連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

目覚めのトラは

2024-04-24 10:51:40 | ペット

トラの、我が家の初日は、家じゅうの探索なのか、姿が見えなかったが、布団に寝たら、ゴロゴロと鳴きながら、首の上を何度も往復してから、そのまま、襟巻状態で静かに。思いという感じもなく、猫の毛は気持ちいい!と実感。私は、じっと移動を待ち続け、でも、頭はなるべく動かさずに、体をわずかに動かしたら、首から、今度はわきの下にきて、寝付きました。私も寝付きました。

朝、起きだしたら、すりすりゴロゴロ、もふもふなめらか気持ち良い手触り。

毎朝、目覚めると、よみがえってくれてうれしい!というように欠かさず傍らに居続けてくれたトラでした。

古い写真です。生垣に上れて得意げなトラ

一年後子宝に恵まれ子と一緒の1ち年後のトラ

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サンスクリットを学ぶ

2024-04-23 13:58:08 | 日記・エッセイ・コラム

卒塔婆、石碑などに書かれている、”梵字”。

今は、梵字と認識しているけれど、かっては、記号に見え、意味は?

判らないことが嫌で、仏教関連書物を調べると、簡単に、梵字と分かった。

五輪塔の梵字の意味は?

佛様に、固有らしい梵字があるのも知り、

もともとは、紀元前にインドで使われた文字。

それが、仏教で、それぞれれの佛様を示す湯になったのか?

と興味を持ち、言語であるということから、さらに知りたくなり、

学びを開始。教えを授けていただく道は、

私の前には、現れず、ひたすら、関連書籍を読むに留まっているが、

日産鮎川義塾の中の研修で、熟成限定の、

【特別梵字講習会】、【祈りの文字~梵字練習会】に参加しながら、

梵字になじんでいるところです。

梵字展覧会に参加するために、書いた文字。上段は、阿弥陀様の、み。下段は、ぎゃ、(般若心経にでてくる、ぎゃてい、ぎゃていの”ぎゃ”)

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猫を初めて飼い始めた日。名前は、とら

2024-04-20 09:54:43 | ペット

トラが来た日 1996年8月25日

 職員が、一日の仕事を終え帰えってしまうと、一階の事務、外来階に、残されるのは、当夕食準備に忙しい厨房職員と、当直医師の私が、ぽつねんと一人残される。手持無沙汰なので、病院にたむろする猫に餌でもやろうと、通用口脇、非常階段下のえさ場にでていこうと、ドアに近づくと、白い毛の顔を上げて鳴き続けている子猫がいた。屈みこんで。ドアのガラス越しに顔を合わせても、じっと私を見つめて鳴き続けている。ふと、劇団四季の、「ユタと不思議な仲間」にでてくる、【わたわたあけろじゃかかい】の一節が湧き出しし、ドアを開け、近づいても逃げもせず、泣きづづける姿ている。右のお尻の毛が円く抜けていて、中心部にかさぶたができている。撫でたら、顔をすりよせ、抱き上げても抵抗もしない。自宅に連れ帰りたくても、当直だし、院内に連れ込むわけにもいかないから、そっとしたにおろし、ドアを慌ててしめ、また、連れ帰れる時間に会いに来たらねと、心の中で思いながら部屋に戻った木曜日の夜でした。

