えまちゃんと

C43(S205)日記とチャリ少し

280分遅れ

2021-10-08 | Weblog
昨晩の地震、私は外にいました。
友人と、友人の知人の店を訪ねていました。
緊急事態宣言も明けたところで、顔を出してあげたいという企画でした。
オープンエアな雰囲気に、馬車道という土地柄もあって気持ちよく食事を楽しんでいると、確かに揺れました。
しかし、とても堅牢な建物であった為、揺れの時間は長かったものの、それほどのものとは感じていませんでした。

そろそろと帰り支度をし、駅に向かうと遅れが出ているといいます。
少し待つと電車が来ましたので、普通に乗りました。
そのまま進んで、私は乗り換えがありましたので、その乗り換え口に行くと、皆さん改札の前で待っていました。
駅員さんに聞いてみると、線路の安全点検で止まっているといいます。
10分も経つと、「1番線に電車が入ります」とアナウンスが入りましたので、みなホームに向かったのです。
すぐに電車が入線してきましたので乗り込みました。

そしてアナウンスが入ります。
「地震による点検のため、再開のめどは立っていない」といいます。
まぁよくある事としてとらえ、そのまま私は立って待ち続けたのです。
1時間経っても、なにも状況は変わりません。
更に30分が過ぎたころ、振り替え輸送として使えた東横線の営業が終了したとアナウンス。
この時点で25時近くになっていました。
もしかすると、違った帰り方をしなかった事を後悔するのかも、と頭をよぎりました。
あきらめて電車を離れていく人がぽつぽつと出て、立っていた私も座ることができたのです。
車で迎えに来てもらえたのだろうか?なんて考えていましたが、今思うとビジネスホテルなどに向かった人もいるのでしょう。
そこから更に1時間と少し経った頃、「次の駅まで動ける目処がたちましたので発車します」というではありませんか。
次の駅止まりというのが良く分かりませんが、動いてくれることが嬉しかった。
すると、この電車は次の駅止まりとなり、向かいのホームにある電車に乗り換えてくださいといいます。
そこで乗り換えましたが、また点検完了に目処がたたずといいます。
ここまできたら、やめられない気持ちでいっぱいです。
しかし夜になって冷えてきており、半袖の人は腕をさすりながら耐えていました。
疲労もピークに達してきて、車内では座り込んでしまってそのまま寝転んで寝てしまった人もいるほどでした。

1時間後、発車のベルが鳴ったのです。
普通であれば、歓声が沸きそうな場面ではありますが、夜中であり、とてもつない疲労感とコロナ禍もあいまってひっそりと動き出したのです。
私は最寄りの駅までこの電車では行けませんので、4キロほど離れた駅で降りた際の厠、大変感慨深いものがありました。
トイレには行きたかったのですが、行けば席をとられてしまい、また立って待つことを余儀なくされますので皆我慢していたのです。
その安堵感の後に来たのは、猛烈な疲労感であり、少し風邪気味なのかと感じる程度の冷えでした。
駅を出て1分も歩き、後ろを見るとタクシーが私に向かってくるではありませんか。
すかさず手を上げました。
後席に滑り込み、運転手さんに今日はどうでした?と聞きましたところ、「散々でした」と。
首都高速は閉鎖され、その影響で下道は考えられないほどに渋滞したのだとか。
もう帰って寝るところですといいますが、儲かりましたかと聞くと、「混んでいたので走れませんでした」と残念な表情でした。
しかし駅というところ、終電後の時間帯の閉鎖的な環境からすると、外の景色はとても清々しいものでした。
私が合計4時間以上も電車の中にカンヅメでしたと言うと、「言葉もありません」と労ってくれたのでした。

最後に私が今回の災難で感じたこと。
あの環境にありながら、皆マナーの良かったことが挙げられるでしょう。
コロナ禍であるから電車が空いていたというのもありましたし、女性が多かったというのもありましょう。
そうであったとしても23時~28時頃の出来事です。
殺伐とした雰囲気になることなく、この長い時間を過ごせたこと、またどういう訳か今回自身も含めイライラしている人などいなかった事、素晴らしいことです。
コメント
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