Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

バルテュス展

2014-06-06 16:00:00 | いろいろ
東京都美術館で開催中のバルチュス展を見て来ました。
会場でもらえる、朝日新聞 バルチュス展 記念号外


展示やバルチュスのことは上のリンクが公式に飛びますのでそちらもご参考ください。

私がバルチュスを知ったのは、昔の上司であるデザイナーの大西厚樹さんが、何かのインタビューで好きな画家としてあげたのがきっかけでした。今見ると、大西さんがキャンペーンに使っていた金子國義さんと似た特徴が多くて頷けました。

美少女は私も大好きですので画伯の気持ちもよ~くわかります。「少女はエロスの対象ではなく、完璧な美の象徴」という本人の発言が展示にも掲げられていました。それはセンセーショナル=非道徳的だとの批判に対する反論ですが、エロス(本来の意味は愛)と美を分けるのは難しいし、同じ人間が崇高な美を求めるのと、美しい身体のパーツに萌えたり神聖に思える対象に近よって触ってみたいと思う胸キュンな気持ちは同時に存在するもの。他にも人間の全裸像を描かない画家なんていないほどなのに、なぜバルチュスだけが非難されなくてはならないのか。少女を性愛の対象にしているとは絵を見た人の想像にすぎない=真実は誰も知らないのに余計なお世話というものです。

批評家の邪推もよそにファンから愛されるバルチュスの絵は、扇情的なポーズの衣服のはだけた少女でも絵が上品です。専門的には絵の構成が巧みだとか、展示の解説にも書いてありましたけれども、私を含めて好きな人の心をとらえるのは、少女や猫などの甘いモチーフを冷静で品格のある世界に閉じ込めているからだと思います。

今回、本物の作品をまとめて見られたことのほかに、自分なりの発見がありました。

まず画家は、貴族の血をひいた家柄で家族が芸術家なため、育った環境が芸術に溢れていたこと。この「血筋」は、フランスでは革命で王様をギロチンにかけたにもかかわらず、支配者階級では出世に重要な要素であり、後に文化大臣に「アカデミー・ド・フランス」ローマの館長に任命されたり、同じく日本古美術研究のため日本に派遣されたことと無関係ではないと思うのです。

また、若い頃から中国や日本に関心があったことは、展示にあった中国風の絵を描いた家具からも明らかです。そして後に日本人の節子さんと結婚したり、絵に浮世絵の影響が現れたりしますが、絵を見ていて、私はふと思いました。「自画像、見上げる構図なので脚こそ長いんだけれど、頭に比べて首や身体が華奢だし、顔も目がつりあがって東洋人的だな。他の絵も、人物は大抵頭でっかちで、美女、美少女も脚がやけにどっしりとしている。それも日本人に多い特徴じゃない?」「自分の理想の美を描くのが画家なんだから、バルチュスは日本人体型が好きだったに違いない!」「そう言えば西洋人に比べ日本人は成人でも少女体型。ああ、バルチュスの美の基準がヨーロッパで異端なわけもちょっとわかる(笑)」

そして最後、絵は独学のバルチュスは、練習としてイタリアはルネッサンス初期の画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの模写を繰り返し、彼の作風に影響を受けたことに驚きました。彼が赴いたのはトスカーナのアレッツォですが、詳しくは、私の義理の両親が住む町サンセポルクロのはず。なぜならそこはピエロの生誕の地で市民博物館は実家の道を挟んだ向いにあり、そこにある絵をバルチュスは模写したからなのです。


↑絵の写真はこちらからお借りしてます。

この博物館は実家の屋上で洗濯を干しているとチラチラと窓の隙間から中が見えるという近さで、私も見学に行ったことがありますが、実はあまり好きな画家ではありませんでした。ラファエロやミケランジェロに比べ、地味で面白みがないという印象でした。ところが、バルチュスの模写の方は、サイズも小さいということもあり、人物の顔など省略してあるし、もちろんタッチもなんとなくもっと現代的です。そしてその絵が私好みなのです。中間色をたくさん使った色彩、物語的な人物のポーズ、バランスのいい絵の構成。そういう要素をバルチュスは模写から学んだようなのです。逆に言えば、ピエロの絵は顔が好きじゃなかっただけだったんだ・・・今度イタリアの実家に行ったら、またじっくり博物館を見たくなりました。


ところで、私の絵を見る楽しみのひとつでもあるミュージアムショップ、今回はなにも買いませんでした。オリジナルグッズも数種あり、絵は、バルチュスが11歳の時に描いたという絵本MITSOU(ミツ)のものが多いです。

東京開催は6/22まで、7/5からは京都です。