本日、9月第3週の月曜日は、国民の祝日敬老の日。趣旨は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」。
”多年にわたり社会に尽くしてきた老人”
対象は、曖昧模糊とした若くない人。
100歳以上の人口が、6万人以上。
90歳以上は、200万人以上。
80歳以上は、1000万人以上。
70歳以上は、2500万人ぐらいだそうで!http://www.stat.go.jp/data/topics/topi1030.htm
老人とは?
生物学的には、個人差があるので、社会的要因で規定しようとしているので、
年金受給資格の年齢、健康保険区分の論議とリンクして考えざるを得ません。
仕事は、馴れ親しんできたので、加齢による変化で適応力が低下してきても、適応のための努力は、新しいことに取り組むよりは楽ではないでしょうか?定年退職という制度で、継続不可能な現実もあります。
仕事をしていた時間の過ごし方という現実もあります。
独居の高齢者。
四捨五入すれば、70歳となる我が身は、高齢者議論の渦中の一人ですが、自覚は、有るような無いような。
教育職は定年となりましたが、収入は激減しても、継続中。
医療職は、四六時中、患者の急変に対応して夜間だろうと呼び出しに応じていたのは免除されたのですが、
仕事以外に時間を費やすこと、潔しとせず過ごしてきたので、、
毎日、夕方からは拘束が無くなったのに、戸惑いを感じながらも、
やりたかったことを、はじめています。
データー整理、文献投稿に、いそしみながら、オリジナル原稿としてのデーターが尽きたとき、
社会から請われない、趣味的なことをするだけになったとき、
どのような時間を過ごしていかなければならないのでしょう。
2016年度、仕事についていた65歳以上は、770万と報告されていました。
仕事の内容、賃金の分析内容にも興味があります。
年金だけでは、生活できないので、仕事をせざるを得ない。
能力を買われて、仕事を継続している。
敬老の日の対象 ”多年にわたり社会に尽くしてきた老人”、
これからも社会に尽くすという、再決意をする日としたいと、思っています。
年金は、自分が収めた額以上は使わずに、
わが両親のように、病悩期間は短く、介護保険は一切使用せずの、
肉体を維持できた幸せな一生であればなと
”多年にわたり社会に尽くしてきた老人”
対象は、曖昧模糊とした若くない人。
100歳以上の人口が、6万人以上。
90歳以上は、200万人以上。
80歳以上は、1000万人以上。
70歳以上は、2500万人ぐらいだそうで!http://www.stat.go.jp/data/topics/topi1030.htm
老人とは?
生物学的には、個人差があるので、社会的要因で規定しようとしているので、
年金受給資格の年齢、健康保険区分の論議とリンクして考えざるを得ません。
仕事は、馴れ親しんできたので、加齢による変化で適応力が低下してきても、適応のための努力は、新しいことに取り組むよりは楽ではないでしょうか?定年退職という制度で、継続不可能な現実もあります。
仕事をしていた時間の過ごし方という現実もあります。
独居の高齢者。
四捨五入すれば、70歳となる我が身は、高齢者議論の渦中の一人ですが、自覚は、有るような無いような。
教育職は定年となりましたが、収入は激減しても、継続中。
医療職は、四六時中、患者の急変に対応して夜間だろうと呼び出しに応じていたのは免除されたのですが、
仕事以外に時間を費やすこと、潔しとせず過ごしてきたので、、
毎日、夕方からは拘束が無くなったのに、戸惑いを感じながらも、
やりたかったことを、はじめています。
データー整理、文献投稿に、いそしみながら、オリジナル原稿としてのデーターが尽きたとき、
社会から請われない、趣味的なことをするだけになったとき、
どのような時間を過ごしていかなければならないのでしょう。
2016年度、仕事についていた65歳以上は、770万と報告されていました。
仕事の内容、賃金の分析内容にも興味があります。
年金だけでは、生活できないので、仕事をせざるを得ない。
能力を買われて、仕事を継続している。
敬老の日の対象 ”多年にわたり社会に尽くしてきた老人”、
これからも社会に尽くすという、再決意をする日としたいと、思っています。
年金は、自分が収めた額以上は使わずに、
わが両親のように、病悩期間は短く、介護保険は一切使用せずの、
肉体を維持できた幸せな一生であればなと