 再び、病院周りをうろついているのは見つけたのは、日曜日、午前のカルテ診察、病棟を一回りして、帰ろうと外に出ると、先だての猫がうろついている。自宅に連れ帰る気満々で、屈みこみ、近づいてくるの待ち、抱きかかえ、院長から“車に同乗して、帰ったら?”と誘いの声をかけていただいたのをこれ幸いと猫と一緒に、乗車、帰宅。車中に、猫をおいて、鍵を開けているすきに、車から降りて、様子をうかがっている向かいの猫に近づいていったら、威嚇され、車の下に逃げ込んで、それから、誘い出すのにひと悶着後やっと、車か出てきて抱っこしてくれて、家に入れることに成功。家で飼うにはどうしたらよいか、犬を飼った経験しかなかったので、次から次に、餌は?犬は散歩で排泄させるが、猫は?並のえさは食べ無い子猫で、離乳前だったらしい!なんとか、知識を得て、猫のトイレ購入が最優先であることを知り、購入先で思いつくのは、東北大学病院近くのケンネルクラブ(ホームセンターで、売っっているのは全く知らなかっただったので)に、出かけて購入。ついでに、猫砂なるものも教えていただき、目の届く範囲に置く。自宅に設置するまで、長時間かかっているのに、まったく、部屋を汚していないのに感心しきりでした。

猫好きな人は、猫のトイレをしつけるのも大変なのに、最初からできたのは良かったですね、とのことにも驚く。

名前は、黄色と薄黄色の縞模様。こだわりもなく、寅年生まれも多かったこともあり、【とら】と命名。

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人の感情は、時代を超えて同じ

2024-04-15 17:36:58 | 日記・エッセイ・コラム

古代人。
最近の遺跡発掘から、明らかになってきている事実は、今生きている私達が、思い込み、想像していたのは、見る手段が乏しく、限定知識が全てと自惚れた結果で、普遍喧伝されていた事実と認識させられていたことの修正を余儀なくさせられている。
ツタンカーメンの柩の中から花が見つかり、クフ王のピラミッド作成に携わった人達は、サラリーマン、職人の町に居住し、環境も優遇されていた事実が、昨今の発掘で明らかにされ、従来の奴隷説は一蹴。世界各地から、色彩センスの良い、精細な装身具が発掘。
古代から、人は、美しい物に憧れ、美しく装いたく、美味しいものを食べ、近しい人とは仲よく、清潔な環境で、穏やか暮らすという、嗜好は変わらずにあった。
自然の猛威で、都市を棄て、流浪の果てに、たどり着いた場所で混血したり、新しい町をつくったりを繰り返して今に、命、生活を繋いできたのだなと思う。

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生命保険の支払い渋り

2024-04-13 18:57:53 | 健康・病気

3月1日、骨折手術について、生命保険給付対象となるかについて、第一生命保険会社仙台総合支社、青葉氏支所に、FAX送信した。4月14日になっても、らちが明かない状態が続いている。

第一生命は、セールスレディ制度をとっていて、1977年、初期研修後の、新人として医局に出社したら、そこに、手ぐすね引いて待機していた、第一生命保険のやり手のセールスレディに、生命保険加入を勧められ、加入した。

その後、新保険への変更などを勧められるままに、加入を続けていた。後期高齢者対象まじかになった、2023年初頭から、新たな変更は、誕生日までにしなければいけないのでと、いろいろ誘いを受け、変更しますかとなってkから、変更時の保証人は、60歳以下ですということで、知人の子供に依頼し、新たな保証人に承諾を受けましたからと連絡後、なしのつぶてで、期日が迫ってきたので、連絡をしたら、担当者が体調不良で、休職中でという返事となり、その保険は、掛け金も高いので、解約とした経緯がある。

そして、今回は、前回解約連絡担当した責任者に、骨折手術は、生命保険の給付対象になりますかとFAX送信し、電話で、連絡しますとあったが、一週間たっても連絡がないので、再度3月8日にFAX送信したらば、部署が変わりますので、次回からは、○○が担当者となりますと、電話連絡があった。○○さんい、連絡したところ、大腿骨骨頭骨折は、給付対象となりますので、本社に連絡し、その後、書類が届きます。と電話連絡があり、3月13日に、必要書類を添付して投函し、3月18日には、第一生命本社に書類が届きましたと3月19日、SMSに連絡をいただいた。

