トラちゃんの離乳食をどうする?
病院に集まってきていた猫たちへのドライフードをトラは食べていません。猫には、魚という定型的思い込みで与えてみましたが、食いつき不良です。院長先生は、仕入れ当日に鮮魚を売り切ってしまう長町駅前、スーパーマーケット内にある魚店から、新鮮なアジを、たたきにして届けてくれたところ、食べてくれました。それに味を占めた院長先生は、日参し新鮮な魚のたたき、刺身を毎日届けてくれました。
いろいろな種類のえさを食べる、魚好き、雑食猫になりましたが、愛嬌のある好かれる猫になり、トラに触りたい、抱きたい人が、いろいろお土産持参の訪問者が増えました。その結果は、スーパーに陳列してある刺身は食べない、有名S店の笹かまぼこは、大好物なのですが、スーパー販売のは、ぷいとたべない、ホタテは、あぶった程度が大好きで、歳シミは今一つ食いつきが悪く、一番大変だったのは、生き毛ガニをいただいたとき、殻ごとやきはじめたら、レンジ周りに座り込んでやきあがりを待っている始末です。
グルメ猫の評判をとり、トラちゃんがほくほくがつがつ食べてるから、鮮度が良くておいしいんだねと言われるまでになりました。
飼い主の私は、自分の食料品は週一回の宅配品で済ませることが多く、めったに買い物に出かけないのですが、トラちゃんが、食いつきの良い、市販の猫缶、ドライフードを常備品以外の、買い物は、好みであろう鮮度の良い魚を求め、結構な頻度で買い物に出かけます。
トラの、我が家の初日は、家じゅうの探索なのか、姿が見えなかったが、布団に寝たら、ゴロゴロと鳴きながら、首の上を何度も往復してから、そのまま、襟巻状態で静かに。思いという感じもなく、猫の毛は気持ちいい!と実感。私は、じっと移動を待ち続け、でも、頭はなるべく動かさずに、体をわずかに動かしたら、首から、今度はわきの下にきて、寝付きました。私も寝付きました。
朝、起きだしたら、すりすりゴロゴロ、もふもふなめらか気持ち良い手触り。
毎朝、目覚めると、よみがえってくれてうれしい!というように欠かさず傍らに居続けてくれたトラでした。
職員が、一日の仕事を終え帰えってしまうと、一階の事務、外来階に、残されるのは、当夕食準備に忙しい厨房職員と、当直医師の私が、ぽつねんと一人残される。手持無沙汰なので、病院にたむろする猫に餌でもやろうと、通用口脇、非常階段下のえさ場にでていこうと、ドアに近づくと、白い毛の顔を上げて鳴き続けている子猫がいた。屈みこんで。ドアのガラス越しに顔を合わせても、じっと私を見つめて鳴き続けている。ふと、劇団四季の、「ユタと不思議な仲間」にでてくる、【わたわたあけろじゃかかい】の一節が湧き出しし、ドアを開け、近づいても逃げもせず、泣きづづける姿ている。右のお尻の毛が円く抜けていて、中心部にかさぶたができている。撫でたら、顔をすりよせ、抱き上げても抵抗もしない。自宅に連れ帰りたくても、当直だし、院内に連れ込むわけにもいかないから、そっとしたにおろし、ドアを慌ててしめ、また、連れ帰れる時間に会いに来たらねと、心の中で思いながら部屋に戻った木曜日の夜でした。
再び、病院周りをうろついているのは見つけたのは、日曜日、午前のカルテ診察、病棟を一回りして、帰ろうと外に出ると、先だての猫がうろついている。自宅に連れ帰る気満々で、屈みこみ、近づいてくるの待ち、抱きかかえ、院長から“車に同乗して、帰ったら?”と誘いの声をかけていただいたのをこれ幸いと猫と一緒に、乗車、帰宅。車中に、猫をおいて、鍵を開けているすきに、車から降りて、様子をうかがっている向かいの猫に近づいていったら、威嚇され、車の下に逃げ込んで、それから、誘い出すのにひと悶着後やっと、車か出てきて抱っこしてくれて、家に入れることに成功。家で飼うにはどうしたらよいか、犬を飼った経験しかなかったので、次から次に、餌は?犬は散歩で排泄させるが、猫は?並のえさは食べ無い子猫で、離乳前だったらしい!なんとか、知識を得て、猫のトイレ購入が最優先であることを知り、購入先で思いつくのは、東北大学病院近くのケンネルクラブ(ホームセンターで、売っっているのは全く知らなかっただったので)に、出かけて購入。ついでに、猫砂なるものも教えていただき、目の届く範囲に置く。自宅に設置するまで、長時間かかっているのに、まったく、部屋を汚していないのに感心しきりでした。
猫好きな人は、猫のトイレをしつけるのも大変なのに、最初からできたのは良かったですね、とのことにも驚く。
