白雲去来

蜷川正大の日々是口実

さつま揚げ放浪記。

2014-09-18 11:44:55 | インポート

九月十六日(火)晴れ。

随分と秋が深まってきた。昼間は汗ばむが、朝晩は半袖では寒いくらいだ。昨日も、寒くもなく、暑くもなくと感じられるものということで「おでん」を作った。まあ時間だけはたっぷりあるので、大根もお米のとぎ汁で煮てから出汁の中に入れた。「おでん」と言えば、昨年カメちゃんから業務用の「おでん」鍋を頂いた。暮や正月には来客が多いので、その鍋を使って「おでん大会」でも開催しようと思っている。

私は、いわゆる「練り物」が好きで、一時は、美味しいと聞くと、すぐに取り寄せていた。しかし、その「練り物」も、軽くあぶって生姜醤油で食べて美味しいものと、おでんに入れて美味しいものと別れるような気がする。両方美味しいと言う物はまれである。例えば「紅生姜天」や「チーズ巻」、「餃子巻」などは「おでん」に不向きだし、焼いて食べた方が断然おいしい。

狭い範囲の話で恐縮だが、私の事務所の途中にほとんどシャッター商店街となった「中村橋商店街」があって、そこの豆腐屋で作る「もやし揚げ」「野菜揚げ」チキンボール」がとても美味しいのである。しかし、本業は豆腐屋なので量を作らず、午後に行くと売り切れていることが多い。オーブントースターで焼いて、生姜醤油で食べると美味しい。

京急の弘明寺商店街にも「おでん種」専門の練り物屋があってたまに行くが、ここは品物が小ぶりで、「おでん」には良いが、焼いて食べるのには、チョットな・・・。その商店街の外れに、大悲会の志村馨君に紹介された練り物屋がある。ここも種類が豊富で、味は中村橋の豆腐屋に似ている。マグロの安売りで有名な松原商店街にも、好きな練り物屋があって、行くと必ずと言ってよいほど買って帰る。好きな物は「紅生姜天」。ミッチー橋本さんや、カメちゃんの地元の藤棚商店街の「今井かまぼこ」もかなり商品にこだわっていて美味しい。お好み焼き風の練り物があって、好きだ。

そうだ、銚子の「嘉平屋」を忘れていた。ここの品物も随分と取り寄せた。久しぶりに頼んでみるか。

小田原の「鈴廣」と「かごせい」もさすがに全国に名前が通っているだけあって美味しい。上品な分、「おでん」で煮てしまうよりも、そのまま食べている。本場の鹿児島の物は、「有村屋」か「まるいわ」か。いわゆる鹿児島の「さつま揚げ」は、関東の物と比べて、甘いような気がする。以前、鹿児島を旅した時に、大好きな「かつお」を食べようとしたら、甘い醤油には閉口した。以来、鹿児島に行く際は、「マイ醤油」を持参することにしている。

先日頂いた、豊橋の「ヤマサ」の練り物も上品だった。やはり良い物は煮てしまうよりも、軽くあぶって食べた方が美味しいし、酒の肴にもなる。宮城の「笹かま」も好きだ。以前は、小島蒲鉾の「鯛公望」が好きで、たまに取り寄せていたが、最近はご無沙汰をしている。

私の中でのナンバーワンは、東横線の大口商店街にある「能登屋」。ここの玉ねぎ天の大ファン。まあ値段もそこそこだが、子供がアイススケートに通っている頃は、送りがてらに買いに行った。京急の上大岡駅の駅ビルの中に支店があるのを知って、こちらの方が近いので、フラッと買いに出かける。

はんぺんで絶品なのは、大磯の「井上蒲鉾」の物である。つなぎを使わず「グチ」(いしもち)の身だけで作った最高のはんぺんである。鎌倉にある同名のお店は、親せきということだが、置いてある品物が違う。あくまで大磯の井上蒲鉾の物でなくてはならない。しかし何と言っても遠いし、地方への発送もしていない。わざわざ買いに行く元気もないし、最近はとんとご無沙汰である。近くを通ることのある人は是非、買ってみて下さい。(大磯町大磯1306.電話0463-61-0131)

海のある街へ出かけた時など、商店街に地元の練り物があるとつい買ってしまう。カツオのシーズンが終われば、さつま揚げ放浪記が始まる。

今日の昼間、文化祭の代休で家にいた子供と食事をしていたら、いきなりグラッと来た。と同時に緊急地震放送が流れた。わが陋屋はかなり揺れたので、一応玄関のドアを開けて、退避できる状態に構えた。東北沖大震災も、横浜などにいれば、喉元過ぎれば何とやら・・・。あの時の緊張と、地震の際の備えを再認識する良い機会だった。

