連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

利己的でない探究心

2007-03-30 11:32:49 | 健康・病気

貧血で紹介された老女。

病歴聴取で、体質性黄疸Crigler Najjar 症候群 と診断されたということがわかりました。

診断確定は、今から50年以上前らしく、診断確定を知っているのは本人だけ。

姉妹ともに生下時の黄疸=新生児黄疸、両親が血族結婚 ということが診断確定の根拠だったらしいということが問診から判明し、科学的根拠に乏しい類推による診断であったらしいので、頭の片隅において、

虚心坦懐に新患として患者、家族からの病歴、血液検査データから、貧血の原因精査をすることにしました。

骨髄像、末梢血液像は、教科書的とはかけ離れた稀な像でした。

鉄代謝の異常を示す数値、

血液の古典的な検査も施行

生化学的データも軽度の変化を示しました。

遺伝性の肝代謝異常によるヘモクロマトーシス

次が面目躍如たる医師、宇塚善郎の考え方で、

患者は高齢まで、支障なく生きてきたので、効率の悪い徐鉄療法では回復は望めないだろうが、

子孫に対して、疾病予防対策指針を提示することが重要 とのことで

基礎知識から、核心に向けての文献検索での診断への方策を確認しながら、突き進まれました。

現状の医療保険制度の下では、労力に報われる報酬は得られないのですが、

診断確定、科学的真理への探究心、しかも単なる解明のためではない

子孫への対策をも考えた思考法にあらためて医師のモラルをみました。

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卵子凍結

2007-03-25 19:21:14 | 健康・病気

夕方の番組で 卵子凍結 の話を見ました。

骨髄移植の前に、平成の始めごろは、精子の保存は、産婦人科の不妊外来に依頼しました。そのとき、保存期間は1年ですという壁がありました。まだ、未婚の人は、将来に備えて保存するというにはあまりにも短い期間です。でも、依頼し、その後は何とかそのときまで保存してもらえることを模索しました。

卵子の凍結は考えられなかった時代が、随分長く続きました。

急性白血病も、もちろんですが、

慢性白血病の治療を継続しなければならない患者にとっては、福音です。

目下は、臨床研究の段階。開発研究者桑山正成さんの特殊技術が普及技術になることに期待したいです。

長い歴史のある凍結保存技術の粋も結集し、不妊治療での卵子採取技術の粋も結集して

早急に生殖年齢にある、若人に適応される医療となることを切望したいです。

白血病患者の骨髄幹細胞分離、増殖、凍結保存に日夜励んだ20年前のときに、プログラムフリーザを使って、凍結したときは、

潜熱による膨張で細胞破壊を防ぐプログラミングが、キーポイントで

緩徐凍結、

急速解凍    がキャッチフレーズでしたが、

 卵子が冷え切らない前に、凍結する”急速、瞬間”凍結がみそだと

桑山正成さんが話していた。 

先入観なく、白紙からすべてを検討することは開発研究者にとって必要最低条件です。

このハードルを超えるために、”権威の前”で苦労されたことでしょう。

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インフルエンザ と タミフル

2007-03-25 17:38:58 | 健康・病気

インフルエンザはインフルエンザウィルスによる感染症。

特効薬は、抗ウィルス薬、ウィルスに特異的なワクチン

   タミフルは、抗ウィルス薬

内服後、異常行動で事故死が起きたので10代への処方中止、使用を原則差し控えるようにと3月21日緊急コメントを出した。

医師の裁量権は、残しているような残していないような、微妙な使用全面禁止へと拡大されるかもしれない雰囲気が漂っている。

ウィルスは変異が多く、適合したワクチン製造は困難を極める。

抗ウィルス薬は、使用可能なのは極めて少ないというか、ほとんどないというのが現状。

インフルエンザは、有効と考えられる投薬を行わなければ最も安全な疾患か?

タミフル内服で、重篤にならなかった子 対

タミフル内服で異常行動に走った子

の比はどのくらいか?

