平成27年10月24日 小野喬先生逝去の報に接し、寂しさがあふれています。
今年4月の、治療の際に、『先生にお世話になり始めて45年になります。』と歓談の折に、
『50年目には、長きにわたり診療を続けられたことに感謝してお祝いしようか』と、
先生が話されておりましたのに!
医学部に入学後、まもなくしてから、次々と体に支障が出始め、
いわゆる虫歯とはことなる、歯の根元がしみるという異変が、次々と広がり、東北大学歯学部病院を受診し、予診を経て、保存科にまわされ、担当医となった先生が、席を離れ、小野先生とともに、私の歯を診察。
『今。研究している素材にはうってつけ!』ということで、小野先生に、終生歯の診療をしていただくことになりました。
当時は、金属が主流で、根元に目立つ銀色が並ぶようになるという精神的打撃が、
小野先生の一声、『こういう病変の歯がほしかった!。僕の患者にくれるの?いい?』で決まり、
当時は、レジン充填は研究が始まったばかりで、
実用されていない時代に、まったく目立たない白い歯の処置をしていただきました。
歯科病変が、膠原病関連の一症状だとわかり始めたのは、ずいぶん時間がたってから。
学生時代の、レジン充填は、10年どころか、20年も持ちました。
宇塚先生が仙台血液疾患センターを開院した平成3年以後、私の歯の主治医の先生に、入院患者に歯科衛生歯磨き講習会を依頼してもらえない?ということからはじまり、歯科通院困難な血液疾患患者の往診を聞きうけてくださり、しかも、往診謝礼は受け取られず、誠心誠意対応していただきました。
今年は、恩師宇塚
善郎先生の逝去、今また小野喬先生の逝去と、長く見守っていただいた方、やっとここまで来れた!と報告できる方に去られ、年をとった悲しみを知ることになりました。
自分の歯で、咀嚼できることに、心から感謝して、ご冥福を祈ります。
今年4月の、治療の際に、『先生にお世話になり始めて45年になります。』と歓談の折に、
『50年目には、長きにわたり診療を続けられたことに感謝してお祝いしようか』と、
先生が話されておりましたのに!
医学部に入学後、まもなくしてから、次々と体に支障が出始め、
いわゆる虫歯とはことなる、歯の根元がしみるという異変が、次々と広がり、東北大学歯学部病院を受診し、予診を経て、保存科にまわされ、担当医となった先生が、席を離れ、小野先生とともに、私の歯を診察。
『今。研究している素材にはうってつけ!』ということで、小野先生に、終生歯の診療をしていただくことになりました。
当時は、金属が主流で、根元に目立つ銀色が並ぶようになるという精神的打撃が、
小野先生の一声、『こういう病変の歯がほしかった!。僕の患者にくれるの?いい?』で決まり、
当時は、レジン充填は研究が始まったばかりで、
実用されていない時代に、まったく目立たない白い歯の処置をしていただきました。
歯科病変が、膠原病関連の一症状だとわかり始めたのは、ずいぶん時間がたってから。
学生時代の、レジン充填は、10年どころか、20年も持ちました。
宇塚先生が仙台血液疾患センターを開院した平成3年以後、私の歯の主治医の先生に、入院患者に歯科衛生歯磨き講習会を依頼してもらえない?ということからはじまり、歯科通院困難な血液疾患患者の往診を聞きうけてくださり、しかも、往診謝礼は受け取られず、誠心誠意対応していただきました。
今年は、恩師宇塚
善郎先生の逝去、今また小野喬先生の逝去と、長く見守っていただいた方、やっとここまで来れた!と報告できる方に去られ、年をとった悲しみを知ることになりました。
自分の歯で、咀嚼できることに、心から感謝して、ご冥福を祈ります。