連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

100分de名著にひかれて 人生論ノートから 死について

2017-05-16 14:08:13 | 本と雑誌
100分de名著にひかれて 三木清著 人生論ノートをじっくり、再読し始めた。
書き出し、”死について”
≪死というものをそんなに恐ろしく思わなくなった。≫
≪身近な死を経験したから、死の瞬間には平和が来ることを目撃した。≫と続く。身近に感じる死を体験したことによる記述。
患者の死、恩師の死、両親の死、若かりし頃の自らの死に近接した経験から、
死は、受けいらざるを得ないもの。
特に自分の経験は、突然に、意識が無くなる状態に落ち入り、しばしの後に気が付く。
その後、心地よく直ぐに眠りにつく状態がかなりの期間続き、うつらうつらできた幸せな感じが懐かしい。
死と平安は紙一重かな。

≪自分の親しかったものとの死別………… もし私が彼らと再会することができる――これは私の最大の希望である―――私の死においてのほか不可能であろう。≫再開の希望のために、死に賭けると書いている。
死者と再会したい人はいるが、死に賭けて、死んでも、冥界での再開はどのような状況になるだろう。
こどものころの両親と暮らした懐かしい時間に存在した、”笛””お茶””習字”、父が希望した武術の心得を、身に着けて死の時を迎えたいと思っている。

健康の感じ方に対する言及も興味深かった。≪コンヴァレサンス(病気の快復)としてしか健康を感じることができないのではなかろうか。≫
近頃は、テレビで、健康であるための関連番組が放映されない日はない。
ということは、それだけ不調を感じながら生きている人が多いことの反映なのだと、改めて考えさせられた。

三木清氏は、終戦のわずかまえに、共産党の友人を保護したということで、獄につながれ、終戦後も釈放されず(進駐軍支配下で、赤狩りが始まる)、獄中で感染したダニによる、全身臓器の侵略で見守る人もなく、息絶えているところを発見された最期ということを、100分de名著で知った。
41歳での死。
会いたい人に会えるという希望をもって息絶えたのかな。
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目の見えない人は 世界をどうみているのか 視点の拡大

2015-06-29 12:33:48 | 本と雑誌
目の見えない人は 
世界をどうみているのか   伊藤亜細紗著 光文社新書

目が見えなくなった、恩師が念頭にあって、タイトルにつられて購入しました。

河北新報の、日曜日に書評という面があり、時間に余裕があると、読んで、惹かれたタイトルは、ネットで購入しています。

目が見えない とは? 傍らにいるので、対応をどのようにしたら、不安を解消できるかと、
夜は,電気をつけずに行動するとか、試みていましたが、読後感は、

恩師の、時間的変化での対応からも納得いくことでした。

序章 見えない世界を見る方法
第1章 空間
第2章 感覚  読む手、眺める耳
第3章 運動
第4章 言葉 他人の目で見る
第5章 ユーモア 生き抜くための武器

自分と異なる体をもった存在の……
自分にとっての「当たり前」を離れる
変身
”見えないことと” ”目をつぶること”は全く異なる!
椅子に例えてありました。目が見えないのは、4本足の椅子が欠如したバランスが悪い椅子ではなく、3本足のバランスのとれた状態
耳で「見る」、目で「聞く、」鼻で「食べる」、口で「嗅ぐ」人間の体の適応力にも通じる。
コミュニケーションのチャンネルが生まれる
見えない人の体の使い方 見えなくなってから転ばなくなった
ボルダリングというスポーツとマッサージの相似点:探りながら適切な場所をみつける
見えない人ならではの備え:サーフィンで波に乗る
タンデムという自転車競技は、二人の人が重心を一つにする。自転車と対話をしながら乗る、ノる。