4月1日に、事故当時の経過の書類が同封されていませんので、と連絡があり、要求された書類はすべて同封しました!と返事をしたらば、担当のセールスレディが、”書類を持参してお伺いします”といってから、連絡がなく、あまりにもまたされるので、本社に4月11日に、電話をかけた。コンタクトセンターの担当者に、届いていない書類を、FAXで送信してほしい、と依頼したらば、FAXでは、送ることはできません、連絡は、固定電話のみで、連絡させていただきますので、携帯電話では、連絡できません。との対応であった。仙台支社、青葉支社との対応は、携帯電話でしてきたので、ここにきて、携帯電話では連絡できないということは、日中留守がちな身にとっては、第一生命は、提出書類の不備を理由に、保険金支払いを反故にする意図なのでしょう。

4月10日、コンタクトセンターの対応アンケートが来たので、電話は、比較的速やかにつながったなど、アンケート内容は、わかりやすかったが、ネガティブ回答で、誠意が感じられなかったなどについての項目はなく、自由回答欄で、対応不誠実で、今後第一生命の加入は、知人には、勧められないと記入。

4月12日、担当のセールレディから、訪問日程についての、問い合わせの連絡が、携帯電話からあった。4月1日に、訪問日程について、連絡後、s連絡してこなかったことについて、完全忘却の話しぶりに唖然。

保険請求から、1か月半、まだまだ、時間がかかりそうな、第一生命保険会社です。

生命保険会社の、患者に対する、支払い回避対応に、、主治医として腹が立つ経験を何度もしてきたが、わが身についても、不誠実な、生命保険会社の態度にうんざりです。

 

 

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語彙不足

2024-04-07 16:05:42 | 日記・エッセイ・コラム

五七五で、病院生活、診療、をと、思いはあふれても、言葉におこせない嘆き。

自分の、入院生活の記録。

3月9日 仕事診療再開で、近々に入退院した患者と

排泄の 苦労話に 盛り上がる ベッド安静 経験どうし

 

2月15日術後

麻酔切れ 襲う痛みは 果てあると 思いながらも 痛いと叫ぶ

 

2月9日~2月15日入院後から手術前まで。

ベッドわき 座位足下げで 可となるが 遠い昔は おむつ排泄

期待せし 緊急手術 告知なく 切羽詰まるも 終日無為

寝て座る 全てベッドで 目耳手の スマホ操作で 外とつながる

 

2月8日2週間前に受診した整形外科医で、

顕性に なりし骨折 救急で 受け入れ先に 搬送されし

搬送後 ストレッチャーで 長待機 対応麻痺の 生理限界

日常の 羞恥伴う習慣は 可なるには 意識無くして 初めて可なる 

 

2月6日 東北新幹線始発で、仙台駅。

激痛を 一晩耐えて 車椅子 JRに頼み 安ど一際

耐えに耐え 跛行の脚は 突然に 右短足は 復す能わず  

 

2月5日 首都圏から東北にかけて大雪。仙台便欠航。急遽、JRで、東京まで。

宿無いが 管轄外と 改札で 車椅子降り 駅社外へと 去らねばならず

車いす 管轄ごとに 異なりて エリア外では 放逐されて

首都の雪 急遽の宿は 有りもせず 駅は閉ざされ 外で一夜を

変更後 帰路のめど無く 停泊を 算段するが 寒風一夜

 

2月4日 天草に。

常ならず 援けを借りて 天草に 障碍者旅 チャレンジとして

異常なる 気づきし人は 職員に サポート願う 医師なればこそ(福岡地下鉄、空港駅で)

フェリーに タクシーを 乗り入れ許可し 職員の 休憩室を 提供され

敗戦後 豊かになりて 車椅子 公共駅に 常備され有り

 

1月31日

ひねりして 歩行叶わず 

己が身を 移すことさえ ままならぬ 企図することは 妄虚となりぬ

 

 25日、昨夜来の雪が積もっている。

駅近く 踏みしめ凍る 道にては 自転車滑り あっと転倒

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