白雲去来

蜷川正大の日々是口実

自衛隊の皆さんには頭が下がる。

2024-01-16 13:34:54 | 日記

1月14日(日)晴れ。

朝食は、抜いた。昼は、ガーリックチャーハン、ポークハム、玉ねぎと大根のスープ、コンソメ味。夜は、暮れにお友達に頼んで買って貰ったマグロの刺身、ミスジ肉、自家製の糠漬け(キャベツと大根)、人参のシリシリサラダ、レタスときゅうりのナムル。お供は「黒霧島」。家族三人で居酒屋、酔狂亭を開店。

能登地方の災害に派遣されている自衛隊の活躍とご苦労には本当に頭が下がる。地震や山崩れで道路が遮断され孤立した集落へ、灯油や生活物資を背負って泥沼となった道や雪を踏んで歩いて行く。その荷物の重さは20キロもあるという。テレビを見ていたら一瞬だが女性隊員の姿もあった。見ていて涙が出た。本当に感謝する以外にない。信じられない話だが、そんな自衛隊の存在を否定する連中がいる。自分の身内や知り合いが助けられているかもしれないのに・・・。

我が陋屋は、すでに30年を過ぎている。屋根や傷んだ内装を直したりはしているが、能登のような地震が来たならば耐えられるかどうか、心もとない。古い一軒家なので、密閉性が甘いのか、とにかく寒い。つい暖房を入れてしまうのだが、能登地方の避難所で生活している人たちのことが脳裏に浮かび、ためらう。一応南向きに建っているので、昼近くになると陽が当たって暖かいのだが、午前中は、とにかく寒い。それでも室温が15度以下にならない時は暖房を我慢している。嬉しいことに、平塚の友人から綿入れ半纏を頂いた。そう重ね着すれば多少の寒さはしのげる。「着ぶくれ」などと言う言葉も、もう死語になっただろうか。『消えたことば辞典』を見てみよう。


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貧困の政治 飛雪が罵りあふ。

2024-01-14 13:25:04 | 日記

1月13日(土)初雪。

朝目が覚めたら頭がふらふらする。血圧か二日酔いなのか・・・。暮れに頂いた甕入りの「宝山福寿」という焼酎を甕からデキャンタに移した。透明な瓶なので家族は「これなら飲んだ量が分かるからいいね」と。750m.ℓの瓶だ。気が付けばペロッと空けて、もう一度入れなおした。二階から降りてきた家族は、「あら、珍しいね。まだこれだけしか飲んでいないの」と機嫌がよい。しかし、二本目である。これ以上はマズいと思って布団に入ったのが一時近かった。

今日は、深川の富岡八幡宮にて、役員の末席を汚している民族革新会議の正月の恒例行事、昇殿参拝があるので東京行き。新橋まで行って、大江戸線に乗り換えて門前仲町で下車。座っている時は何でもないが、歩くとボーっとしてふらふらする。参拝の前に正論社の鈴木誠厳さんと打ち合わせがあるので富岡八幡宮ま前で待ち合わせた。合流して喫茶店を探すが、人が多くて、見つけても満席で中々見つからない。ようやく見つけて一時間ほど歓談。4時前に分かれた。

天気予報では夕方から雪、そして雨になると言うこと。鈴木さんと別れた頃から、みるみるうちに暗くなった。危ないのでコンビニにて傘を買った。八幡宮の境内を歩いている時に、今にも消えてしまいそうで頼りなさそうな雪が落ちてきた。初雪である。参拝の待ち合わせの場所に座っている頃からは、ものすごい雷と共に大粒の雨が降って来た。帰りのことが心配になる。4時30分に全員が揃ったので参拝。国体の護持を祈願する。

終了後に民族革新会議の事務所にて会議の後に直会。この頃より雪が激しくなる。ふと野村先生の「貧困の政治 飛雪が罵りあふ」の句を思い出した。そういえば、今日は、住友事件から37年目の日だ。あの日も珍しく前日から雪が舞った・・・。

体調が悪くて、さすがに今日は酒を受け付けなかった。終了後に大熊雄次氏のお世話で大行社の村田雅昇兄と一緒に帰った。


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私のボケ防止のプレゼント。

2024-01-10 17:33:41 | 日記

1月9日(火)晴れ。

朝食は、頂き物の「鮭の粕漬」「ふくやの明太子」、きゅうりと人参の糠漬け、大根の味噌汁。昼は冷食のグラタン。夜は、「ザブトン」という部位の牛肉、鶏の手羽先と大根の煮物、新玉ねぎのオイスターソース炒め、山芋の糠漬け。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌、いや愚妻と対酌。

