世田谷パブリックシアターで、舞囃子『猩々乱』と能『鐵輪(かなわ)』を観てきました。
これは、『能楽現在形 劇場版@世田谷』という形で、笛方・一噌幸弘さん、大鼓方・亀井広忠さん、そして野村萬斎さんの3人で現代舞台美術での能楽の可能性を求めるものとしてユニットを組み、その活動として劇場で能を演じるものです。
当然のことながら、劇場内に能楽堂を再現するのは意味のないことで、通常の舞台上に能の舞台を作っています。
そのため、大きな制限があるため、ちょっと不思議な空間ができあがっていました。
本舞台を中心に放射状に3本の橋掛りがあり、屋根がないだけでなく、本舞台四隅の柱が舞台の床から30cmくらいしかありません。
客席の関係で本舞台をセンターに設置しなくてはならないため、下手の橋掛りが短くなり、やむなく上手にも橋掛りを作ったそうです。
本来の下手の橋掛かりの短さを、上手の橋掛りから舞台奥を下手へ移動しセンターにも橋掛りを設置することによって、距離感を演出していました。
鏡板と呼ばれる舞台奥の板が無く、黒の壁になっているのは不思議な印象さえします。
本舞台の四隅の柱がないことは、面を着けている役者にとっては距離感が無くなってしまい、大変だったのではと思います。
最初の演目は、友枝雄人さんの猩々乱。
席が能楽堂で言えば中正面の実質2列目ということもあり、本来の橋掛りはかなりの部分が見切れてしまったのですが、舞台の近さを楽しむこともできました。
能の舞台とは違い、劇場としての照明効果が出せるため、舞を舞う姿をかなり印象的に観ることができました。
力強く舞うなか、シテの後ろからのライトが滴り落ちる汗を浮かび上がらせ、シテの表情とあわせて印象的でした。
実際の舞は、事前の説明を読んでいても、なかなか説明通りのイメージを浮かべにくいものもありますが、身体の動きや囃子の迫力が、いろいろなものをイメージさせてくれました。
能は、シテに狩野了一さんを迎えての鐵輪です。
舞台脇には字幕が、英語で出ていました。
内容は、夫に捨てられた(表現は悪いですが)妻が嫉妬の末に生き霊となり、夫のもとへ向かい、安倍晴明が講じた策のもとで、激しい情念を見せるものです。
こちらも、地謡の歌は、言葉を追っても理解し得ない部分も多々あるため、シテから受ける『迫力』がひしひしと伝わってきます。
観る人のキャパシティの大きさによって、様々な世界観が広がっていくのでしょうね。
演目が終了した後、1時間弱のポストトークがあり、こちらも楽しめました。
野村萬斎さんがこの世田谷パブリックシアターの芸術監督を務められていることも、ここでこの舞台が楽しめる最大の要因なのかも知れませんね。
国立能楽堂ならば、席毎に字幕が利用できる設備はあるものの、一般の方には敷居が高いのは事実だと思います。
このような形で、まず能楽と触れあえると言うことは、きっかけ作りとしても素晴らしいものだと思います。