昨今のフィブリノーゲン製剤に関するC型肝炎に関する訴訟は、
現状打開の新しい治療法開発の一端を担う立場にある臨床医として、無関心ではいられない。
まったく、未解明、認識さえも出来ない未知の物質を含んでいて
一昔も、二昔も、三昔もの過去の臨床行為に対して、結果が思わしくなければ
賠償責任を負わなければならないのか?
一律救済!
輸血に伴う同じような患者集団に対しても、一律救済の方向性を国は出してくれないか!
なぜ、フィブリノーゲン製剤使用をした出血傾向をもった特定の患者だけが対照なのか?
声無き民は無視ということなのだろう。
声無き民はいつまでも声無き民ではない!
金銭が手に入る、疾病を、病気治療の一環の過程で発生したならば、
賠償金が入るのが当然と考えだすのは当然の帰結と思うが。
”死ぬかも知れないのが、輸血によって、助かったんだから、国民一人一人に、433万円の負担に更なる借金を背をわせるわけにはいかない” と考えるか?
医療行為は、常に危険と隣り合わせ。
患者の状態、患者の過去の履歴、患者の遺伝的背景は、わかるようでわからない未知なる情報収不可能なことがほとんど。わかることは、ほんの一握りの、知らなければならないと考えて検査できる(出来るここが重要!ほとんど検査できないことが多いのです)わずかであるがやっと手に入る検査結果に基づいて診断し、治療する。結果は個人差があるから、ほんとは毎日でも検査したいが、健康保険では、許されない!
医師の力量、医師の当日の体調など、人間である生身の人間である部分の不可解さ、
知っていても、うまく出来ないとか、知っているはずなのに、さらさらと立て板に水を流すように記憶の底にある知識を取り出せない、などなど。
賠償対象となるような結果が起きる可能性の連続である医療現場
(医療過誤ということではなくて!)
万能は神のみ!
万能は過去を、現在の知識であぶり出す方式
過去は過去。未来は未来。この事実は永遠不滅。
重篤な生命危険と隣り合わせている病気ほど、望まない結果が付きまとうのが病気。
だったら、医療費は、全国民無料に!
国民一人一人が、医療費無料の金銭を負担せよ! と言い出さないのか!?政府、議員よ!
輸血製剤、生物製剤の原料は2007年12月の時点で、未知の物質を含む不均一な原料を使用した薬剤で、いずれ結果責任を負わなければいけない疾病発生の可能性を占めている。