朝ドラ、【ぶぎうぎ】で、金曜日12日のあさイチで、淡谷のり子さんが、特攻隊員の前で歌唱した、
回想シーンの記録を拝見し、平均年齢16歳で、
行きの燃料だけで、死ぬ以外はない特攻隊員。
若人の死。
父は、戦中の話には寡黙な人であった。
終戦は、横須賀海軍航空基地で迎えたらしいことと、
仙台血液疾患センターに併設した造血器主要研究所の、大きな木の表札を揮毫したもらった時に、
ボソッと、特攻隊〇〇〇以来になる、と。
父の生前、倫理的に、人としての在り方には厳しかったが、叱られたことは無い。
手(書)は美しくと、(硯、墨一式)、たしなみとして楽器を(大学入学で家を出るときの荷物に笛を忍ばせ)、武術も身に着けてほしいと希望されたぐらいで、勉強については、言及されず、本は身の回りに豊富に取り揃えてくれたぐらい。
暇になった最近になって、もっと言葉を交わしていいればよかったかなと思う。