2011年からの努力も好転せず、
2013年血液疾患センターは閉院し、患者共々不安の中から、
仙台富田病院で外来診療継続という光明のなかで2014年を迎えます。
今年の仙台医師会報に寄稿した宇塚善郎先生の一文を
生き続けられることに感謝した今年の締めとします。
雑感
単眼顕微鏡で酷使した右目は50台にはすでに光を失い、左目も徐々に視力の低下をきたし、八十路も半ばになっても重症患者に助けられながら毎日病棟の回診を続ける気力に満ち、視力の低下は、30年来の愛弟子齋藤淑子先生に顕鏡の細胞を声を出してカウントするのを傍らで聴いて診断を確定することで補っていましたが、四捨五入すると九十路の今日この頃は、楽しかった読書も苦痛に感じるほどに視力が低下してからは、時間、空間を超えた、自由な楽しい世界が広がり始めました。
シャープに、さっそうとした姿勢という、わたくしなりのダンディズムで過ごしてきましたが、老いは否応なく行動全般に現れましたが、それぞれの老いに伴う不調を感じている患者の繰り言に“言葉に表さないだけでいつものこと”と応えた私の言葉で納得して明るくなる患者もいたりするのでそれなりの支えとなることもあると思い直し、行きつ戻りつしながら診療を継続しています。
仙台血液疾患センターは2012年10月病棟閉鎖、2013年2月をもっての閉院は、諦めとともに受け入れ、命を助けるために前に前に進歩しなければという責任、また経営の負担から解放された気楽さはあります。とはいえ、2011年3月11日の大震災時は、幸いにも医師は、齋藤淑子医師の1カ月近い終日勤務で、大学からの当直医の禁足にも耐え、入院患者の食糧確保、診療を滞りなく行うための体制を確認し、職員、患者の協力を仰ぐ気力と体力に満ちて指揮しておりました。震災翌日から輸血に対応出来たし、被災しながらも輸血のために外来通院してきた患者の必死さにも感銘を受けました。
売却先の葵会の配慮で、新開院の冨田病院で外来診療可能となり、輸血が生命の基盤となっている患者を路頭に迷わせずに共に歩んでいられる事に感謝しています。東北大学付属病院、仙台血液疾患センターと独自路線で診療を行う組織に慣れ親しんできましたので、統合本部の指令で全国の各施設を直結の事務長が経営感覚で医療施設を主導支配するありかたは、視力乏しい私の目でも鱗が落ちる思いで眺めています。
一人では、移動もままならない身を支え続けてくれる周囲の人に感謝しながらすがり、思い通りにならない肉体から解放されて、思い通りになる脳の世界で、美しい人、美しい景色と交流しながら、まだもう少ししぶとく生きていきます。
2013年10月 宇塚善郎
2013年3月 富田病院となるために伐採された朴の切り株