視界不良で、僅かな段差にこすり、自転車ごと弾き飛ばされた。車道側でなく、歩道側で、しかも通行人は通り過ぎていたので、自分だけの怪我で済んだ4月23日。
用事があるところまでは、痛いながらも自転車を漕いで到着。
しばし、膝をさすり、屈曲などをしたが、
歩くと痛いので、用事もそこそこに、コーヒーをいただいて、
自転車を置き、車で自宅まで送ってもらった。
当日は、左ひざはパンパンに腫れあがり、冷却し、翌日には腫れは少しは軽くなるかと様子見。
翌朝、ご夫妻で、置きっぱなしの自転車をワゴン車に積んで持ってきてくれ、
たびたび、けがを経験している、豪胆な奥様が、整形外科に行かなければ駄目。その後の経過、行動にかかわるからとの強い勧めで、自宅から最も近い整形外科を受診。
レントゲン写真で、膝蓋骨骨折。
直後、たいして痛くもなかったので、屈曲したせいもあったのか、ひびが入っているだけではなく、一目瞭然、明らかな隙間!
痛いのは、パンパンに腫れた、内出血の緊満によるだけと高をくくっていたが、骨折していた。
高が、膝蓋骨の骨折なのに、午後になり、39度まで発熱。侮ることなかれでした。
翌朝には、痛みはあれど解熱。
左足のみの限定的な、不自由なので、自己のペースで移動可能。
25日に、松葉杖をついて、出勤したが、病院の規則で、就業拒否。なれない病院に初受診の血液患者に不安を与えてしまった、不明を恥じる仕儀となってしまった。
自宅の生活は、しみじみと一人暮らしでよかった!と、思った次第。
27日は、解熱持続で、タクシー、松葉杖を使い出勤し、就業許可。
膝が曲げられない不自由さは、車の乗降、障害部位の足を床から離し続けなければならない、非日常的筋肉部位の使用などなど。
当初は、膝の痛みで気にならなかったのですが、
膝関節内出血が、下に降り、皮膚も紫色、緊満で微妙な痛さ。
足背も、腫脹。膝から血液?ではないようで、踝付近が、持続的な痛みで、
内出血は、下腿とは離れており、左足首もひねっていたのだとの思いを巡らせるようになったのは、2週間も経過してから。
痛みは、種類があるし、程度差もあり、軽いところは、損傷していると気づかず、
炎症の主戦場の膝のみかと思っていたのだった。
末端よりは、躯幹に近い膝が軽快し、
出血腫脹以外にねじりの痛みは、膝にもあるようで、左踝付近と同様な、動きによりキーットした痛みに2~3日前から気づきました。
今回は、学生時代に発病した、いまだに病名がついていない膠原病関連の全身疼痛からは、些細な痛み。
くしゃみをしても響かないし、
身障者仕様の家には、助けられています。トイレ、バスタブ。
特に、ふろ場は、段差はわずか、てすりはもちろん、足は延ばせ、バスタブ内にも手すりがあります。
学生時代から経験してきた、正常ではない身体状況に対する世間の視線に対する経験値。
年齢相応の、社会に対応可能な知恵とたくましさ。
親身になってくれる両親、恩師ともすでに他界していることでの、唯一頼るのは自分。
他人の厚意は、ありがたく、かと言って期待するものではないという経験。
身体に関する知識を、最大限活用。
痛みが軽減してから、骨形成を促す運動。
創傷治癒に必要な食事成分の摂取。 心がけています。
年齢は、70歳を超え、代謝の低下は、認識しつつも、
カーブスでの、計測では、30代の筋力との数値を信じて早めの回復を期待したり。
歩くことを意識しなければいけない毎日で、左右交互に踏み出せないと、歩行速度は三分の一。
背中の負担。
ギプスを外して歩く時の、違和感。たった2週間経過で、足底の連動運動は失われている。
身体の調和とは!
高が、種子骨である膝蓋骨ではありますが、
小さな骨の骨折は、身体全体にかかわっています。