白雲去来

蜷川正大の日々是口実

9・11とビンラデイン。

2014-09-13 15:52:55 | インポート

九月十一日(木)雨。

雨か・・・。と嘆息しても晴れる訳でも、金が入ってくるわけでもない。新聞には、9・11の惨劇がほとんど報道されていない。日本人だってたくさん犠牲になっているのに。

とりあえず、DVDでビンラディン暗殺の「ジェロニモ作戦」を描いた「ネービーシールズ・チーム6」を見た。映画的には面白かったが、考えてみればアメリカも良くやるなぁー。勝手に人の国に入って、勝手に殺害するなんて。こんなことが果たして許されるのか、と思った。まてよ、以前、同じような映画を見たな。そうか「ゼロ・ダーク・サーティ」だ。ソ連がアフガンに侵攻した時には、アメリカはビンラディンらを支援したのではなかったか。まっいいか。

お暇な人は、両方見比べてみてはどうでしょうか。それにしてもツタヤは五枚で千円は、上手な商売だと思う。一枚と思っても、あと少し出せばと思って、つい五枚借りてしまう。結局は全部見ないで返却することがままある。天気も悪いし、一日のんびりしていました。

2001 ※☆☆☆それなりに。

Img_01 ※☆☆☆お暇でしたら。


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また一つ青春の思い出が消えた。

2014-09-12 10:32:13 | インポート

九月十日(水)曇り。

酒を愛した若山牧水は、その酒ゆえで肝硬変で四十三歳という若さで亡くなってしまった。他人から、「そんなに酒は美味いのかい」と聞かれると、「それほどにうまきかとひとの問ひたらば 何と答へむこの酒の味」と詠んだ。

冷蔵庫にほとんど食材がなかったので、近くの蕎麦屋でも行こうかと思ったが、卵が一個とハムがあったので、ハムエッグとまるちゃんの「ワンタンスープ」で遅い朝食をとった。

テレビのニュースで、東京オリンピックの聖火の最終ランナーの坂井義則さんが死去されたことを知った。東京オリンピックと言えば、もう五十年も前のことだ。私は中学二年生だった。陸上部に籍を置いており、努力すればいつかはあのような大舞台で走れると言う夢を疑わずにいた。

オリンピックで、国立競技場に入場してくる日本の選手団を見て、とても誇らしく思った。最終ランナーは、当時早稲田の陸上の選手の坂井義則さん。高らかに響くファンファーレ、「世界中の青空を東京に集めた」ような秋晴れだった。あの日のことや、あの青空を今でも思い出すことが出来る。また青春の思い出が消えた。合掌。

一日家で反省会。それでも夜にゆっくりと風呂に入って汗をかいたら、喉が渇いたので、さあー一杯とも思ったが、さすがに今日は、遠慮した。


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秋菊 佳色あり。

2014-09-11 11:40:14 | インポート

九月九日(火)晴れ。重陽の節句。

昔の中国では、この日家族そろって郊外の丘など高い所へ登って、茱萸(カワハジカミ・山椒(さんしょう))の実のついた小枝を折って魔除けのために身につけ、菊酒(菊の花びらの入った酒)を飲んだり、ご馳走を食べたりして一年最後の行楽が行われた。この日のことを詠んだ漢詩は多いが、私の好きなのは王維の「九月九日山東の兄弟を憶う」。

九月九日憶山東兄弟 九月九日山東の兄弟を憶う 王維

独在異郷為異客   独り異郷に在りて異客為なり
毎逢佳節倍思親   佳節に逢う毎に倍々親を思う
遥知兄弟登高処   遥かに知る 兄弟の高きに登る処
遍挿茱萸少一人   遍く茱萸を挿せど一人の少なきを

午前中に、連載させて頂いている「実話ドキュメント」に原稿を入稿。夜は酒と菊を愛した陶淵明に倣った訳ではないが、今日は名前だけ真面目な「蜷川政経懇」を、地下鉄吉野町駅上の「一銭」にて開催。残念ながらカツオが供されず、酒の旨さも半減したが、秋刀魚の塩焼きで我慢した。そう言えば、漱石が陶淵明のことを詠んだ句が、「菊の香や晋の高士は酒が好き」。

その後、有志と関内に転戦。


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愁思・・・か。

2014-09-11 10:58:01 | インポート

九月八日(月)曇り。

暑い暑いと思っていたら、いきなり秋が深まった。季節の移ろいを歳なりに経験しているのだが、毎年、それぞれの季節の訪れに新たな感慨がある。秋になると思い出すのが唐の詩人、許 渾の「愁思」である。

琪樹(きじゅ)の西風 枕簟(ちんてん)秋なり
楚雲 湘水 同遊を憶(おも)う
高歌一曲 明鏡を掩(おお)う
昨日の少年 今は白頭

庭の木々に秋風が立ち、枕もとには秋が忍び寄った。楚の空にわく雲、湘水の流れを見るにつけ、私はかつて共に遊んだ人達のことを思い出し、声高く一節歌を唄って、私は思わず鏡に蓋をした。そこに写った姿を見れば、つい昨日まで若者だった人は、今はもう、白髪の老人となっていたから。(「唐詩選」)

北海道は横浜よりも季節感がはっきりしている。自然に恵まれているので、海や山は勿論、吹く風にさえも季節の訪れを実感することができる。今頃だったと思うが、昼休みのグラウンドで、何千、いや何万匹もの赤とんぼが頭上を飛んで行くのを見たことがある。秋を意識する頃になると、その昔見た赤とんぼの群れと「愁思」を思い出す。ちなみに、「愁思」とは、思いわずらうこと。心配すること。また、悲しい物思い。ポルトガル語の「サウダーデ」とは少し違う。

午前中に病院。午後から機関誌の発送の準備。購読料を頂いた方へ「読者プレゼント」のCDを同封したり、新しく購読者になって頂いた方へのお礼状など、気が付けば五時を過ぎていた。社友の斉藤義一さんから頂いた「サンマの丸干し」を肴に月下独酌。


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雨の納涼祭。

2014-09-11 09:57:27 | インポート

九月七日(日)雨。

古い友人の周本昌山さんの呼びかけで千葉は君津のビヤガーデンで納涼祭があった。納涼祭と言っても秋も深まり、加えて朝から雨。案内状には「台風以外は雨天決行」とあるので君津行き。

朝の十時に仲程通也さんに迎えに来て頂き車で千葉へ。何年か前に一度、電車で行ったら二時間以上もかかって閉口したことがある。その時の私のブログを読むと、伴野朗の「上海伝説」という本を三分の二ほど読んだとあった。今では、アクアラインを利用すると一時間弱で着いてしまう。便利になったものだ。

雨は上がらなかったが、ほとんど知っている人達ばかりで楽しかった。テントの隙間から時折入ってくる雨もご愛嬌のうち。一時間半ほどでお暇した。仲程さんに事務所まで送って頂き、そのまま機関誌の製本の仕事。五時近くまでかかってようやく「燃えよ祖国」の第205号かせ完成。発送は火曜日くらいとなるか。とりあえず一段落。

205 ※「燃えよ祖国」の第205号。見本誌等お送り致します。ご連絡下さい。snforever@proof.ocn.ne.jp


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