はじめまして。しんぐといいます。どうぞよろしく。
北海道音別の山奥にある、廃校を利用したキャンプ場を訪れた時のこと。その場所に移住して20年も経つと言うオーナーが僕にこう言った。
「久しぶりに、旅人らしい旅人に会えた。」
何をもってして旅人らしい旅人なのかは定かではない。僕のどこらへんが旅人らしいのか・・・僕にもよくわからない。僕はただ、大きな荷物を無造作に積んで、旅をしていただけだ。
それにしても、その言葉は、僕の胸にググッと刺さった。
人は時折、他人の言葉で自分の存在を認識するものだ。
そんなわけで、はじめまして。旅人しんぐです。どうぞよろしこ。
中学二年の時に歌を書き始めて、その曲数は数百とも数千とも言われている。まぁ、まぁ、千には至らずとも、それに近い数ではあるのだろう。
旅人になったのが中学三年からだとするならば、それよりも一年長く、音楽家をやっている。
音楽では食えない。でも、音楽無しに、僕の人生は成り立たない。
そんなわけで、音楽家しんぐです。どうぞしくよろ。
音楽で食おうと決意をし、仕事を辞めて毎日歌った。そして、一文無しになる。一文無しになった僕は、外国行きの飛行機に乗っていた。カムチャッカ半島の上空あたりで、神の啓示があった。「言葉で人を救え!詩で食え!」そんな感じだったような、そうじゃなかったような・・・。
帰国した僕は、路上に座って、詩を売り始めた。それから八年、僕は、色々な人と出会い、支えられながら、詩を売って食った。
ある日のこと。冬の一日。それは、僕の誕生日のこと。
いつものように路上に座っていると、一人の女の子が目の前に立っていた。
女の子は僕に小さな花束を差し出し、こう言った。
「あの時、しんぐさんの言葉に救われました。しんぐさんがくれた言葉のお陰で、死なずにすんだんです。新しい人生を歩き始めることが出来ました。ずっとお礼が言いたくて・・・一言お礼が言いたくて・・・。今日、誕生日ですよね。おめでとうございます。ありがとうございました。」
そう言って、女の子は僕の前から去って行った。
僕は、人の命を救ったことがある。僕の言葉で救われた命がある。その事実は、僕の詩人としての、路上詩人としての、誇りである。
僕は神様との約束を果たして、少し胸を撫で下ろした。
そんなわけで、路上詩人のしんぐです。どうぞよろしく。
そして今、僕は世間の荒波に揉まれている。この、普通の世界というものは、僕のような、感受性と屁理屈の塊のような人間には酷すぎるようだ。
立ち向かっては、逃げる準備をし、立ち向かっては、逃げる準備をし・・・の連続だ。
道無き道を進むのも大変だが、道有る道を行く方が気が滅入るのはなぜだろう?
そんなわけで、長くなってしまったのだけれど、結局のところ、ろくでなしのしんぐです。心から・・・心の底から・・・どうぞよろしこ。