捨て猫だったけれど正真正銘のチンチラシルバーだった、我が家の一員であった猫の名前です。
1996年秋ごろから出没していた。
翌年の春になって、ピンクの地肌がむき出しになって、玉になった体毛をひきづっていたので、捨て猫だったんだということで、藤野犬猫病院に診察に連れて行った。季節ごとに毛が生え変わる現象で、皮膚病でないということで、丸刈りにされ、齋藤家の一員となった。
一日目は、母は、”たらぽんぽ”ちゃん、私は、”むさくるしや”と呼び、名前を考えた。
ギリシャ神話の女神(雌猫です)の名前をいただいて”ムーサ”と命名。
帰宅すると迎えに出てくれていた。
昨年秋ごろ、瞳孔が大きく開きっぱなしになるのに気がついた。
目の奥が赤く、眼底出血ということで、病院を受診したが、回復せず。
失明したが、記憶を頼りに注意深く、自宅の外を歩き回り、帰宅が遅いと探し回るのが、兄と私の日課となった。
高齢でもあり、次第に外出時間も少なくなり、
22日帰宅すると、右足が麻痺していた。歩こうとするとぐるぐる回るので、手で支えながら少し歩かせると、横になるのを繰り返し、翌火曜の23日は少し麻痺が軽快したようにも見え、水も、高齢猫用の缶詰も食べ、家の中を少し歩いた。
24日の朝、足に力なく、歩けない。スポイトで水を与えてもむせた。
天に向かって登って行くように足を動かし続け、到着して万歳したのかな?頭の力が抜け、呼吸が浅くなり、7時50分亡くなりました。
とりわけ、母と兄になつき、私には、縁が薄い猫と思っていました。
家族の一員がまた減ってしまったという寂寥感が強く襲って着た自分に驚いています。
パーティにでた、ステーキ、ケーキをお土産に持って帰って(これが、病を呼んだと後悔もしています)も、喜んでくれるものがいなくなった。