職業柄、高齢者介護、認知症介護、認知症当事者との接点がある。
認知症という言葉、知らない人はいないと言えるほどの日常語になったのはいつ頃だろう。
Dementiaに対応する言葉として”痴呆”が使用されていたが、言葉の持つイメージに配慮する形で、議論を重ね
2004年12月に名称提案がなされ、行政用語として使用されるようになったのだそうです。、
厚生労働省のHPには、詳しくしるされています。
【認知症とは「生後いったん正常に発達した種々の精神機能が慢性的に減退・消失することで、日常生活・社会生活を営めない状態」をいいます。】
避けようのない加齢現象。以前は認めなかった、白毛、しわ、足がつるなどがあらわれると、
にわかに、”認知症”当事者としての自分が、そこはかとなく浮かび上がってくるが、
両親は、認知症にはならず、介護は、必要なく、薬石手を尽くしたが、疾病による死亡であったので、
ロコモティブシンドロームにならなければ、多分老衰死!をイメージしている。
学生時代に発病した膠原病関連で、歩行困難、車いす生活での生存を想定していたので、自宅はバリアフリー。
入り口はスロープ、手すり取り付け可能な耐久性を持った壁の自宅なので、住み慣れた家で、AIロボットを相棒として導入し、介護システムの支援を受けながら、自宅で死ぬまで過ごしたい。
心通わせた人はすでに他界しているので、葬式はせず、葬儀社に取り仕切ってもらい、遺骨は、両親、先祖が眠る寺院の墓地に。
仏教界の社会通念に従い、菩提寺で法要をしてもらい、死後50年を経過していない両親の法要もあることであり、近々には、永代供養のお願いについて聞いていただく。
奈良薬師寺食堂『千体阿弥陀仏』にて、宝寿院無量医光善照清居士、喜徳院悟山覚道居士、齋藤家の永代供養をしていただくことになり
先行き不安なし‼という安堵感がひろがりました。
生を得てから、唯一の変えられぬことは、死ぬことですから。
一期一会、日々に生き、死ぬ。