連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

断捨離

2017-11-30 04:10:14 | 日記・エッセイ・コラム
いったん手元にあることになったものを捨てることが苦手です。
時間が経つとなおさらのこと。
ある入院患者から、”ばった屋”という職業を教えてもらってから、
死後に向けた荷物整理は、スペースがあるかぎりやめようと。

この度、1991年に開院し、2013年やむを得ざる事情で売却し、その後も勤務し続け、旧院長室をそのまま使用許可をいただき、
患者資料と、多くの本に囲まれて、過ごしてきましたが、
ついに、2017年12月14日をもち、閉院。
患者資料は、
“Non-invasive early detection of anthracycline-induced cardiotoxicity in patients with hematological cancers by using the phased-tracking method”
”Response-based intensive induction chemotherapy of curative approach in elderly acute myelogenous leukemia patients in single institution”
として、掲載済みに関しては、廃棄処分:機密資料として。
現在投稿中の
Fifty-five essential thrombocythemia patients follow-up study in single institutionに関する保存義務期間を過ぎたカルテも含めて新病院で、手元に。

ほぼ原稿は書き上げても、データ処理関連の、宇塚先生と共同して作り上げた個表は、投稿までは自宅で手元に。
半間の本箱の一段の本を詰め込むのに、経験から、ミカン大箱3つは必要と理解していましたが4間四方の壁面3段分の個表は、治癒を目指して分析する以外は利用価値がない情報とはいえ、機密処理をする量は膨大です。廃棄するのに、感情がこみあげてきて、時間を要します。
期日は厳守、ピッチを上げなければ。

てもとにあれば、いずれ解析をしてと思いつつ、資料を横目にみながら、日々を過ごしてこれたが、廃棄してしまっては、利用しきれなかった無念さのみが残る。昭和50年前後に電顕でも細胞構造を観察研究していた宇塚先生撮影の写真。

物は、断捨離しても、記憶は、心は、離れない。

能力、体力を考えると、資料を利用し、治りたい患者の希望に添える研究を完成させることが困難になりつつある自分を悟り、断捨離。
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みんな治してあげたい

2017-11-18 08:56:48 | 血液専門医宇塚善郎
朝のながら見の”わらてんか”で、「お子たちにも、おなごさんたちにも、みんなに……」の、みんなにのことばから浮かび上がってきことを書きます。

恩師宇塚義郎先生は、拡大してモニター画面に映し出すアシストビジョンを、生活の主要な場所において、高度の視力障害に対応して、読み書きを続けていました。
自分の視力に合わせて調節できる顕微鏡といえども、視力低下で、微細な変化が確認できず、私にまかせるようになり、
その日の光の具合で、わずかに輪郭が認められるほどの視力になり、
大好きな読書も不可能になり、
いろいろなやりとりのなかで、
患者は、みんな治してあげたかった。”ゲーテの最期のことば、ひかりをを念頭に置いて、”死ぬ時に、よく目が見えていてもしょうがない!”と。
顕微鏡で、両眼視力を失ったことに対する、愚痴は、生存中には一言も発せず、
楽しい空想の世界で時間を過ごされていました。
視力は失ったのですが、手の触覚、分解能力は優れていて、どうしても視力が必要な診察は、私でしたが。
丁寧な触診に、新患の方は、いつも問診だけで、診察らしい診察は、初めてと感激されたかたも多数いました。

視力障害の原因は、片眼の顕微鏡のためです。
40台には、右眼はすでに失明していたということを後日教えていただきました。
よくよくのぞき込み、右目は瞳孔散大、左右の色が異なっていて!
片目顕微鏡時代に血液学を研究推進された大家には、やはり視力低下、失明の先生も。
内視鏡で多数症例を検査した先生の片目失明報告後、モニター画面で確認しながら操作の時代に移ったと記憶しています。

恩師宇塚善郎先生は、左目のみの視力ですが、両眼顕微鏡で、東北大学第3内科勤務中は、担当したすべての患者の骨髄、末梢血液塗抹標本を、御自分で顕鏡。毎週月曜日の、血液ミーティングに備えていらっしゃいました。1991年、仙台血液疾患センターを開院後も、骨髄塗抹標本は、すべてご自分で。新患で、診断確定のためには、末梢血も必ず。

顕微鏡観察は、個々の患者の、体内変化を直接観察できるのですが、
長くなると、目は滲み、視力は低下することを実感します。
人工知能(AI)時代をむかえ、微細なビジュアル観察ができるモニターをみながら、AIの診断をチェックするだけの時代が来つつあり、
時代を担う、若手の医師は、顕微鏡による視力障害は、過去のものとなることでしょう。

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信じた治療の先に訪れる  

2017-11-11 16:50:19 | 健康・病気
もともとは、急性白血病などを専門として診療を行っていましたが、
今は、入院患者は、重度の意識障害者を受け持っています。

脳の悪性リンパ腫に対する、照射療法後の患者も対象患者です。
脳の疾患は、特殊で、治療も臓器特有の制限があります。
血管脳関門のためです。
血液系の疾患が、脳に発生した場合は、放射線療法となります。
放射線照射治療は、終了後も、細胞の変化が生涯続くと認識されています。
成人急性リンパ性白血病の血液学的寛解中に、
強烈な頭痛、吐き気を伴う、中枢性白血病再発。
髄腔内にメトレキセート注入、全脳照射。
メトレキセートと照射の併用は、白質脳症が起きることは周知ではあったのですが、
目先の症状を取り去ることが優先。
寛解にならなければ生命予後は、近い将来に絶たれます。
血液学的寛解を維持し、中枢性白血病も寛解となりました。
かなり経ってから、聡明だった彼女の表情が、幼児のような透明な表情に輝き始めました。
白質脳症が徐々に顕性となってきたのでした。
家族を傷つけるような言動、行動を示す変化ではないことは、救いでしたが、
治すことを目指した治療が、また新たな疾病を引き起こし、しかも治療法がない病変をつくりだした!
この衝撃は、大きく、カルテに向かう異様なたたずまいの私に声をかけてきましたが、
彼女の検査結果を伝えるために、心を平静に向かわせるのに時間を要しました。
もう40年も前のことです。

血液専門医というよりは、高度障害者の緩和的治療を求めて入院してくる患者に対応しながら、
立て続けに、脳悪性リンパ腫治療後の白質脳症患者を受け持ち、
いまだに、起きるのが必発とも思える治療を選択せざるを得ないのかという思いと、
信じて治療を続けた先がこれかという医者としての絶望感を、どうたてなおしたのかしら?
患者、家族は、治療に先だっての説明でも、避けられない現実で治療を受け入れ、
それでも、起こらない可能性に欠けて治療を受け入れ、
しばしは症状は消失、軽減に喜び、
しばしの後に、白質脳症の症状発現、そして病状宣告。
来るべき時を覚悟し、
認識できるうちにと語り、面会に訪れる家族。
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