)。
そして、札幌市外が見渡せる羊ヶ丘展望台へと車は走る。クラーク博士の像が建つ場所だ。
ここで僕は、とてつもない衝撃を受けることとなる。
有名な言葉がある。クラーク博士が日本人のために残した偉大なる言葉がある。
"Boys, be ambitious"、青年よ、大志を抱け!・・・あまりにも有名な言葉だ。・・・でしょ?
この言葉がどんな意味を持つのか?クラーク博士は、何を伝えたくてこの言葉を残したのか?
それこそが問題だ。
たぶん、おそらく、一般的には・・・この言葉は、こんな風に理解されているんじゃないか?少なくとも、僕はこんな風な意味だと思っていた。
例えば、小さくまとまろうとするんじゃない、青年よ、生まれたからには大きな夢を描いて、それに向かって邁進するんだ!とか・・・
例えば、大きな成功を手にするには、まず大きな夢を描くことだ。その大志に向かって、進めよ!青年!とか・・・
どうせ見るなら、どでかい夢を見ろ!とか・・・
どちらかと言うと、個人的な「野望」の類を指し示すものだと思っていた。ところがしかし、実際は違う。違うどころか・・・正反対の意味を持つと言っても過言ではない・・・ということが判明したのだ。
以下、クラーク博士像に添えてある、レリーフの全文である。
”青年よ、大志を抱け!!金のためまたは利己的栄達の為にでもなく、ましてや人よんで名誉と称する空しきもののためにでもない。知識に対して、正義に対して、かつ国民の向上のために大志を抱け。人としてまさにかくあらねばならぬ全ての事を達成せんとするために大志を抱け。”
僕はレリーフの言葉を読みながら、健ちゃんにこう言った。
「びっくりしちゃったよ。これ・・・昨日三人で話したこと、そのまんまじゃん」
健ちゃんもこう言っていた。
「へぇ、こういう意味だったんだね。知らなかったなぁ」
「決して自分のためではない、他人や周囲の幸せのために、理想だと思う『人』になりなさい、それこそが『大志』」。
帰り道、僕は健ちゃんにこう言った。
「ねぇ、めぐちゃんに連絡した?した方がいいんじゃない?だって、まだオレがいたらびっくりしちゃうっしょ?連絡したらいいんじゃない?」
健ちゃんはこう言って、連絡してくれなかった。
「たぶん、まだいると思って帰ってくるんじゃない?」
嶋田邸に帰宅し、夕食の準備をしていると、めぐちゃんが帰ってきた。
「おかえりぃ!」と僕が言うと。「あっ、やっぱりいたね」とめぐちゃんがニコッと笑った。
夕食はソイの煮付けとさんま焼き、そしてイクラ丼再び。そして夫婦そろって今夜も酒盛り。
僕は得意気にめぐちゃんに言う。「ねぇねぇ、クラーク博士の言葉、あるでしょ?あれってどういう意味だと思う?」
そして、レリーフに書いてあった言葉を読んであげる。めぐちゃんも「へぇ・・・そうなんだぁ・・・昨日話したことと一緒だね」と驚く。
自分さえ良ければ、他人のことはどうでもいい・・・そんな人が増えているよね。無関心でいることが普通の世の中になっているよね。お金さえあれば幸せになれると信じてる・・・そんな世界になっているよね。いじめや陰口や自殺や・・・そんなものに慣れきった社会って歪んでるよね。
もっと優しい世界にしていかなくちゃ。小さいことから始めていかなきゃ。
人の言葉を、どんな風に捉えて、どんな風に理解しようとも構わないと思う。それは人それぞれ違っていていい。でも、偉人が残してくれた言葉を、正確に伝えないというのは、問題だと思う。異国の人が、せっかく日本人の「幸せ」のために残してくれたのに。。。
どれくらいの人が、クラーク博士の言葉のレリーフの全文を知り、どれくらいの人がその真意を知っているのかは知らないが・・・少なくとも、札幌在住の二人と、埼玉在住の一人は知らなかった。実にもったいないことだ。きっと、この世界には、そんなことが山ほどもあるのだろう。
それを知れた嬉しさがあり、それを知らずに過ごしてきた悔しさがあり、その両方に衝撃を受け・・・結果大切なことを知った・・・札幌・羊ヶ丘での出来事。