急性期の医療を行っている、専門性の高くない病院に、
知人の親が、酷暑の夏で体調を崩して入院しました。
親一人、子一人なので、万が一の場合には、手助けするという状況に陥ったので、
自然な流れで、病人の枕元での時間を過ごしてきた。
血液疾患を専門とは言え、高齢者の比率が高い急性期医療を担っている医師の私ですが、
高齢者医療の現実に、驚きました。
いろいろの説明を受けながら、経口摂取は不可能な状態で、一日の補液量は500ml.。
カロリーは、400Cal。日勤帯のみの補液。
見聞可能な、モニター、尿量、体温から、
骨粗鬆症、認知症以外の生活習慣病は認められず、
年齢相応の臓器機能を維持しているなと思って傍らに寄り添ってきましたが、
水分、カロリー不足による体力の衰えは日に日に進行し、
循環血液量不足による血圧低下、そして呼吸停止となりました。
呼吸が止まってという連絡後、静かに、看護師、医師が入室してきました。
53分でした。呼吸は、52分に止まりましたともうしあげたところ
『、死亡時刻は57分です。』と宣告されました。
思わず聞き返しました。
モニターの波形は、洞調律の規則正しいリズムを示していたからです。
医師が死亡時刻を宣告すると、看護師はモニターを止めました。
家族としては、意識が無くても一日でも長くとねがい介護休暇を取り始めたばかりでした。
医療現場は、それに応じてくれる雰囲気はありませんでした。
急性期医療に支障の無い範囲で、調節された期間内で死をプログラムされたような、
同じ医療という現場で働いていますが、驚きました。
呼吸停止、5分後の死。
臓器移植の現場では、良好な状態の臓器保持の立場からはありでしょうが!
若い医療者の、高齢者の生命に対する対応がここまでとなっていたのかという、
複雑な寂しさ、葛藤が渦巻いたまま1ヶ月が過ぎようとしています。