1月2日(火)曇り。
寒いので、布団の中で寝たままで箱根駅伝を見る。暮れからほとんと毎日、不埒な駅伝三昧だった。暮れの24日は、男女の高校駅伝。女子は35回の記念大会。男子は74回。女子の大会は第一回から見ている。当時は、VHSのビデオテープで録画していた。何年か前に、偶然に伊豆高原の断食に行った折に、第一回の優勝高校の市立船橋の優勝メンバーの方と一緒になったことが縁で、その時のレースの模様を録画したDVDを頂いた。当時何年か留守をしていたことがあり、そういった趣味の資料が散逸していたので嬉しかった。男子は、日本人選手のみで戦った佐久長聖高校が優勝。何でも5千メートルを13分台で走る選手が駅伝を走る7名中、6名もいるとのこと。凄いの一言に尽きる。女子は、ゴール直前で鹿児島の神村学園が仙台育英を抜いて優勝。留学生選手の是非もあるが、2位の仙台育英も留学生を使っているので、文句は言えまい。留学生選手が走る区間が限定されるかもしれない。
30日は、全国大学女子の富士山駅伝。名城大学の強さがひときわ目立った大会だった。明けた正月は、全国実業団対抗のニューイヤー駅伝。日本を代表する一流選手が走る姿は感動的でもあった。そして今日は箱根駅伝の往路。私の家は「花の2区」の途中、権太坂のすぐ近くにある。選手が近づいてくると、家の上空にヘリコプターが来てホバリングする音が聞こえる。今年は、布団の中から応援させて頂いた。予想では駒澤が有利とのことだったが、さすがは青山、二区以降は神の領域だった。
夜は、家族で、ホットプレートで特大海老のソテー、チヂミなどを焼いて楽しんだ。録画しておいた「箱根駅伝伝説のシーン」を見ながら酔狂亭にて独酌。しかし、能登地方の地震で苦しんでいる人たちのことを考えると、こんなことをしていて良いのか、という自責の念がよぎる。大変な正月だ。