宮城学院内を、大学の新入生歓迎会で散策しました(プロムナードと呼称)。
建物に沿って、でも繁華な人の出入りが無い側に、ぎんランが群生。
記憶にある、きんらん、かきらんはどうしたんだろうと気になりだしました。
しょうじょうばかま、ゆきささ(母が笹と間違えたのが思い出されます)、いちりんそう、ふたりしずかは絶えてしまいました。
長らく、季節ごとに訪れてくれた春の植物も、
繁茂する植物(あえて雑草とは言いません)と競争できるように
気にかけていないと、突然去ってしまいます。
紅のビロードのおきなぐさは、無骨な父が、いとおしそうに眺めていたのに、去年からどこかに行ってしまいました。
秋田から持ってきた小さな藤は、15年目にして、やっと花をつけました。
藤棚が、朝日しかあたらず、陽射しが足りなかったのでしょう。
でも、とうとう、隣の庭に伸ばした一日中、陽が当たる枝で花をつけました。
藤棚が朽ち果てる前に咲いてくれました。
南に向けて枝を伸ばし、
かって宿泊した、フィレンチェの、ヴィラ・サン・ミケーレの中庭のように
建物の壁に沿った枝に、沢山の花が咲くように
ことしから、アレンジした剪定を自分でしたいと思います。
庭の剪定を頼んだら、さし芽から育て、やっと実をつけたはないかだが
根こそぎ切られてしまいました。
白く咲いている最中の、銀杯草も、かわらなでしこも
雑草よろしく、取り去られ、いたく落胆しました。
自宅にいないので、意向をうまく伝えられないからとはいえ、
植物に対するセンス、愛着の違いに、毎年、
植木屋さんが、"雑木、雑草”と処分した植物がないかしらと気になります。
そして、目を楽しませてくれる季節になり、記憶のフラッシュバックで、
”なくなっている!”
"手いれをせずごめん” と、
体調不良、多忙を理由にしていた結果に、
目下、悲喜こもごも、忙しくも楽しく植物と出会っています。
宮学プロムナードでの出会いは、
ぎんらん、しゅんらん、ほていつくばね、ちごゆり、えんれいそう、るりそう、
はんしょうづる、白、紫な大小さまざまな菫、さるとりいばら(秋から冬の赤い実のほうが有名)、しふりざくら、けむりのき(多分)は、しもつけは、見ごろの出会いでした。
間もまく咲きそうな、まいづるそう、つわぶき、とりあししょうま。
葉での出会いは、においすみれ、かたくり、ほととぎす、おうれん、ふでりんどう、など。
白鳥が飛来する沼を初めて確認しました。