2013年以後の、先生の視力の低下は、厳しいものがあり、
歩行が、ぶれないよう、安定させるためには?歩行の伴走にも工夫して、
前に立つ、私の方にて乗せてもらい、先生のリズム、歩幅に合わせるように歩く。
遊び心に富んでいた先生は、必死に走るように歩く日がありました。そのような日は、走れたね!生きと嬉しそうでしした。
暗闇の世界の住人となった先生に、読書できない時間の過ごし方など、質問しまくる私には、
”新しいことに出会わなくても、以前を思い出して、思い出せる範囲を較べたりで、退屈しない”
”好きな人と出会っては、話しをしているし”
などを語ってくれました。

この本に、もっと早く出会っていたらば、沢山の視点から聞きたいこと、聞き出せたことがあったなと、失われてしっまた機会

が惜しいです。

多分私が、弟子入りした昭和50年初めには、右目は顕微鏡による失明。左目もかなりの弱視で、近眼と思っていましたが、顕微鏡による網膜障害
、視力低下だったのではないかと思います。
患者の病状を見極め、直してやりたい一心で、責任感と自負心からの顕鏡。視力低下の原因を愚痴ることなく、わずかに光を感じ、ときに姿がおぼろに感じるようになっても、ありのままの状態を受け入れていました。

さりゆけど 教えの道を 指し示し 中陰過ぎて 世にあり続け

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カラマーゾフの兄弟

2013-02-10 19:24:11 | 本と雑誌

東日本大震災以後、急速に悪化した病院経営の果てに、

2013年2月末を持って閉院準備のために、私物の本を整理中に

中村雄二郎著 「歓ばしきポエシス」に目が留まり、

ページを開き、

始めが ”グロッタの白いユダ リュビーモフ演出「カラマーゾフの兄弟を観て」だった。

東日本大震災後に、病院に拘束され続けた3週間の間にも、高校生だったころから50年ぶりに

米川正夫訳のカラマーゾフの兄弟を読み直した。

そして、2013年1月から、フジテレビで”カラマーゾフの兄弟”が

土曜日の連続ドラマとなっている。

5年間、日の目を見なかったというこのドラマ、

どういう切り口で、原作に迫るのか、興味しんしん。

ドストエフスキーの小説は、どれも心理ドラマで深い。

これまでか、これまでかと続くしつこく、長い、しかし、

短期間に起きた出来事を、父親殺しにいたる、心理描写を延々と詳細につらねられている。

しかし、真犯人と疑われるスメルジャコフの自殺で、犯人は永遠の謎として読者に残される。

”カラマーゾフ”気質、流、的など単なる姓ではなく扱われているカラマーゾフ。

カラマーゾフには、黒、罰などなどの隠喩としての響きが、ロシア語ではあるという。

フョードルの私生児スメルジャコフは、白いユダ

アリョーシャは黒いキリスト

ゾシマ長老はアリョーシャに向かって

”ここは(僧院)当分お前のおるべき場所ではない。お前が娑婆世界で偉大な忍従をするように、今わしが祝福してやる。………

娑婆世界に生きるアリョーシャを描く続編への期待を読者に残し

ドストエフスキーは黄泉の国に去ってしまった。

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猫だましい 河合隼雄著 2000年刊

2012-09-18 13:57:43 | 本と雑誌

『新潮』に12回にわたって掲載された文をまとめた、12年前に出版された本です。

河合隼雄ですから、たましい の話です。

たましい の顕現 として 猫を選ばれた。

何故 猫なのか?

