連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

三角点:測量士

2009-06-21 19:29:03 | インポート

深夜、どこかでニュースをやっていないかなとチャンネルを回していて、偶然出会った、

”有名になりという功名心がある人は辞めていきます。”という言葉。

その仕事は、三角点の測量士でした。

番組のタイトルは、「年間200日留守の夫」

留守がちで子どもから敬遠されていると感じた測量士の父が子供たちと出かけたのは、

三角点のある山への登山。 仕事への誇りの証ですね!

父である測量士は【三角点がなければ、地図もできず、道路もできない。人の幸せに貢献する仕事で、やり遂げなければいけない。】

有名になるわけでもなく、多額の利益配分もない、父の仕事を、

社会に役に立つ仕事をしていた、かっこいい父と理解した成人した子供たち。

留守がちな家庭を支え続けた妻のさわやかさが、きもちをさわやかにしてくれました。

そして、三角点設置のために、登山で最も危険度の高い山、剱岳にさえも仕事のために上った人達。”剣岳 点の記”が映画になり、20日からロードショウが始まるのも知りました。

社会は、名もなく貧しく清く生きている多くの人に支えられている。感謝、感謝。


新型インフルエンザ:インフルA、国内発生

2009-05-17 11:42:55 | インポート

発病者のインフルAウィルスとの接点が気になる。

発病者は、発病が疑わしい人に意識的に近づいて感染したとは考えられない。

勧告され、報道されている症状とは異なる症状を有し、活動能力のある人が感染源と考えざるを得ない。

早急に症状の見直しをして、注意喚起項目の変更が必要な段階にきたのではないか。

インフルAの国内発生は、罹患者が、高校生で、はつらつとしたスポーツマンなど元気の象徴のような人たちに一気にまん延している。

国外で感染、発症した人の経過は順調であるようだ。

国外の情報もまとまり、他の感染症との比較も出始めてきた。

肉体的、経済的な劣者には決定的なダメージを与える不平等は、

中程度の危険度の感染症という位置づけでよいと見極められたので、

医療現場では、従来ある感染症と同列に対応する。http://medg.jp/mt/2009/05/-vol-111.html

しかし、社会的対応は、一歩間違えると、過激な、あおられた、マスコミ攻勢に遭いそうな恐ろしさがある。

感染症は、先手必勝とはいかない、

後追い対策にならざるを得ないと思う。

人は、微生物の真っただ中に生きている動物にすぎないので、微生物の数に対応した数だけ感染症の危険はあるわけで、個別な感染症に対応する手段は、発生後、しかも危険度が大きいときだけ対応してきたのが歴史的事実だろう。先手必勝するための、無限ともいえる微生物を調べ上げ、危険を想定して対策するための莫大な費用を考えると、経済的破綻が目に見えるので、”アウトブレイク”をどの段階で認知して対応するかだろう。

今回も、WHO感染症への対応を報道を通じて知り、ネットワーク、人類への普遍的な愛を感じた。

感染症の検査は、発生し、世界大流行の兆し(アウトブレイク)を嗅ぎ取った後の、グローバル、迅速な対応能力を日々の報道で垣間見た。

ノロウィルスの検査も当初は、数日を要す検査法であったが、いまだに保険適応はないにしても、大幅な検査日数の短縮を見ている。

毎日の中でできること、バランスの良い食事で、並みの肉体を維持すること。

感染症の入り口となりやすい、口、鼻、目などの粘膜を、外出中むやみに素手で触らない。できれば、マスク、メガネなどで防御する。

帰宅後は、手洗いをする。家に入るまでに触れたところは、拭き取りる。拭き取った紙などごみとしたものには触らない。:この点は盲点になりそう。


選択の誤りを救うのは誠実である

2008-12-06 14:00:49 | インポート

毎日の診療で、医師になったことを後悔する場面は少なくはない。その時に、医師という職業を選択したのは誤りであったと、思うことがある。

化学療法後の造血障害で退院が数日延期されることになり、「体中が痛くて動けない。食欲はないし、食事は取れない。」と、訴え続けていた患者が、感染症になる危険性が低い状態に回復したので、「退院できる状態になった」と告げた途端に、荷造りをし、颯爽と歩いて退院した。この患者の退院の翌日の朝礼で、院長が、しみじみと、4.6時中治癒の方策で頭を悩ましていることの虚しさをかみしめて、

好きなアランの格言、”選択の誤りを救うのは誠実である”と、

日々の職業に誠実に向かう。どんな患者に対しても、同じ土俵で対抗しない。職業に忠実=誠実な仕事を貫くとの言葉であった。


大野病院事件:無罪

2008-08-21 23:46:26 | インポート

逮捕!されるかもしれない危険を常時背負った仕事という認識を強く持たざるをえない、事件であった。

人間は、病を得れば得るほど、年を重ねれば重ねるほど、個性的変化を遂げ、共通の、常識的範囲から逸脱し続ける、という知識が、欠如しているのではないか。

臨床医療は、重症疾患であればあるほど、刻々と変化する生体の情報を得たいが、情報収集=検査に関しては、厳しい制限が付けられている。

すべての患者さんは、並の危険度で、診療を受けたいならば、

並はずれた状態であってはならない!