タミフル内服で異常行動に走るなら、有効薬が少ない現状から

内服後、行動制限を前面に打ち出した規制を先に出せないのか?

10代の行動を制止するのは困難なので、という

 はなはだ情緒的な理由で、

他にない特効薬の使用を規制した厚生労働省

科学的根拠に基づいて承認申請を、検討し承認した最高機関の見解としては、

たたかれる前に、使用中止 という、トラウマともいえる対応をせざるをえなかったのだろうか。

この現状をかもし出している日本人を表現できる言葉は、

一人を助けるために、みんなが我慢する 麗しい心持の人々の集団 と言っていいのか?

はたまた、

一人を助けるために、多数が犠牲になっていることに気づかない愚かな集団なのか?

一人を失ったことを嘆き悲しみ、多くを犠牲にすることをいとわない圧力を持った人を正義とする集団なのか?

ウィルス感染症インフルエンザに対する数少ない手段を奪われようとしている現状が出現してしまった。

適当な仕事、運動、休息、睡眠、食事、栄養

インフルエンザにかからないための毎日の養生、養生に努めるしか出来ない人間があります。

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医師が患者になって

2007-03-16 13:09:12 | 健康・病気

同門の後輩医師の闘病生活のエピソードから

悪性腫瘍に罹患したので、精神的、肉体的苦痛に思いいたすと、

彼女が苦痛に医師として向かっていた言動の端々が雄雄しく響きます。

医療施設の情報の手が入りにくいことを自ら体験し、改善策を模索し実践していったこと。

この体験を踏まえての医療を実践したいと、また自分が行なってきた医療の力も信じて

治療を続けたこと。

回復して、もっともっと医療の改善に力を尽くしてほしかった。

3年前、恩師宇塚善郎先生も1ヶ月の入院を余儀なくされました。

日ごろの言動から、入院後どうなることかとはらはらどきどきでしたが、実に模範的患者でした。、医師であることはおくびにも出さず、無用な抵抗、知識をひけらかすこともなく入院生活をされていました。

『排便はベッド上で介助でしたのですか』、と質問した私に、『今まで排便についてきかれなかったので、自らは訴えなかった。』と応えたものですから、消化器内科、糖尿病、血液疾患が専門で、毎日排便については看護師が確認するものと思っていたので、排尿排便をひけらかすものでは無いという日常健康なヒトの常識で、まさか10日間も排便を我慢していたとは思いもしませんでした。外科系と内科系の病棟看護師の意識の違いを悟ったものでした。そのことは予断として

『医師として院長として、患者に還元できることはないかという目的意識を持って入院生活をおくっているから』

『今までの仕事を文献として残すという目標があるので命を大事にしたい』

その2点をあげられました。

私齋藤淑子は、学業半ばで動けば激痛が走り、口は開くと痛いなど疼痛にさいなまれた期間は年余にわたり、いろいろな検査を受けるたびごとに、自らの体験から県債の苦痛を緩和するコツを獲得し、医療に反映させるべく努力してきました。

患者になって初めて気づき、医療者として改善点を訴えたり、実践したり、血の通った医療を目指すという、患者に対する愛があるからこそ医療は続けられるのかもしれないと思いました。

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勇将の下に弱卒無し

2007-03-15 12:05:52 | 血液専門医宇塚善郎

同門の小松真理先生が3月10日、4年の闘病の果て永眠され、葬儀に参加してきました。

告別式後に、繰上げの100日法要にも参加しましたので、身近な家族から闘病中の生活をうかがい知ることが出来ました。

"break through" "手をつくす” ”還元する” ”現状からの回避” ”後ろを振り返るのは前を向くため”など、恩師宇塚善郎先生の下で受けた薫陶を、闘病生活でも実践していた様子をうかがい知ることが出来ませんでした。御両親、御夫君の愛情を信じることができ、甘えず、甘えるという微妙なバランスで力尽きるまで、患者でありながら病を助ける医師として出来ることを模索しながら、戦い抜き、力果て、55歳の早すぎる死を安らかに迎えたことをうかっがてきました。

