
唐突ではあるが・・・おだちゃんは、北海道出身である。
函館から日本海側をグルリと回って北へ上がった、小砂子という小さな漁村の出身である。小砂子はチーサゴと読む。
余談だが・・・。
おだちゃんの苗字は織田ではなく、小田である。ちっちゃい田んぼという意味だと思うが、真相は分からない。おそらくちっちゃい田んぼという意味なんじゃないかと思う。
チーサゴはちっちゃい砂の子供という意味であろう。ちっちゃい砂の子供という意味の集落に、ちっちゃい田んぼという意味のおだちゃんが育つという不可思議。どれだけちっちゃいんだよ!という読者もいるであろうが、それはこの稿とは関係ないので割愛。
ちなみに、目の前は日本海、背後には原生林が迫るチーサゴに、田んぼは無い。ちっちゃい田んぼも、無い。以上余談。
おだちゃんは、中学を卒業すると森という町に奉公に出た。漁村育ちで足腰が強い上に、ウニやイカをたらふく食べて育ったお陰で、豆タンクのような身体つきである。柔道がたいそう強かったそうだ。その技を買われてなのかどうかは知らないが、森町にある高校の寮に入った。
元来、真面目に生きることとは無縁のおだちゃんである。高校時代は、酒とタバコ、パチンコと競馬に溺れ、柔道の練習もそっちのけで堕落した青春時代を謳歌していたようなのだが、考えるに・・・真面目に生きることとは無縁のおだちゃんの生活の基礎は、この時代に築かれたのではないかと思う。
高校を卒業したおだちゃんは、母の待つチーサゴへは戻らず、一路花の都トーキョーへと向かう。
杉並辺りのタコ部屋に居着き、朝夕の新聞配達をしながら予備校へ通うという苦学生をしばし演じる。
しかし、そこはおだちゃんである。苦学生が性に合うわけもなく、予備校通いが続くわけもなく、パチンコと競馬にに明け暮れるのである。二年ほど杉並界隈をうろついたあと、そもそも大学へ行きたいなどという願望が1ミリもないおだちゃんは、都落ちよろしく埼玉へやってくるのである。
北海道を出て本土へ渡ってから、もうどのくらいの月日が経ったのだろうか?十数年、二十年近く・・・おだちゃんは一度たりともチーサゴへは帰っていない。たった一人、おだちゃんの帰りを待つ母親にも会っていない。
故郷を捨てた人・・・それがおだちゃんなのだ。
ひどいヤツだと言わざるを得ない。
おだちゃんと僕が出会ったのは、16~7年前になるか。
その頃のおだちゃんは、携帯電話の他にPHSを一台持っていた。そのPHSは、東京へ出る時に母親から渡された、言わば親子間のホットライン。一年に1~2回、母親から連絡があるという。子を想う母の気持ちを、如実に示す事象と言えるだろう。
そのPHSを、おだちゃんはいつのまか持たなくなっていた。持つというのは、持って歩くという意味ではない。部屋に置いてあるという意味である。つまり、PHSが部屋から消えていた。
たぶん捨てたのだと思う。本当にひどいヤツだ。
先日、故郷を捨てた男おだちゃんから連絡があった。
「母親から荷物が届いたから渡したい」と、驚くようなことを言う。
聞くと、お世話になっている人が事故に遭い大変だから、故郷チーサゴの海の幸の数々を食べさせてあげたいから見繕って送って欲しいと、数年振りに母親に電話をかけて頼んだのだそうだ。
そんなわけで、故郷をちょっと思い出した男おだちゃんから、段ボールを受け取ることになった。
冷凍で保管されていた海の幸を見せながら、おだちゃんが説明をつけてくれる。
イカとスルメだけで20バイはあったのではないか。ほぼイカである。そういえば、チーサゴはイカが有名なのである。
それにビニール袋いっぱいの小さなアワビ、ウニの塩漬けが入った小瓶。故郷の味のてんこ盛りである。チーサゴ味祭りである。
「一緒に食べようじゃないか」と僕は言った。
「おれはいらねぇ、食いたくねぇ」と言って帰って行ったおだちゃん。
「冷凍庫が空になってせいせいしたぜ」と言って去って行ったおだちゃん。
さてさて、おだちゃんはひどいヤツなのだろうか、そんなこともないのであろうか。
はてはて、僕にはさっぱり分からないのである。
ちなみに、僕は漁村チーサゴを二度ほど訪れたことがある。
チーサゴのイカは美味である。ほかのイカとなんら変わることはないが、ほどよく美味である。
おわり。