夜は、レンタルした「風立ちぬ」を見た。良い映画だった。変に反戦のメッセージなどもなく、飛行機作りにかける情熱と純愛。飛行機映画が好きなので、最高の晩酌の肴となった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人一殺。いや一冊だ。

2014-09-16 14:25:56 | インポート

九月十五日(月)曇り。敬老の日。

還暦を幾ばくか過ぎたが、自分が老人何て言う自覚など全くない。しかし病気をすれば、その原因がほとんど「加齢」と言うのだから嫌になる。この野郎、金のねぇーのも「加齢」のせいかと、医者に嫌味の一つでも言ってみたい気もする今日この頃です。

朝日の誤報、虚報、捏造?の余波が収まらない。二十一年も前に、朝日の今日の姿を予見し、朝日の東京本社社長室で自決なされた野村先生の言霊が聞こえてくるようだ。遺著となった「さらば群青」を読めば、どう野村先生が朝日と戦い、また反対に朝日に期待していたかが良く分かる。保守を自認する者ならば、命を賭けて言葉を発した人の著作ぐらいは読んで貰いたいものだ。

003 ※「さらば群青」表紙には「戦闘的ナショナリストの遺書」とある。

Photo ※「さらば群青」の目次。

「さらば群青」に関するお問い合わせは。二十一世紀書院まで。

さすがに今日は自宅でのんびりとした。一日パソコンで機関誌の原稿などおとなしくしていた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忙しい一日だった。

2014-09-16 14:08:37 | インポート

九月十四日(日)晴れ。

十時に竹田さんを迎えに行く。どうせ酔っぱらって寝るだけなのだから、ホテルなんかもったいないので、伊勢佐木町のカプセルホテルを紹介した。しかしいくら寝るだけと言っても竹田さんは昨夜、酔ってしまい他の人の部屋で寝てしまったらしい。部屋の主が帰ってきて、一八四㎝もある巨漢が寝ていたのでは、さぞかし驚いたのに違いあるまい。部屋の主は、あきらめて竹田さんの部屋に行ったとのこと。まあ仲良きことは良きことかな。

朝粥を食べに「安記」に行くが、三連休とあってまだ十時だと言うのに満席で表にまで列が出来ている。均元楼も菜香も開店は十一時すぎ。仕方がないので久しぶりに「馬さんのお店」へ行って朝食。食後は中華街を散策。途中で、子供の就職の件で青森から上京していた愚妻の高校の同級生も合流。伊勢原の先生のお墓参りに行くと言う竹田さんを駅に見送って、愚妻と同級生のオバハンを外人墓地など山手まで案内する。車の中は津軽弁で溢れて、何を言っているのか半分くらい理解不能である。

Dcim0142 ※竹田さん。中華街にて。

一時に、事務所にて某紙の記者から今回の「朝日」の誤報について取材を一時間ほど。自宅に戻って、上の子供のリクエストで「サンマー麺」を食べに行く。今日が日枝神社のお祭りということを忘れていたが、偶然、祭りの役員を務めている杉本純三氏と会い、食事をしているすぐ近くにサリーパパたちがいるということで挨拶に行く。

横浜橋商店街は、南区の町内会の神輿で溢れていた。お世話になっている天狗会の鈴木会長や運動関係の同志の皆さんとお会いする。サリーたちとも合流できた。挨拶をして別れる。

夜は、野毛のお祭りに知り合いがお店を出しているとのことで、カメ&アコちゃんと待ち合わせ。何と、愚妻ら青森軍団もいるではないか。その後、深夜バスで青森に帰ると言う同級生を送りに愚妻は上野へ。野毛で軽く飲んでから、藤棚の「一休」へ。一時間ほどで帰宅。忙しい一日だった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人の一生は邂逅の一語に・・・。

2014-09-16 13:39:43 | インポート

九月十三日(土)晴れ。

正午前に子供の高校の文化祭があるので顔を出した。学校が改装中と言うこともあって余りにぎやかさは感じられなかったが、まあこんなものだろう。私の学生時代は、文化祭など全く縁がなかった。行われていたかどうかも定かではない。高校に行くと言うよりも陸上競技をしに行ったと言うのが正解。もちろん勉強もしなかった。そう言えば、先日、高校の同級生の杉本純三氏に会った時に、陸上部の監督でもあり数学の担任だった植木先生が亡くなられたとの話を聞いた。最後にお会いしたのはいつのことだったか・・・。合掌

自宅に戻る前に事務所へ。夕方、FBで知り合いになった竹田忠正氏が「野村先生の墓参に行きたい」と豊橋から来訪。伊勢佐木町で待ち合わせて「やまと」へ。この竹田氏、私の友人と不思議な縁で、以前靖国神社に参拝に行った帰り道に小腹がすいたので、飛び込みで入ったお店が九段の名店の「すし政」。まあ知らない土地で、知らない寿司屋に入るとは良い度胸だと思うが、そこは若さと言うもの。その店のカウンターで飲んでいたのが、岐阜の怪人の細川先生と、盟友の佐久間氏だった。最初は、怖そうで声を掛けられなかったが、良く考えたらFBで「友達」だったことを思い出して、声を掛けたそうだ。竹田さんは佐久間、細川両氏を「怖い、その筋の人たち」と思ったそうだが、両氏は竹田さんのことをプロレスラーと思ったと大笑い。

同志、もしくは社友以外は、個人的に会うことはないのだが、遠路を野村先生のお墓参りに来て頂くのに知らぬふりはできない。また人の一生は邂逅の一語に尽きる。との言葉もある。定宿の「やまと」にて痛飲。その後、竹田さんのリクエストで「サリーズバー」という定番の飲み会。一時間ほどいてお暇した。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野村先生VS朝日

2014-09-15 11:20:38 | インポート

九月十二日(金)晴れ。

それにしても何かの因縁か、よりによって朝日の誤報とした記事が両方とも「吉田」とは・・・。しかし同じ吉田でも命懸けで原発事故に対処した吉田所長と、虚言癖の吉田とでは、当然天と地ほどの差がある。

朝日の社長の謝罪会見・・・。いつか朝日がこういうことになることを二十一年もまえに野村先生は予見していた。

昨年の群青忌において放映した野村先生の朝日新聞での録音テープ。当時の社長や役員の前で、野村先生はとても大事なことを話している。そして自決なされた。一部だけだが、活字にしてみた。

平成五年十月二十日・正午、朝日新聞東京本社、社長室。

 ここで僕はね、朝日が倒れるか野村秋介が倒れるか、ということを言っているわけです。僕自身は、朝日と刺しちがえる。
これは朝日がそれだけ重責を担っているからなんですよ、マスコミの中でね。あなたが事務所に来たときに、「責任を感じますか」と訊いたら、「感じてる」って言いましたね。「深刻に感じていないでしょう」と言ったら、「深刻に感じてる」って言った。そうでしょう。その言葉がね、いま万死に値する罪なわけ。
「じゃあ腹を切れ」と言いましたよね。「私も腹を切ってやる」と。(中略)
口舌の徒が百万回喋っても、人は聞かない。しかし、命をかけて闘えば、勝ち負けは別として、言葉は通ずる。僕は、そういう生き方をしてきた。そこで、朝日が倒れるか、野村秋介が倒れるか。
朝日が倒れるわけないよな(笑)。野村秋介は倒れるとしても、朝日は倒れることはない。また、朝日に倒れてもらっては困る。朝日憎しで言うんじゃないんだ、朝日が社会の木鐸としてね、しっかりと日本を指導してもらいたいんだと。
まあ、歴史はね、決して逆行しませんから、軍国主義なんて絶対に返ってこないですよ。軍国主義が返ってくるんだったら、丁髭時代も返ってくるの。万葉の時代だって返ってくるんですよ。
それをね、あたかも日の丸を掲げると軍国主義が返ってくるような……いま社長さんがちょっと言われたけどね、「靖国神社のことをどう思いますか」と言ったときにね、「権力が悪用することに関しては困る」と。
権力が悪用するのはどういうことかというと、軍国主義に戻るということでしょう。僕は、それは絶対あり得ないんだと。歴史は逆行しない。

Photo ※群青忌にて放映された野村先生朝日新聞社での最後の言葉に映像を加えたDVD。

202 

※DVDのデザイン。

131025_021_2 ※野村先生追悼20周年群青忌・パンフレット。

DVDとパンフレットのセットで5000円(送料無料)で販売しております。この機会に是非ともご鑑賞ください。お申し込みは、メールsnforever@proof.ocn.ne.jp もしくは090-6300-7075(二十一世紀書院まで)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする