東北大学第三内科、仙台血液疾患センター、冨田病院、葵会仙台病院と続けてきた診療が、打ち切り通達があった2019年年末。
血液疾患は、専門性が高く、重症化しやすい為もあり、東北大学時代、医師による敬遠、忌避が見に染みていたので、診療中の患者が、他の医療機関を受診した際の、取り扱われ方に思いを巡らすと、患者を引き連れた移動先を見つけなければと決意し、奔走した。
年始から2週後、いみじくも、有り難く、佐藤病院で引き受けていただき、
勤務は、外来、月曜午後と、偶数週の土曜日だけなのですが、
入院が必要となったとき、院長先生が快く引き受けてくださるのです。
高齢で、合併症が起きるであろう患者一人と、
毎月輸血が必要な、遠方から受診する患者については、
経過が長く、高齢でもあり、引受先で敬遠されるだろうなと思われて、必死になって患者引き連れ移動先の病院探しの原動力となりました。
10月28日、繰り返した誤嚥性肺炎で永眠。当日は、勤務日ではなく、立ち会えませんでした。意識鮮明だった前々日、前日、コロナ禍だったけど、手を握りあいました(最晩年、盲目となった宇塚先生は、魔法の手で患者の状態を確認していたのを思い出しながら)。たらいまわしされることなく、入院できて最期を迎えられて安堵しましたが、開院以来20年間、毎週受診しては、雑談を交わしていたので寂しい
マスクで、メガネが曇り、路肩の高まりに気づかず、自転車で転倒、左膝蓋骨骨折、12月には、雪の影響でタクシーも来てくれず、道路の凍結もなくなったかと思い、自転車をこいでいたら、部分凍結路面で転送し、右膝捻挫。学生時代からり患している膠原病関連の障害が残っているところに追い打ちをかける傷害で、やっと正座ができるようになってきたのに、また振り出しに戻ってしまいました。自分の足で、歩行できるだけましではありますが。
臨床医として、追いまくられていたころとは、打って変わって、日中も自由時間があるのに、年末になりやっと慣れてきました。まとめる臨床データーもなくなりましたので、自由時間の有効活用を考えながら、年末を過ごし、年明けを迎えようと思っています。
冬季に流行する呼吸器感染症の原因として、従来からコロナがありました。
新型コロナの感染は、暖かくなるまでは、消褪するとは考えられません。
基本的な感染防御策をとってり患しませんように。
タンパク質豊富な食事、適度な運動、過不足ない睡眠。
人と対面時には、発症はしていないけど、感染者かもしれないと、基本的な感染防御策をとってり患し無いようにお過ごしください。