5月23日、仙台血液疾患センターとして建てられた建物は無くなりました。
起工、開院された恩師宇塚善郎先生の、祥月命日5回忌の朝にあった非常階段も夕方には取り払われました。
昨年末の12月14日昼に、患者の移送が終了後は、おしまいとしての人が出入りするだけでした。
建物を利用したいという人がいるらしいというのは噂だけで終わり、
市街化調整区域内で建設が許された医療機関としての引き取りては無かったのでした。
仙台血液疾患センターは、1991年5月1日開院、2013年2月28日閉院しましたが、医療法人としての廃業は、いまだ、宮城県の医務課から許可されていません。廃業に向けての種々の手続きは、弁護士に一任しているので、法人消滅を止められているのは、県からの通達だということを知るのみです。
廃院後5年の経過中、法人廃止手続きについて弁護士に問い合わせていたのですが、虚しくなり、問い合わせをしなくなったので、”未だしているし存続している”のを知るのは、税務署からの確定申告用紙が送付してくるからです。
終わることの大変さを、実感しています。
映画の予告で、館ひろし主役の”終わった人”で、退職は生前葬だなという大きな字は、
入院患者引き受け中止後、患者の急変待機で、年中、四六時中拘束から解放されたことによる、よるべなさ、いかに自主的に時間をやる過ごすかという現実に直面し、戸惑ったのを思い出してしまいました。
書き残した、医療データーを整理しては、投稿し、
幼き頃から上達を夢見ていた、笛、お茶の稽古を始め
専門分野での研究とか、医療業務に従事の道は締め出されている現状はあるものの、
臨床医としては、外来のみで対応可能な血液疾患患者の診療も、高齢患者対応分野の医療業務も、自らリタイアしなければ従事していられる、幸運な環境にあります。
始めの仕事は、次はとかとか執着した行動をとることが多かったような気がしますが、
古希まじかの今、毎日の過ごし方の気持ちが我ながら不思議です。
SBDC 解体顛末
6月5日 かきねなく つちあらわれて がれきのみ うえこみきぎの ねかぶもともに
6月13日 すいでんと ついじのさきは かわむこう くまののやまが ひろがるのみ