腰骨が痛い。腰が痛いのではなくて、腰骨が痛い。これは、由々しき問題ではないのか?もう・・・由々しき問題が多すぎて困る。
今日は志願の残業をした。二時間半。腰骨の痛みを抱えながら二時間半。
なぜならば、欲しいモノがあるからだ。残業代を小遣いにしていいなんて、そんな甘々なルールはないのだが、欲しいモノがあるなら買ってもいいじゃないか。頑張って残業をして買ってもいいじゃないか。と、僕は想う。
何が欲しいのか。欲しいモノとはなんなのか?
それはね、それはね、腰をトントンと叩く機械だよ。だって、腰骨が痛いんだもん。もう、ウゥっとなるくらい痛いんだもん。
腰の痛みを和らげるために、無理して残業をして、さらに腰を悪くするという・・・。シュールだねぇ。
話はガラリと変わって、今日は3.11。世に言うサンテンイチイチ。
あの震災から二年が経った。
倒れて来た本棚の下敷きになったあの日から二年。震災から三週間後の被災地を、生まれて初めて「逃げたしたい」という気持ちを抱えながら周ってから二年。
震災後二ヶ月、僕はただ呆然として過ごした。その後一年七ヶ月、瓦屋の職人として働いた。宮城県石巻へ、復興への微力なる手伝いへ、何度となく出かけた。
この間、13ヶ月後の被災地を見て回りもした。
今も、想像出来る風景が頭の中を過る。あの町々は・・・あの時と何も変わっていないはずだ。きっと、何も始まっていない。
昨日、全国各地、200カ所以上の場所で、デモが行われた。ノーモアフクシマ。原発再稼働反対のデモだ。日比谷近辺には立錐の余地もないほどの人が集まった。
みんなは、その事実をご存知だろうか?
僕が想うに、おそらく、ほとんどの人は知らないのだろうと想う。有ることも知らなければ、有ったことも知らない。違うだろうか?
僕が観ているニュースソースサイトでは、海外で行われた反原発デモのニュースは扱われていたが、日本国内のデモのニュースは皆無だった。僕はテレビを観ないからわからないのだが、テレビのニュースでは、放送されたのだろうか?
まず、間違いなく、放送されてはいないだろう。
この国は、この国の情報は・・・どうかしてる。中立という言葉を盾にし、偏った情報を流す。そして流さない。真実という言葉を盾に、その裏の真実を隠蔽する。
どこへ誘導しようとしているのかは、明らか過ぎるほどに明らかなのだが・・・そこに、普通に生きる人々の幸せは・・・ない。そこに、生きるという原点にあるはずの幸せは・・・あるはずもない。
毎週金曜日に、首相官邸包囲集会が今も行われているのをご存知か?
一時、あまりの盛り上がりを見せ、NHKも民放各社も、扱わざるを得ないニュースソースとなった。
紫陽花革命。人々の声が、この国の空に響き始めた瞬間だった。その声は、この国の空を埋め尽くすほどに広がるはずだった。
そこに、尖閣と竹島という、なぜ今?とも想われる領土問題が突如湧き上がる。ナショナリズムを煽るニュースタイトルがとめどなく世間に溢れ出す。
紫陽花の声は、何か、大きな力に、かき消されてしまった。
この国は、どんな国なのかなぁ?
この国の人々は、どんな人々なのかなぁ?
許されることは許してもいいが、許されないことを許してはダメだ。
この国の人のほとんどが、少々命が危険にさらされたとしても、景気が良くなってお金が儲かればいいんじゃないの?などと思っているのだとするならば・・・。
僕は、とてつもなく恥ずかしい。
福島に友達がたくさんいる。放射能まみれだ。これは本当だ。行政が発表している数値よりも、遥かに高い線量の放射能にさらされている。毎日さらされている。その恐怖と危険度は、花粉や黄砂やPM2.5なんちゃらの比ではない。
それでも、笑って過ごしている。そうするしか、ないからだ。生きるためには、そうするしかないからだ。
この国の行く先は、もう決まっているのだろう。この国の行く先は、もう決まってしまっているのだろう。
それは、方針と結果の、両方の意味でだ。
この国は、大丈夫なのかなぁ?
この国は、大丈夫なのかなぁ?