猫は、だます。   

それで 猫だましい という題に。

仙台の田園地帯に住むようになってから

猫と一緒に住んでいます。

積極的に飼おうと思ったことはないのですが

飼い主、環境からはじきだされて

行き着いた先が、我が家だったり 仙台血液疾患センターだったりで

しかも、具合悪そうと思って獣医に連れて行き、

自宅で療養後、居着くというパターンです。

最初の猫は、特別です。

”わたわたああげろじゃがかい” というように、泣き続けて、我が家の子になりました。

数年前に先立って行きましたが、

輝く金色の目を思わす 10日夜月(とおかんやのつき)、20日夜月(更待月)に月を見つめていると、今でも庭に降りてきます。

鼻筋の通った、足の長い、顔、手足は白い、茶虎 の容貌を持っていました。

朝起きて目を覚ましたとき、外周tから戻って目を合わせたときの

うれしそうな様子を思い出すとせつなくなります。

牡猫でしたが、子煩悩で、

目も開かない子猫を舐めた糞尿の世話

トイレの躾は、自らが手本を示していました(他の猫のやりっぱなしも、ふとたちどまり、確認しながら砂かけをするきれい好き)。

そんなわけで、猫は、やはり 猫だましいです。

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古鏡の沈黙 ジャーレ

2012-06-27 22:13:49 | 本と雑誌

気のせく、あわただしい毎日と、読み出したら止まらない性分を加味して、長編小説には手を出さないのですが、たまたま目にした、書評につられて、しかも”詩”とあったのでネット注文で手に入れました。

1884年に生を受け、1900年には親の決めた意に沿わない結婚をしたイラン人で、学問を受けた当時としてはまれな女性の詩でした。個としての意識を持っていても、生活の術は意に沿わずとも従わなければいけない女性の声がつづられていました。

日本の社会でも、アカハラ、セクハラなどなど、まだまだ女性の忍従を強いられる場面はありますが、決意を持てば、変えられなくても去ることはできます。100年以上前のイスラムの社会に閉じ込められた女性の心の葛藤、特に子に対する思いの複雑さに苦しくなってきました。不幸としか言いようのない違いのある精神性の24歳も年上の男に嫁ぐことを強いた両親に対する許すことができない何故も背負って生き続けて最期を迎えたのかと思うとつらい。

自由を欲すれば自由な日本で、家庭内暴力にさらされ続けたり、宗教的洗脳にさらされたりするのは、教育の質の違いが背景にあるのでしょうか。

この本を、出版すると意図した人たちに、敬意を表します。http://www.michitani.com/books/ISBN978-4-89642-373-0.html

出版社は ”未知谷” 訳者は、中村菜穂、鈴木珠理、そして ザフラー ターヘリーという女性の文学を研究している方。

自宅にある、イスラム文化圏に関係ある本をさがそうとして、大震災以後、講義に必要な棚はとりあえず、整理したが、一般書は床一面に散乱していたのを積み上げただけで手つかずであることを再認識。

比較的近い昔に買ったと記憶している本が見つからない。最近のイスラム文化の知識を、仕入れた本はどこにいったのか?

それ以前には、井筒俊彦著 イスラム文化 その根底にあるもの

 前島信次著 アラビアに魅せられた人びと

オマル・ハイヤーム作 小川亮作訳 ルバイヤート

など、極めて限られている。その知識の上での今回の出会いは衝撃的。

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舟を編む

2012-05-05 17:04:18 | 本と雑誌

まずらしく話題の本を読みました。2012年本屋大賞第1位”舟を編む”です。

終わりまで読み切らないと気が済まないと言うことを自覚して、

通常は読み続ける気が失せる作品を読んでいます。

連休なので、予定の仕事の見通しがついたらと心積もりしていたのですが、

仕事が行き詰まったので、昼前から読み始め、一気に読破。

辞書は、沢山詰まっていて、予想外の広がりがあるので、

辞書を引くのが好きで、辞書編集者の小説と言うこともあり”舟を編む”を購入

かって新村出先生が、編纂した「広辞苑」が出来るまでをNHKで見た記憶があります。

戦災に会いながら、世間の冷視に合いながら

地味で、労力の割には経済的には報われない仕事。

言葉を拾い上げる姿勢に感動しました。

自国語の辞書の編纂に、

公のお金の投入という言及は興味深いものがありました。

「言葉とは、言葉を扱う辞書とは、内的自由と公的支配の狭間という、

常に危うい場所に存在するのですね」と松本先生が、馬締正也に話す箇所です。

正史としての扱いの日本書紀と語り部民間伝承型古事記の記載の違い。

最近話題の平清盛もこの視点から考察すると、

大衆の公的支配への迎合ぶりとかが推察されおもしろいとおもいました。

本を読むというのは、居ながらにして、多くの視点を手に入れられて、

安価で、楽しい。

地味な仕事の行き詰まりを打開し、再開する気力を取り戻せた読書でした。

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源氏物語初版本?千年前のスタイルは?;和本への招待を読んでいて