棺には、結婚の日のドレスと聴診器を入れてと遺書されていたそうです。 

聴診器に託された仕事への情熱の一端を齋藤淑子は受け止めました。

『東北大学、ナンバー内科、外科で女性の助教授は初めてではないの!。とってもうれしい。』と、宮城学院女子大学の教授に就任した時も、心から喜び、誇りに思ってくれた人が、1人去りました。その思いを、抱いて、これからも研究、診療を続けていこうと法事の席で小松真理先生と結びついてきました。

『せっかちで、いつも忙しく席を暖めることなく仕事をしていた恩師宇塚善郎先生が、供養のために5時間も費やしてくれたことに愕いていない?あなたが先生を信頼し、一生懸命血液の診療を続けたからよ。』 と遺影に語りかけてきました。

宇塚善郎先生の弔辞を齋藤淑子が代読してきました。 

ここに、小松真理先生の遺徳のために掲載します。

代読に当たって 

テニス部の先輩後輩として、入局に当たっての相談で、先生は選ばなければとぱきぱきといっていたこと、公立刈田病院に着任後も東北大第3内科血液班の学会での発表をわがこととして喜び、良き1流の恩師を選んだ自分の力量も誇りにしたことも、先生より先に死ぬのは申し訳ないのでと闘病に励んでこられたことも過ぎ去ったことになってしまった小松真理先生。強い光源の顕微鏡観察を連日続け、視力低下した恩師の目となり杖となりこれからも活躍を続けてほしいと願っていた小松真理先生への恩師宇塚善郎先生からの弔辞を齋藤淑子が代読します。

弔辞

小松真理先生 3月10日突然の訃報に接し私達は深い衝撃と悲しみの中でただただ呆然とするばかりでした。

先生が病に倒れられて以来私達は先生が必ず病を克服し明るい笑顔を再び私達の前にみせてくれることを信じ一日も早い全快を祈っておりました。

それがなんという残酷な天の配剤でしょう。

こんなにも早く尊い貴女の命を奪い去るとは。

先生と死は今でも私の中では決して結びつくものではありません。

私の瞼に焼きつけられている貴女は数々の国際血液学会の桧舞台で自信に満ちた報告を行った先生。

そしてそのモダニズムと確固たる価値観を持ち、血液学会の華であった明るく自信にあふれる先生の姿です。

先生は、東京教育大学附属高校を卒業され、東北大学医学部卒業後、関東逓信病院のレジデントとして初期研修了するというエリートコースをあゆみ、昭和55年、結婚とともに仙台に移られ東北大学第3内科に入局、血液研究班に配属され、生涯の血液学の道を歩むことになったのです。

先生は昭和62年【正常ヒト骨髄多能性幹細胞の増殖分化の研究】で学位をとられ、大学での研究生活を終えられて、白石市の公立刈田病院に移られてから、県南の血液センターとして、多くの血液患者の診療に当たられ、患者の厚い信望を得られていました。

その、診療に対する真摯な姿勢は、同門のわれわれも、どれだけ力づけられたことかわかりません。

先生の血液診療は道半ばでさぞ無念なことでありましょう。しかし、先生の努力によって支えられた多くの尊い命があります。

先生の、血液学に対する情熱のともしびは同門のわれわれによって引き継がれています。先生いよいよお別れのときです。

貴女は持ち前の精神力と生命力で、

そして手厚い御主人、御家族の看護に支えられ、今日まで懸命にがんばってこられました。

どうかゆっくりおやすみください。

さようなら

平成 19年3月14日

     仙台血液疾患センター 

     理事長 宇塚善郎

代読 仙台血液疾患センター、宮城学院女子大学教授 齋藤淑子

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見立て

2007-03-10 07:13:14 | 日記・エッセイ・コラム

井戸茶碗が見立ての妙の第一と私には思われます。

朝鮮半島の高麗時代に民衆が日常の安価な食器として使用されていたとされる品です。

民衆の感性もすぐれていて、職人たちの美意識も理屈なしににじみ出たから。

人間の根源的な美に対する感性はDNAに組み込まれているのかなと!?