スーパーで見ると必ず買ってしまうのが「生ワカメ」と「新玉ねぎ」だ。特に生ワカメは春先にしか出回らない。サッと水で洗ってから、味噌汁や鍋に入れる。みるみるうちに黒色だったものが鮮やかな緑色に変わる。見ているだけでも楽しい。しゃぶしゃぶも美味しい。高知のポン酢で食べる。新玉ねぎは、やはり味噌汁や炒め物が美味しい。今日のようにオイスターソースで炒めると、2個ぐらいはペロッと食べてしまう。スーパーに行き、生ワカメや新玉ねぎがあると、それだけで嬉しくなる。安上がりな自分に乾杯。

上の子供は、私のボケ防止のためか、たまに本を買って来てくれる。最近では、『数え方の辞典』(飯田朝子・町田健著、小学館)。これはタイトル通りに、物の数え方を教えてくれるもので、物を書くときに役に立つ。例えば、蚊帳は一張(ひとはり)、蔵は一戸前(いちとまえ)、屏風は一双(いっそう)、鱈子(たらこ)は一腹(ひとはら)など。他は『ねこのまちがいさがし』(古賀良彦著・文響社)。著者は下の子供が出た大学の名誉教授とのこと。二枚のねこの写真から間違いをさがすのだが、これが結構難しい。とても「一分見るだけ」では、間違いを探せない。脳トレには最高かもしれない。

そして昨日買って来てくれたのが、『三省堂国語辞典から消えた、ことば辞典』(見坊行徳・三省堂編集所著、三省堂刊)という本。サブタイトルは「辞書が削除した昭和、平成のことばたち・1000語」。少し読んだだけだが、これがかなり面白い。そういえばかつて辞書に載っていたかどうかは分からないが、乳母車、衣文掛け、股引などはもう死語になっているのだろう。昭和がどんどん遠ざかっていく。離れて暮らす下の子供から年賀状が届いた。ユニークな年賀状のデザインに家族は大笑い。

 


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昼酒のハシゴ。

2024-01-10 17:03:00 | 日記

1月8日(月)晴れ。

11時30分に、仲良しのカメ&アコちゃん夫妻と中華街の「安記」にて待ち合わせた。中華街は凄い人である。着物で着飾った女性多いなと思ったら今日が成人式とのこと。ピンとこない。私たちの頃は15日だった。体育の日も昭和39年の東京オリンピックの日を記念して10月20日だったのに、いつの間にか変わってしまった。老人は時代の流れについて行けない。

「安記」も入り口に待ちの客が並んでいた。少し待ってから着席。お店の美人姉妹にお正月の御挨拶をしてから乾杯。「モツ皿」「焼売」「インゲンとイカの炒め物」「巻き上げ」を肴にビールを飲む。「お粥」で〆て、中華街の大通りから一本外れた「中華飯店」へ転戦。このお店も、子供が2、3歳の頃から通っている。お店のお母さん曰く「中華街は食べ歩きの人が多くて、普通のお店は売り上げが上がらない。また、4人で来て小籠包一皿で帰って行く、非常識な客も増えた」と嘆いていた。ここでは、「むしどり」「モツ炒め」「パイコー飯の頭」で、芋焼酎を一本空けた。女性軍は「紹興酒」のデキャンタ。

最後は桜木町のビオシティーの地下の「すずらん」へ。社長に挨拶して40分ほど飲んで解散。帰宅後、倒れるように布団に入った。


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一企業の不正が、国の信用にも普及する。

2024-01-07 10:47:32 | 日記

1月3日(水)曇り。

そういえば、元日のお墓参りの帰り道で、とてもシュールな光景に出会った。平塚に向かうために走っている時、国道246をはさんだ両側に、ビックモーターとダイハツの販売所が仲良く?向かい合っていたことだ。これには同乗者一同もなぜか大笑い。言われているようにビックモーターの販売所の前には木や花が一つもなかった。拝金主義が高じて、結果的には一企業の不祥事にとどまらず、日本と日本人の信用を失墜することになる。と言うことを自覚してもらいたいものだ。

暮れから泊りに来ていた下の子供が、明日から仕事と言うことで保土谷駅まで送った。まだ箱根駅伝の9区に選手が来るのには1時間ほどあるので駅に向かったが、歩道は人で埋め尽くされていて、車を道路わきに停めて子供を降ろすことなどとてもできない。仕方がないので駅の反対側に回って降ろした。それにしても駅伝の人気は凄い。復路も青山学院が一度も首位を譲らず大会新記録で優勝。6区からは安心して見ていられた。

夜は、友人の湊さんの心づくしのマグロを「つまきりくん」という刺身のツマを作る道具で沢山作り添えた。他は「ロピア」というスーパーで買った冷食のエビフライ、帯広の山芋の糠漬けなどを肴に、酔狂亭にて独酌。刺身を食べる時は、「つまきりくん」で沢山大根のツマを作るが、それを焼きのりで巻いて醤油をつけて食べると、箸休めにもなっていい。※写真は、我が家にある「つまきりくん」。


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