腰骨の痛みにウゥっと呻きながら、僕は夜勤明けの朝に、そんなことを思っているのである。
今日は志願の残業をした。二時間半。腰骨の痛みを抱えながら二時間半。
なぜならば、欲しいモノがあるからだ。残業代を小遣いにしていいなんて、そんな甘々なルールはないのだが、欲しいモノがあるなら買ってもいいじゃないか。頑張って残業をして買ってもいいじゃないか。と、僕は想う。
何が欲しいのか。欲しいモノとはなんなのか?
それはね、それはね、腰をトントンと叩く機械だよ。だって、腰骨が痛いんだもん。もう、ウゥっとなるくらい痛いんだもん。
腰の痛みを和らげるために、無理して残業をして、さらに腰を悪くするという・・・。シュールだねぇ。
話はガラリと変わって、今日は3.11。世に言うサンテンイチイチ。
あの震災から二年が経った。
倒れて来た本棚の下敷きになったあの日から二年。震災から三週間後の被災地を、生まれて初めて「逃げたしたい」という気持ちを抱えながら周ってから二年。
震災後二ヶ月、僕はただ呆然として過ごした。その後一年七ヶ月、瓦屋の職人として働いた。宮城県石巻へ、復興への微力なる手伝いへ、何度となく出かけた。
この間、13ヶ月後の被災地を見て回りもした。
今も、想像出来る風景が頭の中を過る。あの町々は・・・あの時と何も変わっていないはずだ。きっと、何も始まっていない。
昨日、全国各地、200カ所以上の場所で、デモが行われた。ノーモアフクシマ。原発再稼働反対のデモだ。日比谷近辺には立錐の余地もないほどの人が集まった。
みんなは、その事実をご存知だろうか?
僕が想うに、おそらく、ほとんどの人は知らないのだろうと想う。有ることも知らなければ、有ったことも知らない。違うだろうか?
僕が観ているニュースソースサイトでは、海外で行われた反原発デモのニュースは扱われていたが、日本国内のデモのニュースは皆無だった。僕はテレビを観ないからわからないのだが、テレビのニュースでは、放送されたのだろうか?
まず、間違いなく、放送されてはいないだろう。
この国は、この国の情報は・・・どうかしてる。中立という言葉を盾にし、偏った情報を流す。そして流さない。真実という言葉を盾に、その裏の真実を隠蔽する。
どこへ誘導しようとしているのかは、明らか過ぎるほどに明らかなのだが・・・そこに、普通に生きる人々の幸せは・・・ない。そこに、生きるという原点にあるはずの幸せは・・・あるはずもない。
毎週金曜日に、首相官邸包囲集会が今も行われているのをご存知か?
一時、あまりの盛り上がりを見せ、NHKも民放各社も、扱わざるを得ないニュースソースとなった。
紫陽花革命。人々の声が、この国の空に響き始めた瞬間だった。その声は、この国の空を埋め尽くすほどに広がるはずだった。
そこに、尖閣と竹島という、なぜ今?とも想われる領土問題が突如湧き上がる。ナショナリズムを煽るニュースタイトルがとめどなく世間に溢れ出す。
紫陽花の声は、何か、大きな力に、かき消されてしまった。
この国は、どんな国なのかなぁ?
この国の人々は、どんな人々なのかなぁ?
許されることは許してもいいが、許されないことを許してはダメだ。
この国の人のほとんどが、少々命が危険にさらされたとしても、景気が良くなってお金が儲かればいいんじゃないの?などと思っているのだとするならば・・・。
僕は、とてつもなく恥ずかしい。
福島に友達がたくさんいる。放射能まみれだ。これは本当だ。行政が発表している数値よりも、遥かに高い線量の放射能にさらされている。毎日さらされている。その恐怖と危険度は、花粉や黄砂やPM2.5なんちゃらの比ではない。
それでも、笑って過ごしている。そうするしか、ないからだ。生きるためには、そうするしかないからだ。
この国の行く先は、もう決まっているのだろう。この国の行く先は、もう決まってしまっているのだろう。
それは、方針と結果の、両方の意味でだ。
この国は、大丈夫なのかなぁ?
この国は、大丈夫なのかなぁ?
腰骨の痛みにウゥっと呻きながら、僕は夜勤明けの朝に、そんなことを思っているのである。