医学分野でも見立てがまず第一歩で、診察、診断と表現されます。

最近の医学現現場は、疾患別と細分化されて、”見立て上手”が軽視される傾向がいやがうえにも助長されています。今の教授陣に、求めても無理な時代に突入してしまったと思います。

それにしても、仙台血液疾患センターの院長宇塚善郎先生の診療上の見立て上手には敬服することは多いです。その筆頭が、妊娠末期に初めて血液の異常も気づかれて東北大学第3内科を受診した再生不良性貧血(AA)患者の幼い甥の診断です。AAは10年以上前に完全寛解になり年一度、元気でいるというりんごの便りばかりになっている人なのですが、宇塚先生なら何とかしてくれると、ピーピーないてばかりでわずかな言葉を話す3歳の男児でし。、小児科では神経疾患で成人に達するのも危ういし、たとえ成人しても小人で障害を抱えるといわれ家族が悲嘆にくれていたのでした。宇塚先生は、小児科は専門外と言いつつ昔のなじみで、診療手続き前に診察(病院は、診察手続きをすれば有料となるので、専門外で無力ならば料金が発生することに気後れを感じるらしいのです)し、膠原病と診断され、膠原病専門医に紹介されました。ややしばらく後に、先生すごいね!稀な小児の皮膚筋肉硬化症だったよ。ということで、ステロイド治療を施行されました。その男児は、今では小学校も高学年で頭脳、身体発育にもまったく支障なしとの便りを受けています。

昨日のNHKクローズアップ現代で

高速バス運転手に何が起こっているか

で、頭痛がするというので脳神経内科を受診し、異常なしといわれた話が出ていました。

今は、専門的な検査に走って、基礎データを確認しない医師が増えています。

木を見て森を見ず の例えは病人には恐ろしいことです。

血液学は、全身の異常を反映するので、訓練として全体を考え、異常がなくても経過観察とする習慣を恩師より叩き込まれているのですが、今風の疾患別に分離された大学病院に長く勤務した悪弊も身についているかもしれないという意識を持って、診察、診断に当たらなければと再度注意を喚起した報道でした。専門馬鹿医による誤診例の報道多すぎますね。

良い見たて 簡単そうで実力がないとできません。

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院内感染対策 伝播を防ぐ

2007-03-07 19:56:23 | 健康・病気

6日のNHKクローズアップ現代に取り上げられていた埼玉医科大学の多剤耐性緑膿菌感染の拡大は、物量作戦ではなく、毎日の個々人の意識レベルで些細なことの積み重ねによってしか防げない、という基本中の基本の実践の履行を求められていると感じた。大きくて立派、見た目が綺麗な病院ほど清潔と思い込んでしまう人間の意識の危険性、誤った方向へ走り、問題が明るみに出るまで隠蔽されてしまう危うさ。

埼玉医科大学の1あ100人が多剤耐性緑膿菌感染で6人死亡は、大規模病院では気づかない日常的な数なのだろうか?

小規模病院であったら、存続不可能なほどよってたっかってたたかれ死活問題まで発展してしまうだろうな。だけれど多分起きないだろうと思う。多剤耐性緑膿菌は大変な問題と認識しているので、1例発生しただけで、大騒ぎで必死に対策を立てるだろうから。

発生源を特定しかねても、

       伝播を防ぐ!   細菌繁殖環境を絶つ!