2012-02-05 16:26:38 | 本と雑誌

和本への招待;橋口侯之介著 角川選書 を読んでいる。

父の影響で、書に関心があり、その関連で筆、和紙などへの興味の連鎖で読んでいる。

知っていることも、知らないことも、あたりに漂う歴史的背景などまことに興味深いことが満載の本。その中から

千年前の『源氏物語』を復元する  というタイトルのなかから

源氏物語の原典は残っていない。写本のみ。物語はどうかかれたのか?

推理小説といってもいい内容の本です。

千年前の表記ルール

そのなかで、56ページの小見出しに

枠にはめない「ゆるやかさ」 とありました。

仮名が制約のない書き方だったことに由来する。

写経や漢籍は、文字を書く枠=界線が引かれる。中国の伝統である。

仮名は、文字に枠をはめず、行取りを決める書き方。   

「伝統は守る」のだが「ゆるやかに」継承していくことだった。

法令で決めてしまい、それに従わないのは誤りだという発想は近世までの日本にはなじまなかった。

ゆるやかさ」こそが、一方では様式を尊重して守るが

他方では新しいことに挑戦して変化をいとわない。

美的な感覚があって表記された。

平安時代の<みやびやか>は、 現在と異なるニュアンスであったと書いてある。

「風流」は、踊りと結びついて中世の芸能に。「過差」は、ぜいたく、華美。

風流、過差は、いずれも怨霊を沈めることと関係していたとの記載で、

大きくうなずき納得です。

現在、自分を華美に飾るのは、他人から畏怖されたい願望なのでしょうか。

正月の晴れ着は、神参りのため。その意識は、どれほど残っているでしょうか?

提灯を持った年長者を先頭に、正装して神社詣での記憶はかすかに残っています。

この本を読んで記憶の底から浮かび上がりました。

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山折 哲雄書 愛欲の精神史

2011-01-10 19:11:08 | 本と雑誌

あとがきまで589ページの単行本。まだ読書途中。

ときどき、書架からはみ出し廃棄となる運命の本が運ばれ、雑然とあふれていた1冊で、

読み始めたらやめられなくなった。

I 性愛と狂騒のインド

 日本人の音感覚をはぐくんだ声明と御詠歌

 インド人の四住期、釈迦の四諦説との関係そのなかでの 

     林住期のときの妻の意見も聞きたい!が書かれていなかった。

IIガンディの聖性と魔性 

  ナチスドイツは、120万のユダヤ人の殺戮をしたが、

  インドとパキスタンの分離独立の移動で60万人が同法殺戮となった。

  憎悪と恐怖と猜疑の感情からの短期間の殺戮だという。」

愛憎紙一重というのは短絡的と思うが

愛するという複雑な感情の分析は、尽きることがない。

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シューマンの指で作品番号に興味を持った

2010-11-01 18:06:27 | 本と雑誌

書評のなかでタイトルに惹かれて購入し、推理小説であることが判明。

いつもながら、一気に読破。

内容には触れませんが、

演奏家に行く、CDを聴くのみで、

音楽の時間に学んだ、それも遠い記憶のかなたとなった知識のみであったが、

この本には、シューマン の作品 Op●●が繰り返し出てくるほかに

マーツアルト K●●、シューベルト D●● も出てきたので、

音楽の作品番号(Opusオーパス)の表記は、

どうなっているんだろうとにわかに興味がわいた。

ネット上では、整理してくれている記事が見つかりました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%9C%E5%93%81%E7%95%AA%E5%8F%B7

奥が深かった。

たまたま指を怪我して手に取ったので、

装丁に血をつけたと、拭き取ってみたが、

色の変化が全く起きず、その時点で印刷であったと気付いた始末でした。

ピアノの鍵盤に、血痕と、血の指紋。内容を暗喩した装丁でした。

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