名前は、黄色と薄黄色の縞模様。こだわりもなく、寅年生まれも多かったこともあり、【とら】と命名。
2月23日、昼前に自宅に戻る。
猫の出迎えはなく、2階の押し入れが定住安息の場となっているメメを見つけるが、怪訝そうにみられる。
しばらくしてココとゆうは、むくつけ遠回しにみているが、近寄ってこない。
半日過ぎ、夕方になり、やっと近寄ってくるが、まだ膝には乗ってこない。
しばしのち、ちかよってきて、じっと顔をみつめてから、おもむろに、ココが膝に乗ると、ゆうが、近づき、ココがのっていて、隙間がないのに、割り込んで乗ってきて、ココが譲る形で、おりる。
やっと、自宅に帰ってきた実感をえる。
エリは、まったく姿を見せず。
26日、家の中に入ってくるが、私には近寄りもせず、そそくさと通りすき、三日目の27日、やっと膝に乗ってくる。
長い留守は、打ち解けるまで、猫それぞれの性格で、元の関係に戻るのに時間を要しました。
我が家には、震災直後誕生と思しき雌猫と、2015年に追いかけられ逃げまどっていた猫の2匹に、
雌の子猫2匹が同居とあいなった。
猫は、よそ様の子猫といえども、思うままにさせているという印象があったそのままに、
成人猫は遠慮がちで、子猫の遊びに逃げまどっている構図が出現。
子猫は、じゃれつきたいときには、膝に乗っかり、抱き下ろしても、片時も離れたくないと足元から爪を利用して上ってくる
一匹の成人猫は、夜明け前の温度が下がってくると、布団の中に入り込んでくる。
もう一匹の成人猫は、朝陽上り始めると、たぶんかたずをのんで、私が、朝起きるチャンスを待ち構えて近づいてきて、しばし、より添い寝を楽しんでいた。この2匹は、決して仲が良くないので、両脇に分かれて、川の字寝です。
ところが、子猫の常駐で、朝のしばしの寄り添いが奪われることになった。
子猫が近くにいないのを確認すると、スリスリと近寄って、顔をみあげ、か細い声でニャと鳴いてみたりする。
自分の子供をかわいがる妻に触発され、自分もかわいがってほしいという気持ちが湧き上が未成熟成人と称される行動に近似している気がしてきた。
餌ねだりで、ドアの外で待っている子猫がいない?
寒いからかと思っていたら、”猫が、車に轢かれていた”と、半べそをかきながら話しかけられた。
外には、カラスが声高に泣きながら、道路の道端に群がっている!
外来、終了まで待って、鳥葬に近い猫の亡骸を引き取る。
今までに、顔なじみの猫の事故は、
生後間もなく、下半身まひになっていたけれどたびたびの手術で回復した”祝”
ワクチン接種翌日に、事故にあった”あい”
びっこねこの”チムル”
太っているのではなく腹水といわれた”ツチ”
子煩悩だったおしっぽ曲がりの”チビ”
母の喪中に轢かれた”チャピー”
いずれも、室内買いを試みたが、外の生活になじんだ後に出会ったので、
外に対する強い、強い憧れ、外に出られる自由心を奪えず、その結果の事故死。
殺処分にさらされる境遇にいる犬猫がまだいる仙台市の中では、自由気ままの中の突然死。
交通量の少ない道路で、気が緩んでの速度制限オーバーではねた後も走り抜けていったんだろうと思う恐ろしさも伴う寂しさ。
象潟ポエムラーメンコーナー (http://kisakataraamenn.at.webry.info/)のオーナーの
エンジンルームから7月下旬に救出された猫。呼びかけがそのまま名前にされたようです。
1か月かかって隠れなくなり、やっとなついて撮影できた写真をいただきました。
がりがりにやせていたという面影はない、子猫らしい子猫の時期。
昨年の2月14日は、燦が、おちつきなく初めての夜間外出したっきりで、戻らない日。
仙台市の保護猫情報http://www.city.sendai.jp/shizen/dobutsu/pet/1134.htmlを日々確認して、365日がすぎようとしている。
遊んだあとには寝呆けていた燦
まもなく2歳。幼な顔は失せてたくましい猫になって、幸せに生きていてほしい。
他の猫を蹴散らしてえさを食べていた猫。
警戒心は強いがなっつこい猫で、
一見して病気有りという風貌で、自宅に連れ帰り、
余命は1年ぐらいと思い。
毛のまだら縞から”ラダー”と命名。
よだれがひどく、好きな場所には、よだれカバーがかかせなくなり、
膝が曲がらないのか、尿は猫砂から外になるので、外周はパットを敷き詰め対応を余儀なくさせられ、 別名”ダラーちゃん”となったラダー
食べては、吐いたり、下痢したりと古代ローマ人のようだったラダーが
