猫94匹残し転居 浜松の県営団地で(中日新聞プラス) - goo ニュース
ペット飼育不可云々より、正直94匹という数字がまず異常で絶句する。
多頭飼という概念はあるけれども、その範疇を超えすぎてる。
ペットの避妊・去勢手術を、「可哀想だ」という人がいる。
その感覚の是非を、ここでとやかく言うつもりはない。
でもそれを是とするならば、「産まれた仔」まで完璧にコントロールし面倒を見ることが大前提。
それができないのならば、手術も止むなしだと私は思う。
私は犬も猫も大好きで(特に猫)。にゃんこは正義だと思ってる←をぃ
でも犬も猫も、嫌いな人にとってはただのケモノ。
その辺 冷めた目 で見ることができる飼い主さんって、少ないなと思うことがある。
そうじゃなきゃ商業施設入口に貼られてる「介護犬以外の入店不可」のおっきいステッカー無視して、わんこ抱えて店に入れない。
そこに在るのは、うちの子至上主義 と 他者への思いやりの欠如。
94匹という数を、制御下に置くことは難しい。
というより不可能だと私は思う。まして猫。
衛生状態も劣悪になっていくだろうし、それは止まるところを知らないはず。
当然、近隣の人たちとの関係も、どんどん悪化していく。
こういった場合、追い詰められた飼い主側の取る手段としては、愚かしいほど「1つ」しかない。
置き去りの上、ドロン。
この子たちがどういう道を辿るのか、そんなのわかってるだろうに。
それでも逃げる以外の選択肢に目を瞑って、逃げる。
これを無責任と言わずして何と言う。
ペットを飼うということは、その命を背負うということだと私は思う。
背負いきる覚悟がないなら、最初から飼っちゃいけない。
飼う、ということは、その命と交わす【契約】だから。
それができないのなら、つまりその資格がないということになる。
簡単じゃないのだ。
命のコントロールが、生命体として正しい姿ではないのは、私にもわかる。
傲慢。
でも、それを生のまま放置して、生まれた新しい命に対して残酷になるのと、どっちが正しいのか。
私には未だにわからない。
ただ、それでも。
依存してしまうほどの優しい命に対して、最後まで誠実であり続けることができないのなら。
絶対に飼っちゃいけない。
ペット飼育不可云々より、正直94匹という数字がまず異常で絶句する。
多頭飼という概念はあるけれども、その範疇を超えすぎてる。
ペットの避妊・去勢手術を、「可哀想だ」という人がいる。
その感覚の是非を、ここでとやかく言うつもりはない。
でもそれを是とするならば、「産まれた仔」まで完璧にコントロールし面倒を見ることが大前提。
それができないのならば、手術も止むなしだと私は思う。
私は犬も猫も大好きで(特に猫)。にゃんこは正義だと思ってる←をぃ
でも犬も猫も、嫌いな人にとってはただのケモノ。
その辺 冷めた目 で見ることができる飼い主さんって、少ないなと思うことがある。
そうじゃなきゃ商業施設入口に貼られてる「介護犬以外の入店不可」のおっきいステッカー無視して、わんこ抱えて店に入れない。
そこに在るのは、うちの子至上主義 と 他者への思いやりの欠如。
94匹という数を、制御下に置くことは難しい。
というより不可能だと私は思う。まして猫。
衛生状態も劣悪になっていくだろうし、それは止まるところを知らないはず。
当然、近隣の人たちとの関係も、どんどん悪化していく。
こういった場合、追い詰められた飼い主側の取る手段としては、愚かしいほど「1つ」しかない。
置き去りの上、ドロン。
この子たちがどういう道を辿るのか、そんなのわかってるだろうに。
それでも逃げる以外の選択肢に目を瞑って、逃げる。
これを無責任と言わずして何と言う。
ペットを飼うということは、その命を背負うということだと私は思う。
背負いきる覚悟がないなら、最初から飼っちゃいけない。
飼う、ということは、その命と交わす【契約】だから。
それができないのなら、つまりその資格がないということになる。
簡単じゃないのだ。
命のコントロールが、生命体として正しい姿ではないのは、私にもわかる。
傲慢。
でも、それを生のまま放置して、生まれた新しい命に対して残酷になるのと、どっちが正しいのか。
私には未だにわからない。
ただ、それでも。
依存してしまうほどの優しい命に対して、最後まで誠実であり続けることができないのなら。
絶対に飼っちゃいけない。