兄の手術に際して、近親者の同意書、承諾書が必要との連絡があり、今後について考え込んでしまった。
兄、私も独身である。子はいない。
両親のきょうだいは、いずれも両親より年長である。
両親は晩婚である。
いとこたちは、すでに鬼籍に入っているものがほとんどで、生存中は一人で、私たちより10歳も上。
従妹たちの子供たち、またいとことの付き合いは、葬儀の折の顔見知り程度である。この人たちに突然、入院、手術時の説明、承諾、保証人をお願いするのは、考えられない。
兄は、生存中であるので、近親者としての役割を担ってもらわざるがえないが、兄の死後はどうする?
近親者の同意など要請されるなら、入院はやめよう、手術も受けないで、死を受け入れようと思ってしまった。
ジョン ダーントン著 エクスペリメントを読了直後ということもあり、
不老不死を手に入れたい人が、手段を択ばず、古代からいるという事実。
生き延びることに執着する何もない私としては、不老不死を願う気持ちが不思議だ。
両親が存命だったら、臨床研究を共にしてきた恩師が存命で、成し遂げなければいけない目標があったらば、まだ死んではいけないのだろうと思うかもしれないが、
父は、25年前、母は16年前、恩師は、5年前に亡くなっており、主治医がいなければ、生きていくことも、治癒もないと考える患者がたくさんいた当時の仕事はないので、現世につなぎとめるものはない。
日々を大切にすごすのみ。
”エクスペリメント” かいつまんでみると、
医師と科学研究者夫婦の我が子の、健康長寿を願い、
将来、病気にり患した時のために、予備の臓器のためにクローンを作成する。
クローン作製は、容易な技術となり、
不老不死を願う、社会で成功した人たちに高額でクローン作製をビジネスとして成立。
予備臓器を提供するクローンたちは、ジェミニーと呼ばれ、島で隔絶して育てられる。
そして、健康障害が起きるとジェミニたちは、臓器を根こそぎ取り出され”廃棄=死”される。
最後は、親の愛を示す場面で終わるのです。
不老不死を願うのか!
子は何にも代えがたい存在なのか!
私には、無縁な志向だなと思った次第。