これこそが、安全な医療を受ける最低限の資格条件だ!

不測の事態も、常日頃、時間を割いて、新しい文献を読み、研修会に参加しなどして、能力の劣化を防ぎ、常に進歩を目指している。しかし、知識の亢進、維持はそれほどたやすいことではない。

この事件は、患者家族は、結果が、意に添わなければ………という、醒めた気分を漂わせ、壁を超える努力への無力感を持ち込んだ。

医療は、危険この上ない作業の連続。患者と医師は、信頼感を保てなくなった瞬間から、並はずれた結果から後退し、常識的範囲内の結果に踏みとどまらざるを得ない。

大野病院事件から医療は変化した。

名義貸し報道から、医療は変化した。

今の日本の医療事情を世界と比較して報道してほしい。

医療費。

医師対患者数。

医療の質。

日本人は、損しているか?

医療の変化の今の潮流は、望ましくない!

変革は必要。

患者が、医師を信頼できないのは何故なのだ?


摘発続出:食の安全とは?

2007-10-28 16:25:48 | インポート

偽装牛肉コロッケ、出来立てで無かった赤福餅、地鶏でない廃用鶏”比内地鶏加工食品” など。

いづれも、食べた人からの健康障害で発覚したのでは無い。というところが、”みそ”というか”つぼ”というべきか。

表示と現物の違い。その原因はといえば、価格に見合う中身にしたらこうなったというべきか、利益率をあげるために、考えたら表示通りになんか出来ないということのようです。

この社会的体質を放置していてよいのか?

国としても未然に防ぐ方法を熟慮してほしい

マスコミも未然に防ぐ情報を頻繁に提供することができるはずだ。

消費者が、この値段でこの価格が手に入るはずがないと知る情報の提供。

原料を加工したら安くなると考えられるだろうか?いくら、大量仕入れ、大量生産といったって。

国産牛肉の生産はこの程度で、加工後食材としての提供量はステーキはこのぐらい枚数、になるとか消費者にわかりやすい情報伝達はできないのだろうか?税収から大雑把な把握はできないのか?

次から次へと犯罪者を作り上げる法律規制ではなく、未然に防ぐ=リスクマネッジメントとしての方策のための情報を発布するぐらい国がしてもよいのではないか。逃げ口上としての一度きりの白書を出すだけでなく。

叩けるだけ安く買いたたいて平然として、食の安全で困りますとかいってうそぶいている消費者が蔓延している日本。

人件費、材料費、利益で生活は成り立って生きていけるということ。

苦しさまぎれで、つい出来ごごろ。通ってしまうと2回3回と繰り返し、日常茶飯事の果てに刑務所に。犯罪人を出さない国造りはできないものなのか!


パニック症候群

2007-06-21 10:41:13 | インポート

19日 朝の朝礼

院長宇塚善郎は、急性白血病が1960年台のような必ず死ぬ医療水準が続いていたら、パニック症候群になっていたかもしれない。1人の豆腐屋さんの妻が、死体を前に何とか助けてくださいと懇願されたのをきっかけに、日本初の集学的研究として取り上げられる治療法を急性白血病細胞のDNA解析からつくりあげ、その後も患者の要望に応えようとしてきたから、医療の進歩でそれ以前より良い成績を挙げられるようになってきたからパニック症候群にならなかった。

初心に帰って、今不治といわれる病気も治るために何か出来ないかと考えることにした。と。

昨日、複雑な染色体を持つ青年が、完全寛解さえ困難と思われたが一度は到達したが短期間で再発。両親はこの事実を受け入れることができなかったのだろう。次の治療を開始予定前日、突然退院を申し出てきた。このような仕打ちで医師は傷つけられ、懐疑的になる。このような家族には引きづられず、前向きにさらに進歩を目指し、信頼している患者、、家族に応えたいと努力をつづけること、正当性はこちらだと主張することでパニックなどを回避していくことになる。

医学常識で、治癒困難が現実となってきたら、掌を返すように豹変して、言葉をたたきつけて闊歩して去っていく態度の患者、家族。共同体の一員で生きるという言い方に変えれば、常識外といって、医師は気持ちを清浄化するしかないでしょうか!


歌麿 紫の謎

2007-03-04 22:45:24 | インポート

3月4日 NHKスペシャルのタイトルです。

当時お上から禁じられていた紫という色を、浮世絵の庶民にふんだんに着せて描いていた歌麿の人物像に迫る内容であった。

女性を、しかもちらリズムにあふれた女性を描いた浮世絵師というぐらいの認識しかなかった私としては、歌麿は生きた女性を描いている。エロチシズムもたくましさも併せ持った女性、女権拡張論支持者とさえいえそうな気がしてしまいました。

庶民の生き生きとしたたくましさを、あの手この手で封じ込めようとする幕府の御禁制に対して、知恵を筆に託して独自性を発揮して描いた歌麿は、権力に屈しない人で、お上を揶揄する気概にあふれていた。


お産ラッシュです!

