HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

後継なら可能性はある。

2016-03-23 08:19:05 | Weblog
 The FLAG ISSUE 「学生はファッション業界に夢を見る?」について。今回はメディアによって作られた虚像が崩れたことが、業界離れという反動につながったこと。また、実像は子供の頃から環境に身を置いていた方が理解しやすいことについて考えてみたい。

 筆者は商業の街、博多の生まれで、小学校の同級生には下川端通り、寿通りに店舗を構えるファッション専門店のご子弟がかなりいた。

 大学を卒業して、一旦アパレルの道に進んだ時、同僚や先輩たちは口々に「店をやりたい」と言っていた。それはオーナーであり、経営者であり、一国一城の主ということで、ファッション業界での成功を意味することだったのかもしれない。

 こうした考え方、価値観は1980年代から90年代初め、いわゆるバブル経済が崩壊するまでは業界ではいたって一般的だったと思う。しかし、平成不況に入ると、価値観が変わったというか、業界構図の変化とともにショップ経営よりも、業態や職種そのものに注目が集まっていった。つまり、雇用される側、賃金労働者ということだ。

 不況で地方の専門店がジリ貧になる中、台頭した中央のセレクトショップは、インポートを中心にバイイングして国産ブランドと編集し、バイヤーという職種は世界中のコレクションや展示会を巡るジェットセッターとしてクローズアップされた。ここで若者には「バイヤーってカッコいい職業」とのイメージが摺り込まれたと思う。

 マスメディアは「コレクションで買い付け」「これはうちの別注です」なんていかにも業界人らしい会話を臆することなく垂れ流した。実際には一介のショップがエクスクルーシブを要求する海外の有名ブランドと簡単に取引できるわけがない。

 1ブランドでシーズン仕入れが数千万円にもなると、それはセレクトではなくブランドショップだ。実際にはブランドメーカーとショップの間に商社や二次卸、インポーターをかませての仕入れで、ショップ側が主導権を握ったバイイングではなかった。

 マスメディアはそうした複雑な構造は伝えず、カッコいい仕事のイメージだけを煽り、若者に対してセレクトショップの「バイヤー」=凄い職業という虚像を作ってしまったと言っても過言ではない。

 ところが、大手のセレクトショップは人気を集めるほどにセレクトSPA(製造小売業)化していった。海外ブランドほど売れないリスクもあり、収益率は悪化する。それより、オリジナルの方が粗利益は高くなるからだ。ショップロイヤルティを持てばなおさらプライベートブランドの方が売りやすい。セレクトSPAではバイヤー職は残っているといってもごく一部で、大半は商社やメーカーと組んだオリジナル商品の開発担当になってしまった。

 本当のバイヤーなら実際に展示会に出向き、商品を自分の目で見て、仕入れるか仕入れないか、どう編集を組立てるかを判断する。しかし、規模が大きくなったセレクトSPAは商社やメーカーが持って来る大量をサンプルを一つ一つ確認することなどできない。スペックが書かれたアイテムの書類、いいとこサンプルの写真を見ながら商談する程度ではないのだろうか。

 結果、ルーマニア製の商品が「メイド・イン・イタリア」、普通のウールなのにカシミア100%というような「嘘」が平気で横行するようになってしまった。現物を見れば、判るはず、いや判らなければならないのにそうする術も時間もない。SPA化しても、イメージはセレクトショップのままでいたい。そんな見栄が産地偽装に走らせてしまった。社内ではわかっていた人間もいただろう。

 しかし、ある程度のキャリアを積んだ社員なら、それを告発すれば自分の立場も危うくなる。まさにサラリーマンとしての保身。そんな空気がまん延していたのも事実だろう。大企業になったがために病理に蝕まれていったのだ。

 一時はジェットセッターとして、世界中の展示会を回っていたバイヤーがいつの間にか、ステイタスもポジションも失ってしまう現実。真のバイヤーを続けるには、自分で個店を出すしか選択肢は無くなったのも否定はできない現実だ。

