連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

年末年始

2017-12-31 12:01:47 | しのぶ
 

SBDCは 師走の闇に 溶け込みて あらたまりても あるじ忘れそ

戌年に あらたまりても 居ぬ人は せぜにあらわる 名取川
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日馬富士暴行事件の顛末 報道バランス不良

2017-12-28 08:29:18 | うんちく・小ネタ
暴行実行後、発覚するまで日数を要した。
日数を要したこと自体に、問題が含まれている。
障害の原因を、語れない相撲界の内実が潜んでいるとしか思えない。
その後の、貴ノ岩の障害に対する報道態度に、バイアスがかかっているように思える。

暴行後、巡業で相撲を取っていた貴ノ岩に対するコメントも。
突き飛ばす威力の張りての持ち主が、何度も左右内をしたらしい。
むち打ち症様な、脳せき髄循環が起きてはいないのか?
診断症記載の、診断簡単、明瞭な骨折はなくても、
診断困難な、脳脊髄液漏出が起きていたとすると、何となく体調不良が長引き、今後の力士生活に赤信号。

昨日の、貴乃花親方の話内容にたいして、否定的報道ばかりという気がした。
貴乃花親方の、相撲界にはびこっている因習に対する確たる発言を期待していた割には、そっけなかったからか。
裁警察に届けたときの、当事者は発言を控えているのが普通で、
過剰に発現している側は、利益誘導のための手段、加害者が、被害者にすり替わる手段としてかなと、
マスコミ報道にもうんざりしていたので、公平感はない顛末になりそう。

見識者としてアピールしている相撲評議会も、組織、組織の維持を強調、。
問題意識は、荒波立てず、やってゆけよとばかしの感がする。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/貴乃花親方バッシングに見る相撲協会とマスコミの「狂気」/ar-BBHqiXp?ocid=spartandhp#page=2
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いまだ正中丹田ならず!

2017-12-26 08:41:28 | 健康・病気
2017年12月25日 太極拳教室離散会
2002年、友人が強く強く健康のためと誘ってくれ、始めた太極拳。
驚愕された姿勢は、徐々に徐々に改善。
10年ほどして、自己抗体の数値が 1/1000に低下。その後は、変化せずとも、無駄なタンパク合成しなくなった分、体は楽かもしれない。
日常の歩行も、重心を正中にを意識しているが、いまだし!
その最中に、練習継続の場所を失う。

歩行困難そうには見えず、外見は正常。
長い間、左足は伸びなかったのが、昨年から伸びを実感し始め
左足の感覚は、右足と異なり、知覚鈍麻。感覚が戻りつつあるといったほうが将来の回復に期待が持てるかな。
解剖生理学を教えている身にとって、人体の奥深い潜在能力、復活力に驚嘆することしきり。
わが身に照らし合わせてもです。

週に1回の太極拳練習は、皆勤に近い出席率。
否応なく、体のストレッチを週1回は、強制できたが、教室閉鎖で、今後どうしよう。
勤務日程で、日中には参加できず。
忘却に任せたくはない、套路。
24式は、いろいろ難点はあれど、注意点を留意しながら套路を過たずできる唯一の太極拳。
42式総合は、未完成!
32式剣は、何とか。
24式扇も、何とか。

知っていることと、教えることは別物と内心思いつつ、
カリキュラムが存在していないので、
長い練習期間、にもかかわらず、中途半端な套路の教授過程であった。

病後の体では、2段検定受験資格なしと、暗黙の示唆ありて、
資格取得は放置、放棄。

重心、虚実を意識した套路の完成度を高めたいという気持ちはある。
持続した意思で、自己研鑽あるのみ。
さてさて、どうしたものか。
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疲労困憊時の心身

2017-12-17 11:10:43 | 日記・エッセイ・コラム
見ることを避けたい、音を聞きたくない、静かで暗い所にひっそりとしていたかった状況で思い出すのは、骨髄移植後から1週間程度の患者を思い出す。
骨髄を空っぽにするための大量の化学療法剤投与、
引き続き、全身照射のために40分という長時間の照射を6日間。
1987年から1998年までに実施した当時のconditioning

11月末から日々移転に向けた作業が続き、
その間に、生涯教育、看護学校の講義、第9コーラス参加練習、12月3日演奏会演奏会など通常ではないことも加わり、毎日が過密スケジュールで、
往復の通勤時間3時間中、なるべく目を閉じていたかった。
診療は、いつも以上に元気溌剌で対応したが。
外来初日に受診した患者に、、”おめでとうございます。”と、声をかけられ、素直に応えられない、複雑な感情。内面は、切実な患者の希望に応えようと、資金力の無ければ、経営の才能もないなか、開院に漕ぎつけ、その後も、人員確保の厳しい現実などを必死で乗り越え、挙句に閉院止む無しとなっただけなので。

”広い!” ”隙間風が入らず暖かい” ”雨漏り心配しなくなくなりよかった”と、立て続けに、富田病院に、勤務していた、仙台血液疾患疾患センターとは疎遠な職員の言葉は、突き刺さった。



人間の感情は、
歳をとることは、
一度、咀嚼し、心にとどめ、平常心を装うことがどんどん、どんどん増えてくることと、悟りしなり。


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感情とは

2017-12-16 15:29:31 | 日記・エッセイ・コラム
2017年12月14日、患者移送、閉院がded line!
27年間の、それに先立つ東北大学第3内科血液グループ時代の急性白血病化学療法黎明期からの患者個票の機密書類廃棄作業。
次第次第に、疲労が蓄積し、ded lineまでに終了しなければという思いだけになった。
新病院で、3日目となり、感情とは?との思いが湧き上がった。

1989年恩師の退官後、患者の切実な気持ちに沿うために、病院設立のための候補地探しに始まり、
1990年起工式、1991年竣工、1991年5月1日クリニックレベルで開院。
1995年には増床許可病院となり、2013年2月28日、葵会に売却。
葵会仙台富田病院となってからも、居住していた病院の閉院に伴う、転居作業は大変だった。
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