連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

閉院に伴う蔵書の廃棄、同時に再発見;比類なきモーツァルト

2013-03-21 18:41:12 | 日記・エッセイ・コラム

事業譲渡により、院内の物品の廃棄が、ドシンドシンと断行。

居住空間の整備も同時進行。

多くの医学書の廃棄、一般書の廃棄も。

埋もれていたほんの再発見もあり、慌てて取り出し読み始めた一冊は、

発行年は、仙台血液疾患センターが開院した1991年という縁もあって、

”比類なきモーツァルト”ジャン=ヴィクトール・オカール 武藤 武史訳

比類なき=Unique 他からかけ離れている。比較しようが無い美しさ と書きだしていた。

そして、モーツァルトは、「たとえヨーロッパ最高のピアノをあてがわれたとしても、それを聴く人が音楽を理解しないか、あるいは理解しようともせず、私が演奏している曲を私といっしょに感じ取ってくれないなら、私は演奏する喜びをすっかり失ってしまうでしょう」

猛烈な努力家、力量を備えたテクニシャン、音楽に関する科学者

モーツァルトの言語の多様性の一章は、あらゆる文化を取り入れる柔軟さと、自分独自に高め音楽にしてしまう才能。くつろいだ、人なっつこさ、ほのぼのとしたなど、などの記述で、旅行の度に身につけていく雰囲気。

バッハの純粋なる精神的高揚に敏感に反応し、蘇らせた才能

希求心。

生み出された音楽は、晴れやか

オペラでは、演劇人。共同作業で、舞台効果を狙った音楽。

自己認識による愛の浄化

光を通す。内部の光源から光を発する。晩年の透明性

蔵書が、体制の変更で次々と廃棄される忍びない気持ちを、良書に再びまみえて落ち着かせてくれた。本は、読書は心を豊かにしてくれます。

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事業譲渡に伴う植木の伐採

2013-03-20 10:42:11 | 日記・エッセイ・コラム

2012年の梅20120331074900011

2013年2月25日 事業譲渡契約成立前、

病棟の旧物品搬出の騒然とした慌ただしさの中で、

高齢の院長は、心中穏やかで無い不穏状態に有り、

種々対応に追われていた齋藤が気がついたときには、

梅、朴、あじさい、雪柳、山茶花、金木犀、紅葉、山法師、山茱萸、栃、月桂樹、もち、ゆずりは、しろだも、柏、ぶな、にしきぎと、高さのある木はのこらず、木株だけになっていた。

2013年の梅はPhoto

根こそぎでは無いので樹木の生命力に期待する気持ちで、悲しみをこらえている。

そういった日々のなかでの診療で

日常の不安を、受診したのだからとばかりに訴えてくる

高級を身に纏っている高齢の女性患者から、

”おめでとうございます”といわれ、雰囲気には無頓着な生活感を感じた。

日々、輸血など切実に受診している患者は、

3月1日の変更を不安の中で迎え、

医師の顔をみて、ほっとして涙ぐんだのとは、別の世界の患者。

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高齢者医療

2013-03-17 11:45:50 | 健康・病気

事業譲渡が成立した3月1日から、入院患者の受け入れが始まった。

医師不足で、援助を依頼されたが、まさか、新規開院当日の当直をお願いされるとは!