 大手アパレルも卸先専門店の販売力の低下、売掛金の回収不能リスクからSPA化していった。企画生産の仕組みはシステム化され、OEMやODMを活用してよりスピーディで、利益を残せるような構造に変わっていた。

 企画部でデザイナーがひとつひとつ商品をスケッチし、そこからトワルを作って、修正を重ねてサンプルを上げる。それを展示会でのバイヤーとの商談の末に修正を加え完璧な商品に仕上げ、小売店に卸す。そんな時間をかけた企画生産卸の態勢ではなくなった。

 学生がファッション業界に夢を見なくなったのは、マスメディアが作り出した虚像の化けの皮が剥がれ、こうした業界が抱える構図、病巣がインターネット時代において流布し、少しずつ理解され始めたということだろう。

 いつの時代でも企業は効率を追う。売れると猫も杓子も同じ商品や業態を作り始める。それは競争を激化させ、勝ち負けをハッキリさせ、やがて適正な規模に落ち着いていく。つまり、若者の多くがファッション業界に夢を抱かなくなったのは、業界としてはむしろ適正化した証拠ではないだろうか。

 確かな信念もない若者が夢を煽られ、虚像に騙され、まやかしを鵜呑みにする。そんな業界で真っ当な技術や能力が身につくはずもない。競争激化の中で淘汰されれば、その先のポジションはないのである。そこに優秀な人間が集まるはずもない。

 ただ、ファッション業界もビジネスには変わりない。グローバル化は著しく、有能で希少な人材を求めているのも確かだ。大手アパレルや大手小売業は一見すればコマのような人間の集まりで無駄に思えるような仕事をしているが、そこでは非常に高い付加価値を生み出す力をもつ。

 一方、個人オーナーのショップや叩き上げの実力経営者が仕切るアパレルでは、その人個人の能力やカリスマ性が高い付加価値を生み出していく。それが変化が激しい市場でどこまで通用するかは未知数だが、自らアイデアを形にし、仕組みを整え、営業することが吝かでないなら、若者が挑戦してみる価値はあると思う。

 仕事の面白さややり甲斐は、決してマスを狙い、規模を追求することではないはずだからだ。某スポーツジムのコピーではないが、結果にコミットすれば良いのである。

 ファッション業界はおカネにならない。だから、魅力が無く、一生働くところではない。それはマス化で価格競争が厳しく収入が少ないという一端しか見ていない。本当にカネを儲けたければ、どの業界もやることは一緒だ。儲かっている企業を選ぶか、自ら儲かる仕組みを作るか。それができるかどうかが重要なのである。

 トヨタが最高益を上げたと言っても、円高に振れるとそんなものはあっという間に吹っ飛んでしまう。グローバル化の波に飲まれる企業で働くほど、一生安泰なんてことはありえない。
 
 どうすればビジネスが軌道に乗るかを考えていく。そんな気概とバイタリティがあれば、ファッション業界も見捨てたもんじゃないと思う。大企業=安心、中小零細=危険ではない。ワールド、イトキンの例を出すまでもなく、効率を追いすぎたところはみなありふれた商品在庫の山に埋もれて、自らの方向性を見失っていく。

 ならば、目が行き届く中小零細の方が自分の力でコントロールしやすい。アパレルなら1億円以下、セレクトショップなら5店舗くらいだろうか。そのためには学習が必要である。アパレルやショップでなくてもいいと思う。きちんとしたビジネスシステムが確立した企業なら、勉強できることはいくらでもあるだろう。

 筆者はむしろ世襲が大事だと思う。子供は親の背中を見て育つ。つまり、環境が人を育てるのだ。親が商売をしていたのなら、その環境は大いに大事にすべきだ。店を持っているなら、小売りをやれば良いし、業態を転換させることもできる。工場があるならメーカーだって出来なくはない。要は資産があるなら、それをできるだけ有効に活用してリスクを減らせばいいのである。

 夢を見るだけでなく、自己実現の目標として挑む。野心や野望があれば、なおのこと良いと思う。少しでも可能性があれば、チャレンジする価値はある。ゼロからのスタートより、一歩も二歩もリードできるチャンスはそうそうないのだから。
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