仕事は 講義診療 研究で 必要なれど 家事一般は
と言いつつ、放棄していた時とは違い、暇な一日の過ごし方のなかで、
過ぎし両親の日常をしのぶ
摘み取りし 蕗の筋取り あく抜きに 手間ひまかけた 母の思いとは
ネギの具に 父のこだわり あることを 思い出させし 御三どんの功
炊き立ての ご飯に混ぜし さくらえび 木の芽ちらして 春満喫す
ウドに蕗 根三つ葉木の芽 さくらえび 春満載に 賑わうお膳
仕事は 講義診療 研究で 必要なれど 家事一般は
と言いつつ、放棄していた時とは違い、暇な一日の過ごし方のなかで、
過ぎし両親の日常をしのぶ
摘み取りし 蕗の筋取り あく抜きに 手間ひまかけた 母の思いとは
ネギの具に 父のこだわり あることを 思い出させし 御三どんの功
炊き立ての ご飯に混ぜし さくらえび 木の芽ちらして 春満喫す
ウドに蕗 根三つ葉木の芽 さくらえび 春満載に 賑わうお膳
ウクライナへの、ロシアの侵略戦争後、エネルギー供給、食糧供給異変が、世界規模で起きていることから、
宮学食品栄養学科勤務中にも、関心があった日本の食糧需給に再び関心が。
気候変動の影響で、食糧供給体制にも影響が出てきているはず。
各国別、食糧自給率をネットサーフィンしていて、
以前イスラエルを訪問した時、”食糧自給率は高い”と誇らしげに話されていた記憶と違うデーターに遭遇。
イスラエル大使館の広報では、90%以上であると記載してある。
日本のカロリーベースの自給率は40%以下と年々減少傾向し続けてきた。生産額は、70%弱。
庭でかってに生えているものは、日々の食糧としてはと、春先から利用しているが、
味覚に耐えられ、多食できる旬の時期は短い。齋藤 淑子 | Facebook
捨てた皮から、ジャガイモ、長芋も、出ては来るが。
仕事とは 講義診療研究で 必要なれど 家事一般は
非常勤として従事する身となり、早6年。
2016年に次ぐ3年間は、当直免除となったのみで、終日7日間勤務。
2019年からは、今春までは、週数日間の勤務。
今春は、土曜の診療のみ。
責任から回避された、自由時間の過ごし方に戸惑いつつけている。
三度の食事、放置した家の整理、家事全般、猫たちとの生活で暇はなく、多忙ではある。
物足りなさが、くすぶっている。
篠笛は上達したいと練習し続けているが、
お茶の稽古も続けているが、
もやもや、体はもさもさ、すっきりしない日々。
同種骨髄移植後の生着は、ほぼ100%と実感している。
生着後の疾病罹患発生と移植の関係になると、
20年以上経過して、脳血栓症発症、
数年後に白質脳症が発症。移植後33年。
今年、薬師寺の修二会で授与していただけるお守りを御送り、いただいた後に、母親からお礼を兼ねた近況報告の電話で、
白質脳症と診断されたと。1987年当時、中枢神経白血病は、難治で照射、MTX髄注を施行し、
なんとか同種骨髄移植にこぎつけ、生着、社会復帰、公務員として働き続けていたのだが!
移植時は、若かった親、
今また老いた親の介護を必要となって。
宇塚先生の葬儀の時、私に向かって、『長生きしてください。私たちが死んだとき、先生が頼りですからと』
言われてから、まだ7年なのに、
『あれから、一緒に30年以上も生きてこれましたから』と。私が慰められた。
治癒した患者の、その後、
『僕のほうが若いから、先生より長生きするな!』と、小憎らしいことを言ってくれ患者の長期予後に、
元気でいてくれと願っているのだが、
難治、治療に困窮した患者の予後は、
一病息災というより
弱り目に祟り目と、多重疾患のことが多い。
だが、精神力は、次第に強くなっていくのが、救いだが。
8月まで、講義予定がない。
講義のない日の、朝は、庭と格闘する、第一日目。
ままならない、春の草の成長の早いこと!
寛解後、嫌いで飛び出した家業の漁業を手伝うことになった、
急性リンパ性白血病の若人のフレーズを、突然浮かぶ。
「自然相手にしていると、思い通りにならいときは、
状況に合わせて動かないとダメ、
待つことをしりました」と、言っていたな!だが、
スギナ、カラスノエンドウは、半年ほど待つというか放置すれば、枯れる。
むさくるしい雰囲気になる。
食糧になる感触からほど遠い。
次いで、ドクダミ。白い花が、庭を覆い尽くすときは、美しもあるが。
高くなっている木は、生育を障害される気配はないが………。
ということで、果て無き草取りにしばし、いそしむ。
戦争。
世界では、絶えず起きている戦争。
アフガン、シリア、アフリカ諸国は、知っていても、身近感は、なかった私。
今起こっている、ウクライナのロシアからの侵略戦争は、戦争の身近さをひしひしと感じる。
日本は、ロシア、北朝鮮、中国に、囲まれている。
資源に乏しい、食糧自給率の低い国日本。
年齢故に、常勤的職は、2019年3月末を持って、打ち切られた。
その後も、2021年12月までは、不定期ながらも、週5日は勤務日だった。
それ以後、自主的、時間の過ごし方を模索(模索しなくてもよいのにと自問自答しながら)。
何をして、生を全うして死を迎えるか。
生を全うしていると自覚できるには、何をすれば。
診療、臨床研究を継続するには、環境制約が強い。打破するに足る?
存在が期待されなくなった、ことになれるということかと思いいたる。
でも、ねーーーーーーーー。
駄文をこの場に、書き連ねる。