そして、2週間が過ぎ、満床となっていた。

この間については、関与を拒否といってもよい情報無しで、

当直、医師不在時のお留守番医師というスタンス。

「終末期を、自然状態で死を迎えさせる」 見守りだけ という、事務方からの連絡事項のみ。

開院後、3名立て続けの死亡確認に齋藤が直面。

その有り様を、患者家族、職員は、受け入れているのだろうか?と、観察に徹した2週間余。

家族の死は、そして死を迎えた患者に対する職員の気持ちは、

手厚く、そして安らかに送ってやりたいと言うことに変わりは無い!と認識。

オリエンテーションも無いままの職員の対応力を過大評価というべき、

事務サイドのみでの、患者受け入れの、ひずみが噴出した3例目の死亡。

その直後、転院3日目の男性患者の状態はダウンヒルとなり、

その対応に、齋藤が余儀なし。

専門疾患の治療に専念し、高齢者の治癒退院後の困難さは熟知していたが、

脳血管疾患、癌治療後などでほぼ寝たきり、終末期を迎えるばかりの

高齢者のみならず中年以降の患者の多さに改めて驚いた。

前の病院は、入院長期化を避けられると、

両手を挙げての転院要請であったのだろう。

東北大学第3内科血液グループ、仙台血液疾患の診療は、

診断からその後の人生を共にという診療形式であるので、

死亡時でのみの関わりに戸惑っている。

死亡退院時には、長い社会への貢献に思いを馳せながらの、送り出し。

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長崎角煮まんじゅう余話;東日本大震災の記憶へ

2013-03-13 21:38:01 | 東日本大震災

院長宇塚善郎先生のホワイトデーは、長崎角煮まんじゅう(岩崎本舗)を返すのが恒例

2011年3月11日、あの大地震後

食糧供給を途絶を深く実感し、

家族の食料を求めて騒然としている看護婦を目の当たりにして

ホワイトデーに、角煮まんじゅうを予約してあるのを突然思い出し

岩崎本舗に13日電話をした。

岩崎本舗の方 「品物はご用意できるのですが、発送を止められているのでございます。」

当方は 「??、待ち焦がれているのです。」

岩崎本舗「東北方面への商品発送は、制限されているのです。」

当方は「ハー?」。タンパク供給源にと、藁をもすがるつもりでの電話、

正確な期日達成の宅急便配達は機能していない! 

そういう事態を受け入れなければならない状況におかれていることを実感し始め、

きわめて速い電気の復旧で14日昼ごろには、テレビがみられるようになり

被害の実態を認識し、

南部道路の異様な静けさと、

荒浜方面の爆発音は、地震後の火災発生であるのを悟り始めた

2011年3月11日東日本大震災発生後、

家族総動員で、患者、職員のために食糧確保に駆け回った。

ホワイトデーを迎える前の長崎角煮まんじゅうの記憶

今年は、予定通りの到着

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2013年3月11日;東日本大震災から2年

2013-03-11 13:36:29 | 東日本大震災

あと、1時間ほどで、14時46分、地震を感じ始めた刻を迎える。

なかなか揺れは収まらず、どこから発生したかわからないほこりに視界が遮られ、外はどうなっているんだろうと安全確保のために、潜り込んだ診察室の机の下で考えた。

たまたま診察していた患者は1級建築士で、構造強度を目算し、安全安全と立位を保持していた。ほこりが発生しているので、首をかしげていた。

津波にさらわれた大地は、更地のまま。

住民は、流民と言ってもいい状態を続けざるをえない被災者が沢山いる。

損傷を受けた建物は、徐々に修復されているが、まだまだ。

被災後の、やるせなさは深く心に刻み込まれている。

宮城県の農民は、復興へ弛まざる努力を行うことが出来る。

福島県の、警戒区域、汚染地域の農民は、やることが無い。生き甲斐が無い。考えると木が変になってくるという。

家族の安否を確認出来ない不明者の家族は、鬱になってしまったと嘆くが、

突然の生活の喪失、家族の喪失に、耐えるのに、定型など無い。

泣き続けたあとの、憮然、高笑いさえも、心を支える努力のなっせるわざ。

当事者は、時間の流れの中で、

もとには戻らないことを悟り、

心穏やかになる環境の変化と、刻に身をゆだねている。

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閉院;仙台血液疾患センター

2013-03-09 14:39:03 | 健康・病気

2013年2月28日をもって仙台血液疾患センターは閉院。

同じ建物、同じ病床数で、2013年3月1日に、社団法人 葵会が運営する 

仙台富田病院 が 開院。

経緯は、多くの負の要素が重なった結果です。

3月1日の、事業譲渡書類の取り交わし、

慣れ親しんだ、院長室の外の木の伐採は、かなしく意気阻喪しました。

院長 宇塚善郎、医師 齋藤淑子は引き続き、従来の院長室の住民として、

外来血液患者の診療に当たっていられる幸せも噛みしめています。

従来と異なり、高齢者の、血管障害による状態悪化の患者の入院が主となっており、

医療現場の風景は変化しました。

高齢者医療について、新たな視点を獲得する機会に遭遇したので、

高齢者の代謝を考えながら、

”薬物投与””栄養管理”について深く考えていこうと思います。

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