                    これしか対策は無いでしょう。

その方策を立て、職員一丸となって実行する。

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採血する、血管を確保する

2007-03-06 20:16:02 | 健康・病気

医療現場で頻繁に行われます。

人の手の感覚便りで行われています。

血管は、使用頻度が高くなるほど、弾力を失い硬く細くなり、穿刺が困難になります。

最低限必要だということだからでしょうか、技術料が極めて低いのです。

健康で、生気にあふれた若者の血管であれば、容易です。

しかし、抗がん剤治療を繰り返した患者の血管、

栄養摂取、吸収が困難となっている患者の皮膚血管は弾力を失いもろいのです。

中心静脈穿刺の技術も確立されているとはいえ、見えない場所に手探りで、手の感覚だけが頼りである手技です。

無事に血管確保できるまでのストレスは非常に大きいものです。

ましてや、失敗すればストレスは倍増です。

この大変さを、穿刺資格を持って実行している人以外の方は理解してくれているのでしょうか?

病歴が長くなるほど大変で、この大変さに応えてくれる、医療コストを確保してほしいなと思うのです。

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歌麿 紫の謎

2007-03-04 22:45:24 | インポート

3月4日 NHKスペシャルのタイトルです。

当時お上から禁じられていた紫という色を、浮世絵の庶民にふんだんに着せて描いていた歌麿の人物像に迫る内容であった。

女性を、しかもちらリズムにあふれた女性を描いた浮世絵師というぐらいの認識しかなかった私としては、歌麿は生きた女性を描いている。エロチシズムもたくましさも併せ持った女性、女権拡張論支持者とさえいえそうな気がしてしまいました。

庶民の生き生きとしたたくましさを、あの手この手で封じ込めようとする幕府の御禁制に対して、知恵を筆に託して独自性を発揮して描いた歌麿は、権力に屈しない人で、お上を揶揄する気概にあふれていた。

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川崎協同病院2審判決後

2007-03-03 23:50:18 | 健康・病気

2007年3月2日のNHKのニュースで裁判されている被告のコメントより私の注意を引いたのは、難病の家族の方で『安楽死・尊厳死法制化を阻止する会』の立場からの発現でした。

”ぎりぎりまで立ち向かう医療の意志がなければ、医療の進歩は望めない”というように理解しました。

死にたいといった患者も、実は死にたいのではなく、苦痛から解放されたいだけだと実感する機会は沢山ありました。これは、死にたいといった患者が、何とか生還し元気になってから、”あの時死にたいといったけれど、本当に死にたかったの?”と、患者との談笑がてらの会話できいてみると、やっぱり生きていたかったけれどくるしいいのはいやだったからといいます。

死にたくなんか無いのではないかと思うのです。安楽死、尊厳死と議論を戦わす元気な方々の気持ちが、弱って目前に死が迫ってきているときも同じような気持ちなのでしょうか?疑問を感じます。人の気持ちは変わりやすいものです。

両親の死の時間をまじかですごして、息を引き取る間際まで交流があるのだと思いました。力が徐々に衰えるので、力強く生にあふれている私にわかる声、身振りはありませんでしたが、父は、通常とは違うのどがぜろぜろしてきたときに、わたくしがたんを切ってほしいと、えっえっと声を出すと、父も応えてくれのと、母は日が昇り始明るくなり始めたときに、目は閉じていたのですが眼球が活発に動き出したのを察知した私が”おはよう”と声をかけたら明瞭ではなかったのですが”おはよー”とモゴモゴした声をだしてくれたのです。でもその後は、また深い眠りに入り目を覚ますことはなく息を引き取っていきました。まじかに死への旅路を見守った経験から、次の世界に入りきるまで脳はこの世との決別をし続けているのだと思いました。

生の断絶を、神仏以外の手による介入が許されるべきとは思えません。

挿管の決断は慎重を期すべきで、挿管時の気持ちを大事にするしかないのではないでしょうか?辛いとか苦しいとかは誰の問題でしょう?挿管されている患者の表明でしょうか?

死を迎えるときを国民一人一人が、健康の如何にかかわらず考えてほしいです。

老人医療の環境は、長患いは許さないぞという3ヶ月期限付きの老人医療保険制度がひかれているのです。この現実を尊厳死とか安楽死とかに”国の権威”で結び付けられたときを想像すると恐ろしい気がします。

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