2007-02-01 19:06:58 | インポート

少子化といわれていますが、当院では無縁です。

でも、病院なので看護基準を遵守するために、四苦八苦しています。

育児休業中、現在1名。

間もなく出産休暇に入る看護師2名。

夏前にもう2名。

45床しかない病院です。

育児休業明けに戻ってくると期待していると、配偶者の転勤だったり。

仕事を継続していても、子供を安心して生み続けられるという環境を仙台血液疾患センターは提供し続けています。

沢山看護師さんが応募してくれて、仕事をしながら子供を生み育ててほしい。


診療報酬改定の余波:看護師不足

2006-09-23 16:20:57 | インポート

3月ごろまでは、看護師不足とは無縁だったのに、景気回復のためかは知らないが、大都市へ夫の転勤に伴って、かってない規模の看護師が離職した。個々しばらくは、中途離職者は伊豆、院内保育所の完備もあり、職場環境は良いので、補充は容易と思っていたが、応募に応じてくる人は転勤者の3分の1程度で会った。この異変はいったいと思っていたが、各大学病院で100人規模の看護師募集が平成18年中ごろから始まっていた影響をもろに受けたと今は理解してがら四苦八苦している。

 大学病院の大募集は、4月の診療報酬改定で、入院患者に対する看護職員配置数に応して、より多くの報酬を得られる仕組みの強化に呼応した収入増加としての措置だろう。

 従事看護師の新たな掘り起こしもせず、急激な変動を呼び起こした、今度の診療報酬の大改定は、医療の供給体制の不安定をもたらしただけではないのだろうか。

大都市圏への集中、大病院志向に拍車をかけて、どんな目的を達成しようとしているのだ?


さかさまの世界 ハイネ

2006-07-11 17:33:41 | インポート

昨日は、専門外の研究会に参加しました。とはいっても、興味を持っ研究を続けている、拡張型心筋症関連です。

参加した弁を、今朝の朝礼で、院長

枯れ木に花をでは無く、枯れ木を花にするにたとえ、参加者5名増

長靴を履いた猫が、アンチゴーネを演じ

しぎが猟師をうつ  ハイネの詩集「さかさまの世界」にたとえて

自らの質問の場を表現しました。


日野原重明氏は現役の医師!?

2006-06-16 16:00:17 | インポート

宮城県の地方TVで、日野原重明氏が県内を訪問している映像の紹介で、現役の医師と報じていました。

現役の医師という紹介文言に、医師に求めることは一体なんだろうと考えてしまいました。

日野原氏の近傍にいないので、日常の行動を知りませんので現役医師という立場を否定しているわけではありません。

現役の医師が行わなければならない仕事としての義務の範囲は一体何なのか?元弁護士とか、元教師とかと紹介されますが、医師は、元とはならないのか?医療行為とは一体何を行うことなのか?

新しく導入された医療機器を使いこなすためのストレス、血管確保に悪戦苦闘し、患者側からは、説明が不十分、そんな話は聞いていないとかなじられている、市井のしがない医師の感想です。


呼吸器取り外しで考えたこと(3):在院期間は?

2006-04-10 14:33:25 | インポート

呼吸器取り外しを指摘された外科医は、救命のために取り付けたので延命のためではなかったが、と報道されていた。入院期間はどのくらいなのだろうか?

医療保険では、入院医学管理料は、病院の規模で規制されているが、在院期間が長期化すると削減されるので、有形無形の圧力が、管理者、事務側からかかってくる。重篤な患者は、長期化するし、退院は困難で、在院期間短縮の圧力は、医師の良心さえもゆがませるほど強いもので、私の大学病院時代ははねのけるため疲労困憊した。今回の人工呼吸器は、救命のためから、延命措置に変化して、取り外さなければならないほどの状態の変化があるわけで、入院期間長期化による、圧力が引き金になったということはないのだろうか?


人工呼吸器取り外しで考えたこと(2):”救死”に関する医学教育の必要性

2006-04-05 00:34:40 | インポート

内科医である私が、人工呼吸器を取り付けなけらばならないと決意するときは、死をまったく予想していない状態の患者に、突然の呼吸停止状態が起きたときで、救命のためで、延命のためではないだろう。

造血器悪性腫瘍を専門としているので、すべての患者が元気で退院するわけではない。万策尽きて、死を予想しなければならない、いわゆる”終末期医療”に直面することもある。心拍もかすかになり、呼吸も最期のあえぎをしている患者を前に、家族の意向をはかりかね、とるべき対応に苦慮する。呼吸停止、心停止をしても、心臓マッサージをなほ要求される場合もある。医学根拠による判断を否定されたような、複雑な心境でうつろな行動をとることになる。、

絶対に避けられない”死”。 

医学教育で、死は”どんな場合も医学の敗北”としての教育を受けてきたが、長期に病悩する患者の傍らにいた家族が、死を向かえほっとする家族の姿を見つめてきて、”救命”だけでなく”救死”ということについての医学教育があってもよいのではないか。