2週間前から、次第に食欲が細り、
歩くと足が広がる力の衰えを見せ、2階に上がってこなくなりましたが、
昨日の朝は、玄関から外に出かけ、睥睨して戻り、
夜中には、最後の力をふりしばって、
おやすみの定位置のために、階段を上ってきたのでしょう。
途中で休んでいるところで、抱えて、いつもの枕のわきに寝かせました。
のどをさすりながら、手足を動かしながら、朝方旅立っていきました。
8年間、独り占めしたい焼き餅甘えぶりでした。
まん丸のくりくり目が消えていきました。
よだれで、がちがちに固まっていることが多くて、写真が少ないのと、警戒心が強いので、
かわいいポーズはありません。
猫は、いつまでも甘える幼子のままで、朝夕まとわりつきながら年を取り、病気になっていくので、今生の別れはつらいです。
当直明けの今朝、
「ひかれた猫は、家の猫に似ているのだけれど確認してくれる」という。
確かに、ありふれた特徴がなく、兄弟らしい猫は多いがと怪訝に思おいながらも去来するものがあった。午後、自宅に戻って目にした亡骸は、不安が的中していた。
きわめて強い衝撃で、右頭部著しい挫傷。右の牙喪失。
自宅前の道路は、ゆるやかな田舎道で制限速度は30㎞。
日中でも、夜間でも車に乗っていて、猫だったり、狸に遭遇することはあったが、事故には至っていない。運転する人は、このぐらいの速度で、前方を見ていれば避けられます、といっている。
迷い込んで居着いてから約半年。まだ1歳にもなっていなかった”アイ”。
傷の具合から、60㎞ぐらいの車にぶつけられ、その後もバウンドしたであろう傷も認められた。楽しい散歩の途中の即死だったのかな、と思うしかないです。
運転手は、何も感じず、通り過ぎて言ったのでしょうか
弱虫メメは、遊び仲間のアイをさがしている様子で落ち着きません。
寝ているメメにちょっかいを出しても無視されるアイ。仲良かった腹違いの姉妹でした。
予防接種に行っても、「元気にあふれたアイちゃん。弟はいりませんか」、と動物病院のマダムからも声をかけられた、溌剌とした目、そしてピンクの鼻。記憶の中だけになってしまいました。
2月19日の”燦”の失踪の痛手からも回復できないでいるのに、鉄ブラシでの顔舐めに閉口していた、じゃじゃ馬凜々子のアイまで。
小さな事故で、身体不自由で幾たびかの手術にも耐えた”ノリ;祝”
片足先を失ってしまった”チムル”
生後半年のかわいい盛りだった”チャピー”
名前付きの野良”ツチ”は自宅前の道路で交通事故。
病院となり奥の事業所の社員の猛スピードではねられた、病院の野良
”チビ” ”アルファー””ミュー”
整備された道路に不慣れで”ノノ親子”2匹、
引かれた猫がいると連絡があって引き取り、葬場に連れて行った猫は
引っ越してからの17年の間にどれほどの数になっただろうか?
ここ数年、飛ばしてくる車が増えて、歩いていると風圧を感じたり、
身の危険を感じる車の通行が増えてきている。
道路整備に伴い、猫の交通事故死は、ここ数年急激に増加。
外の自由を知ってしまった猫を、家に閉じ込めておくのも忍びなく、ジレンマです。
燦はまだ戻ってきません。
保護猫情報http://www.city.sendai.jp/shizen/dobutsu/pet/1134.html を毎日チェック。
今週になり、次々に画像がアップされています。
”マンカス””ミスト”ばりの容姿の二匹と、全身、茶キジ、黒キジの4匹。
掲載期日後を想像すると……。
せめて、我が猫は、同様の運命をたどらないように日々チェック、
そしてまた1ヶ月後の3月14日に更新連絡をする。
2月14日 夜から燦(サン)が戻ってきません。
季節柄、落ち着きなく外に出てからです。
各所に連絡。
事故のあった気配は近隣にはないので、不安を抱えながら過ごしている飼い主です。
震災後の取り巻く環境の後退、停滞感
寒冷季節の高齢化社会の暗示など も相まって、
去勢手術後の3匹の雌猫
歯が抜けた、よだれの垂らし放題で、頸部リンパ節腫脹、歯肉腫脹猫;ラダー
燦ときょうだいの泣かない、臆病なメメ
燦にまとわりついていたアイ。 は、外に出てもすぐ戻ってきます。
おっとりしていそうでも、小さな土ネズミ、雀など毎日、毎日連れ帰り、
家の中でもてあそぶので、家なか大混乱の果ての乱雑状態でしたが
手のかからない静寂は、
寂寞、空虚の混じった喪失、無力、気落ち状態です。
戻ってこなければ、ずっと記憶とともに、ひっそりと捜索目線が続くのでしょう。