2011年3月11日以後も、時間は規則正しく過ぎている。
自宅は、寝食の場を確保後は、
復旧に向けての努力、整理整頓は、膨大な仕事量の前に断念していた。
震災後の痛手が続き、病棟を秋に閉鎖したので、年末の休暇が取れたので、
一念発起し、片づけをした。
1978年6月12日の宮城県沖の経験から、家具がない我が家は、本のみが散乱。
戻すべき、本箱が押しつぶされ、棚に残ったも押しつぶされ歪み、取り出すのが困難で
今回は上から順番にとりだし、最下段は、床に押しとどめられ、現状を維持していたことが判明。
本の整理、取り出し可能にして、投稿途中で断念していたデーターの再投稿が、研究職の復興の第一歩の踏み出しと位置づけて29日から延々とやり続け、必要な論文は、取り寄せで対応可能なので、古い雑誌は廃棄(多大な消耗エネルギーを費やしました)。
廃棄により、使用可能な本箱に散乱していた本を収納できました。
思いもかけない、失くしものがみつかりました。
片方になっていた母の手編みの靴が埋もれていたのでした。
大学入学時に、母からお供にと一緒に仙台に来た喜久ちゃん。
いつか、暇になったら新調してあげると約束しているのに、いまだに母の手編みの衣類と、
学会で外国に行った時のお土産の飛行場で購入した衣類のみ。
ブカブカ衣装ばかりを着せているうちに、44年間も経って、少しお年をめされました。
靴が出てきてよかった。
2011.3.11 午後2時46分からは、ライフラインの窮乏を経験し、
失ったものを求めても、元に戻そうとしても、元には戻れないことを目の当たりにし、
”変わらないことの豊かさ” を噛みしめながら
毎日を生き延びれたことにほっとしながらも、社会の一員として、自分以外への貢献はできるうちにすると心掛けていても、亡き母が編んだ喜久ちゃんの靴が戻ってきたことにうれしく、
来年2013年は、穏やかな年であることを祈りながら
2012年が、過ぎていくことに感謝して大つごもりの時間を過ごしています。