HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

オクタホテル、関東初出店。 故人のセンスが東京で開花する。

2012-04-25 12:57:30 | Weblog
 4月26日、東京渋谷駅の東口、東急文化会館跡地に新たな施設「渋谷ヒカリエ」がオープンする。東急電鉄がかつてプラネタリウムや映画館で構成していた東急文化会館を商業&文化、オフィスの複合ビルとして再開発したものだ。
 しかし、先の東急プラザ表参道原宿と同様にさして珍しいテナントは見当たらず、新たなムーブメントもカルチャーも発信されそうにないというのが、筆者がプレスリリースなどを見ての感想である。
 ただ、同ビルのショッピングゾーン「シンクス」で、ぜひ九州を除く全国の業界関係者に紹介しておきたいテナントがある。5階のライフスタイルフロアに関東では初出店を果たした「オクタホテル」だ。フレンチ感覚の雑貨を集めたショップで、ファッションテナントの辛口評論でお馴染みの小島健輔先生も渋谷ヒカリエの「目玉テナント」に挙げていらっしゃる。
 オクタホテルは、もともとは福岡のヤングスポット親不孝通り界隈でパブレストラン「西洋乞食」を経営した故・山縣英児氏が、1980年代にプロデュースした雑貨業態である。
 山縣氏は福岡と佐賀の県境に聳える早良山系のわき水と国産大豆を使用して作る豆腐料理店「松竹五右衛門」の二代目。大学卒業後に手がけた西洋乞食では自社の食材を利用し、「豆腐ステーキ」や「豆腐アイスクリーム」を生み出すなど、抜群の「食才」の持ち主だった。
 一方で、店舗を訪れる常連客からはグラスの並べ方のセンスが良いとの評判があがったり、自らフランスで買い付けた照明やインテリアで店内をコーディネートするなど、飲食業で磨いた感性がいつの頃か本人を雑貨ショップの展開へ誘って行った。
 こうして1983年、山縣氏は親不孝通り入口近くにオクタホテルの前身、「オクタショップ」をオープン。フランスを中心に集めたソープからアクセサリーまで、いかにもユーロデザインらしい洗練されたグッズをところ狭しと並べ、本格的に雑貨店の経営に乗り出したのである。
 フレンチ雑貨店の元祖「F.O.B COOP」の日本上陸が1985年だから、2年も早いことになる。東京の感覚からすればそんなはずないと言われそうだが、福岡のショップ経営者は意外にアドバンスなのだ。筆者が生前に取材した時は、「衣食住に関わるものすべてに興味があって。クロワッサンのFC店を皮切りに雑貨のオリジナル業態を始めたんです」と、山縣氏自身が語っていた。
 オクタショップの基本コンセプトは、パリのリセエンヌの生活。彼女たちは若くても流行は取り入れるもので、左右されるものではないという一貫した考えの持ち主。ファッションを見てもスタイリングはほとんど変わらないが、微妙なディテールでその時代を表現する。山縣氏も同じ感覚で、すぐにマス化するものは好きになれなかったようだ。オクタショップはそんなニュアンスを品揃えのポイントにしていた。
 当初、山縣氏が直接フランスまで出かけ、足繁く商品を探し回っていた。例えば、今は復刻されている「シャペリエ」のバッグも、当時は山縣氏がいち早く売り出したもので、パリで見つけてそのデザインと機能性が気に入り、わざわざオリジナルで作らせたほど。そんなことから次第に現地に住む日本人とも知り合い、商品の買い付けやアクセサリーデザインを依頼しながら、少しずつショップの骨格を固めていった。
 でも、たとえリセエンヌ御用達だからといって何でもかんでも仕入れたわけではない。ホームウェアはソープやバスオイル、テーブル&キッチン小物、アロマテラピーグッズ。アクセサリーはリングやブレスレットなど。ファッション雑貨では帽子と靴、そして巻物など。特に靴はナースや肉屋などが着用するプロ用のシューズ、そしてシンプルなミュール類などライトなものに限定した。大ぶりのイヤリングなどは、日本人の顔立ちに似合わないとバッサリ。自身の感性に合わないものは絶対買い付けなかった。
 そして、2号店として開発したのがパリのプチホテルをイメージした「オクタホテル」である。そこではカフェテリアで使用されるようなデザインのコーヒーカップをオリジナル商品としてプロデュースし、オクタショップの品揃えに加えて販売した。さらにそのカップを使用した「オクタカフェ」、アクセサリーを中心に揃える「スーブニール」もプロデュースし、3店とも福岡天神のイムズにオープンした。
 その後、山縣氏は飲食業とオクタショップの経営に集中するため、オクタホテルとスーブニールは店舗パッケージ&MDノウハウごと別会社に譲渡。しかし、このオクタホテルはそれ以降、デベロッパーに引っ張りだこで、九州各地の代表的なショッピングセンターにはほとんどリーシングされている。
 山縣氏はオクタショップの入居ビルが再開発になったため、天神のソラリアプラザに移転。さらに2000年には豆腐料理とアクセサリーショップを複合させた「アガタ・エ・オクタ」をプロデュースする一方、オクタショップの店名を「ici(イスィ)」と改め、05年にはファッションエリアの大名にオープンした。
 筆者の事務所近くだったこともあり、福岡西方沖地震でオフィス備品のほとんどが壊れてしまった時には、ずいぶんお世話になった。中でも、ユーロデザインの「エレクトロラックス」は、店ではオーブンや電子レンジしか取扱っていないにも関わらず、当方が事務所用の冷蔵庫が欲しいと申し出たときは、快くメーカーに取り次いでくれた。
 家庭用のような大きなタイプは必要ないが、ミネラルウォーターやビール、保存食などのストックには大変重宝している。何よりデザインが良いのが気に入っている。ただ、その2年ほど後、山縣氏は心臓疾患でお亡くなりになった。まだ、50代半ばという若さだった。
 今回、オクタホテルが東京、まして渋谷に福岡から逆上陸するのは、プロデュースした山縣氏自身が喜んでいると思う。そして、筆者も福岡在住者としてたいへん誇らしい。この場を借りて山縣氏のご冥福をお祈りするとともにオクタホテルの躍進にも期待したい。
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