連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

孤独死

2012-03-31 17:01:38 | 健康・病気

老人ホームの専用居室に入居していた、自立していた87歳女性が、

死後1週間経過して、電話に出てこない事を不審に思った家族が

老人ホームに連絡してからの職員の発見によるという。

病院では、医師も、看護師も見守る中での死の確認なので、

”報道されている、見守られない死”ではないが、

臨死状態の長期化、時間帯の不都合などで、

医療者側だけの見守りで死亡宣告をお願いされ、

しかるべき都合の良い時間帯に家族が来院というパターンが出てきた。

医療者にとって、とてもつらく切ない申し出です。

孤独死ではないが………。複雑です。

独居生活での、孤独死は、縁ある人にとってはつらいものとなるので、

いかなる予防策がよいかなと思い巡らせることがある。

大勲位(中曽根康弘氏)元側近の”天国からの手紙”という 新聞のコラムをみつけたhttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/553746/

妻に先立たれた後の数年間を一人暮らしをしていた小林克巳氏のここ1、2年は知人に毎日自宅に「安否確認」のために連絡を入れるよう頼んでいた。昨年暮れ、知人が電話したところ、小林氏が体調を崩したことが判明し、東京警察病院に緊急入院した。そして年明け4日に死去した。

死亡通知は、本人直筆で、 

弔意を頂戴(ちょうだい)することはすべて固くご辞退申しあげたく存じます。

■「積極的な『孤独死』 

これって理想的ですね。 

連日の連絡が決めてですね。

母が存命の時は、毎日電話し、隣人にカーテンの開閉の確認をお願いしていた。

次は自分の番であるが、現在は、多忙に仕事をこなしているので、

無断欠勤を不審に思って発見されるでしょう。

職を辞し、活動力が低下してからの連日の安否確認依頼先の確保が問題ですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偶像、写真

2012-03-21 09:16:56 | 日記・エッセイ・コラム

偶像を認めない宗教に、ユダヤ教、イスラム強がある。

偶像を認め手いる宗教に、仏教、キリスト教がある。

思う強さ、偲ぶ強さ に差はうまれるか?うまれないか?

現代の偶像は写真か?

写真は、在る一場面の記憶を呼び起こすきっかけになり、

それに伴った様々な記憶に連なる。

写真がなくてもともにあるが、

物体への接触は、頻繁な呼び戻しになる。

その結果に生まれ出る心象は、一様ではない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雇用のミスマッチ;若年者

2012-03-20 10:11:20 | 社会・経済

3月19日の報道で、

大学や専門学校に通っていた2人に1人が職場に円滑に進めず 

という、うすうす感じていたが、改めて数字として突きつけられると

胸迫る事態が日本中で進行している事を覚悟した。

血液疾患を専門とする単科の小病院に開設以来関与してきて、

年々、”リスクマネンジメント”に対応できない看護師の早期離職に困惑している。

システムとして、アクシデントの防止策、チェックシステムを完成し、踏襲してきた。

そのおかげで、インシデントも皆無と言っても良い状況で経過してきた。

検査の指示受け、実行、確実な業務施行に対して、点検するという作業があるので、

取り違え、遅滞が起きない。

このチェックシステムに耐えられず、離職する。

自分の方針でやりたいので、遅れている、誤っているなどの指摘に耐えられないようだ。

早期離職後の、再就職後の医療現場での看護師の実態から、

雇用先にフィットするつもりのない人たちの増加が年齢を問わず始まっていた。

その現実が”大学や専門学校に通っていた2人に1人が職場に円滑に進めず”

そしてその後も延々とミスマッチと言って停滞し、社会の不安定要因になる。

看護師不足が叫ばれはじめたのは、1990年代から。待遇改善を求めての退職の連鎖

看護基準の改定もあって、一時的にしろ看護師不足は、

病院維持の絶え間ないマイナス要因となった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉本隆明死去 余談

2012-03-17 10:49:35 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は朝礼の日

吉本隆明;よしもとたかあき といっても、

知っている職員は事務長だけではないだろうか。

職員は、院長の”言い間違い。

どうして吉本興業に興味を持ったんだろう?”と思うに違いない。

という会話の後での朝礼であった。

戦前、戦後の思想の転向関連の活発な討論。

60年代、70年代の学生運動に影響したことなど。

吉本隆明は、本質に迫る鋭い論舌、考え方を発表したが、

人の集団リーダーとなることは求めなかった自由な人であった。

自分の考え方を展開し、真実に迫りたいだけの人

だったのではないか。

よしもとばなな の ”良き父” は、吉本隆明、人物評の総括かな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉本隆明死去3月16日

