白雲去来

蜷川正大の日々是口実

天長節なり。

2008-12-24 23:51:06 | インポート

十二月二十三日(火)曇り。天長節。

天長節なり。起床後、玄関に日の丸を掲げ、今上陛下のご健勝と、ご皇室の弥栄を祈念して皇居を遥拝する。

朝食の後に、自宅の片づけを済ませてから、愚妻と上の娘を連れて事務所へ。客注の書籍やビデオなどを発送。事務所に、社友の古谷喜久男氏が来訪し、彼の娘さんが勤めている会社のドリンク「レッドブル」を頂く。

帰路、横浜橋商店街にて、夕食の買い物。時期外れの「あさり」と「キムチ」などを購入して帰宅。夕方、横浜公園にて、神奈川県維新協議会主催の「天長節奉祝」の提灯行列が行われるので、激励に顔を出す。

寒空の中に、同志等、約百名が参加し、国民儀礼の後に、夜、六時より、堂々の奉祝パレードを敢行。

帰宅後は、上坂冬子氏の「川島芳子」を読む。休肝日なり。


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本当に問題なのは、助け合う家族や友人のいないことだ。

2008-12-24 23:23:47 | インポート

十二月二十二日(月)晴れ。

朝食の後に、歯医者。終了後は事務所にて仕事。お世話になっている人や、お歳暮を送って頂いた方たちへの礼手紙を八通ほど書いたら、手首が痛くなった。

五時過ぎに、帰宅。のんびり風呂に入ってから、夕食。私は、松本佳展君から頂いた「黒霧島」で晩酌。

連日、「百年に一度の不況」の報道で気が滅入る。派遣社員がリストラされて、社員寮を追い出され、住む所がない、というニュースが、これでもか、これでもかと流される。確かに、この暮れになって気の毒な事だ。しかし、その人達には、家族や兄弟がいないのだろうか。とりあえず、次の仕事が見つかるまで、身内、あるいは友人の家に住ませてもらう、と言ったことが出来ないのだろうか。また、一銭の蓄えも今までしてこなかったのだろうか。

企業のリストラも問題だが、もっと問題にしなければならないのは、そういった人たちに家族や、友人がいないことだ。厳しい言い方をすれば、企業は、業績が悪くなることもある、ということを見越して、派遣社員というアルバイトを雇い、非常時に備えている。また、派遣社員も、いつ仕事を打ち切られても仕方のないことを承知で「派遣社員」となっているのではないのか。契約が満了する前に辞めさせる企業も問題だが、派遣会社も、その人たちが、次に働ける場所を確保する責任がある。

何時だったか、テレビで、あるカメラ会社が工場を新設するのを見越して、それまで経営していた旅館を廃業して、アパートを六棟も建設した老夫婦のことが取り上げられていた。この不況によってカメラ会社が、大幅なリストラを行い、よって六棟あるアパートのうち四棟が空いてしまい、残るローンをどうしたらよいか、という嘆きを映していた。

チョット待って欲しい。確かに気の毒だが、この夫婦は果たして弱者、被害者なのか。そうではないだろう。穿った見方をすれば、最初から、利殖目当てでアパートを六棟も建てたのではないのか。本当に老後をのんびりと過ごすのならば、一棟だって生活が出来るような気がするし、私から見れば、実に羨ましい話である。いや贅沢な悩みのように感じてならない。私の見た限りでは、お二人とも七十をとうに過ぎているようだった。失礼だが、一体幾つまで生きたいのか、そして幾ら金があったなら良いのか。申し訳ないが、単に見込み違いで利殖の目当てが敗れて損をしたのと大差ないように思えるのだが。

少し前には、日本の企業の終身雇用を批判して、欧米並みにしようと訴えていた経済評論家とか言う連中は、今こそ勇気を持って、弱者のために、その財産を投げ打て。

コメント (2)
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ある死刑囚の死

2008-12-24 22:50:48 | インポート

十二月二十一日(日)晴れ。

休みだというのに、年のせいか七時過ぎには目が覚めてしまい、家族を起こしてから、朝食。そういえば、今まで登録していたブログのサイトAOLが閉じてしまうとのことで、急遽、こちらに引越した。折角慣れていたのに、また一からやり直さなければならないので、めんどくさい事この上もない。朝食の後は、事務所で資料整理。そういえば、産経新聞に死刑囚だった、元警察官の澤地和夫氏が東京拘置所で亡くなったという記事を読んだ。

澤地氏は、昭和五十九年に宝石商らが殺害された事件で強盗殺人などの罪に問われ、死刑が確定した元警視庁警部である。自らの行為や死刑囚になるまでのことを、彩流社から「殺意の時」、「監獄日記」という本にして出版している。縁あって、しばらく文通をしており、また初期の頃の私の機関誌にも原稿を寄せて頂いたこともあった。「監獄日記」の中に、こういった一文がある。

「日本の歴史に名を残す多くの仏者、名僧の中にも十年、二十年の長きにわたる歳月を、ただ黙々と修行に専念している時期がある。日蓮は比叡山の北のま果てにあった寒寺の名もなき僧として十二年を送り、又、親鸞は横川常行堂の常僧として二十年を送っている。犯した罪を悔い、心身ともに反省悔悟のなかに生きてきた十年、十五年の独房生活は、ある意味では七百年以上も昔の名僧たちが同じように長き歳月の自己修行に生きたそれと、なにか共通するものがあるように思えてならない」と。合掌。

夜は、我が家で家族だけの忘年会を行った。と言っても、子供達は酒を飲むわけではないので、鍋を囲んで、行く年を惜しんだ。


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