見ることを避けたい、音を聞きたくない、静かで暗い所にひっそりとしていたかった状況で思い出すのは、骨髄移植後から1週間程度の患者を思い出す。
骨髄を空っぽにするための大量の化学療法剤投与、
引き続き、全身照射のために40分という長時間の照射を6日間。
1987年から1998年までに実施した当時のconditioning
11月末から日々移転に向けた作業が続き、
その間に、生涯教育、看護学校の講義、第9コーラス参加練習、12月3日演奏会演奏会など通常ではないことも加わり、毎日が過密スケジュールで、
往復の通勤時間3時間中、なるべく目を閉じていたかった。
診療は、いつも以上に元気溌剌で対応したが。
外来初日に受診した患者に、、”おめでとうございます。”と、声をかけられ、素直に応えられない、複雑な感情。内面は、切実な患者の希望に応えようと、資金力の無ければ、経営の才能もないなか、開院に漕ぎつけ、その後も、人員確保の厳しい現実などを必死で乗り越え、挙句に閉院止む無しとなっただけなので。
”広い!” ”隙間風が入らず暖かい” ”雨漏り心配しなくなくなりよかった”と、立て続けに、富田病院に、勤務していた、仙台血液疾患疾患センターとは疎遠な職員の言葉は、突き刺さった。
人間の感情は、
歳をとることは、
一度、咀嚼し、心にとどめ、平常心を装うことがどんどん、どんどん増えてくることと、悟りしなり。