2012-03-16 12:32:18 | 日記・エッセイ・コラム

恩師宇塚は、出勤早々、開口一番に「吉本隆明が死んだそうだ。」

60年安保の激突を間近に過ごした、中学、高校時代

70年安保は大学で迎えた全共闘世代の一員として、

埴谷雄高、羽仁五郎、高橋和巳、大江健三郎とともに

その発表する”思想”に注目したが、傾倒はしなかった。

考え方は変化するし、その変化が受け入れがたいとき、

傾倒は、表出故に仇となり、無駄なエネルギーを費やすことになる。

自己の確立には、真相の意識をあぶり出すには、

他人の意見は役に立つが、それだけのこと。

吉本隆明の1996年8月3日、西伊豆海岸での溺水、瀕死事件。

入院中のメモ(日記)で、

8月13日”無償と言うことの重要さ。”

8月15日”医師の求めるのは、静的な真空状態での身体の優等生的な健全ということだ。”

8月16日”入院は、真空名空間のなかの身体の生活行動の静止だ。”

8月17日”個人の幻想が共同幻想と同致してしまうこと

(それれがかってわたし自身がやっと死の定義だ)

はそれ自体が重たいことだということか。

8月24日”病院は……てんヌエ的な箱だ。……病についての留置所だ。

病は罪の一種であるか。”

死の位相学 の増補新版  新 死の位相学 の初めに添えられている。

社会で起きている死と接する経験、

自己の”死”一歩手前の経験が、増補版に加えられている。

1997年、平成9年8月30日刊行

その後も、著述を旺盛に。

死に際しての儀式は、家族との有り様、

社会の接点の有り様に対しての意見は遺したのだろうか。 

受け入れがたく耐えがたいでもない変化

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手作りのママレード

2012-03-12 09:33:22 | 日記・エッセイ・コラム

中学時代の恩師の庭産の甘夏2012031221090000

沢山のもぎたてのジューシな味を楽しみ、風呂の湯に皮を入れて香りを楽しんでおりました。


2012031221280000手作りのママレードも届けていただきました。

あこがれの先生を中心に、大師中学校卒業後45年経ても交流が有ります。

昨年の大震災後、ライフラインが復活後早々に

率先して幹事役を引き受けてくれる同級生がとりまとめて、

支援の手を神奈川県から差し伸べ手くれました。

食料不足な中、心も届けてくれ潤ったのを思い出します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月11日

2012-03-11 10:50:24 | 東日本大震災

2011年3月11日 午後2時46分に発生した地震から、

数時間の間に多くの人が、死亡時間不明の突然の死を迎えた。

その後数日の間に、地震、津波に伴うライフラインの途絶で、

多くの人が、避けようもない死を悟りながら息絶えた。

その後、絆、絆 という文字、言葉があふれるなか

自殺、孤独死の報道も多かった。

生き延びた命だからと、前向きな気持ちを奮い立たせても、

寄る辺ない虚しさは、紛らわす手業がなければ、居座る友であろう。

疲労困憊するほどの職の復活、求人が満ちあふれることを期待する.

自然の圧倒的力による大震災発生1年後の2012年3月11日。

前日の3月10日は、67年前の東京大空襲;人災

死者10万人以上と言われているが、

死者、行方不明者のすべての把握さえ出来ていない。

生き延びた生命は、悲惨な記憶を心にとどめ、

永久の再開の日まで辛抱強く歩むしかない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひな祭り

2012-03-03 12:48:17 | 日記・エッセイ・コラム

新暦3日を目前に、慌ただしくおひな様をお迎えし、

旧暦3日の後にお戻りいただいておりましたが、

昨年の3月11日に震災に見舞われ、

軽微な損傷でほっとしてひな壇かざりをそのままに、そばにいていただきました。

20120226144100001崩れたところがあります。

20120302181000001 装束を整え、位置をただしました。

今年は、長い逗留に感謝して、祭りの翌日にお帰りいただく予定。

大学に入学後は、家に戻ることはありませんでしたが、

父は無骨な手つきで、おひな様の身支度を行い、段飾りをし、

母は、ちらし寿司をつくり、近所にもふるまってくれていました。

今日は当直なので、申し訳ないことですが病院の行事食のちらし寿司ですませます。

20120303121400001 美味しい食事。でも撮影の腕は下手そのもの。

戦後間もない、物資の乏しい時代の、0歳、最初のひな祭りは、居住環境に合わせた

小さな小さな3段かざりと、写真最前列にある伯母達からの藤娘

(豊かだった黒髪は虫食いに合わせてしまい短髪になって申し訳ありません)。

7段飾りは、父となじみのお人形やさんに通って揃えていただきました。

段飾りがそろったとき、近所の子供に集まってもらい、ひな祭りをしたのですが、

当時は、余裕の無い時代で、

幼かった私は晴れがましかったけれど、

別の一面、波紋も広げたかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこにいったんだろう

2012-03-01 13:05:09 | ペット

燦はまだ戻ってきません。

保護猫情報http://www.city.sendai.jp/shizen/dobutsu/pet/1134.html を毎日チェック。

今週になり、次々に画像がアップされています。

”マンカス””ミスト”ばりの容姿の二匹と、全身、茶キジ、黒キジの4匹。

掲載期日後を想像すると……。

せめて、我が猫は、同様の運命をたどらないように日々チェック、

そしてまた1ヶ月後の3月14日に更新連絡をする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする