私達の家づくりの要にしている断熱材は、日清紡ケミカルと云う大企業が製造しています。
24年前に、北海道の小さな工務店経営者の私の話を熱心に聴いてくれた大手商社マンがいました。彼の人脈から日清紡を紹介され、断熱材はグラスウールだと言われた時代に、次世代に通用する断熱材の研究を行う事になりました。
当時は住宅建築における断熱手法として現場スプレー発泡工法は、公式に認められていない時代でした。私は、何回も当時、東京都内西新井にあった日清紡の技術研究セーターに通い詰めて開発実験にあたりました。目的を一緒にする日清紡のエンジニアとそれを支持する経営者が存在していたからです。
平成5年には木造住宅の断熱法として国内で初めて、この樹脂スプレー発泡工法が認定交付を受けました。当時は、私達の認定交付を承認した学識者の先生方までもが批判対象になりました。現在は、国内の木造住宅に様々な樹脂発泡の工法が存在しております。
関わった方々は「住む人と関わった人が同等の利益を分け合おう」との共通理念に賛同した方々ばかりです。多くの方々が関わってきました。そしてその人の思想、信念、技術が引き継がれ、企業と企業との付き合いが存続しています。
今日はファース工法の誕生に大きく関わった旭ケミテックの山田専務と久々に会合が出来ました。当時の旭ケミテックさんは日清紡との資本関係の関連企業でした。
山田さんのご尽力で日清紡と繋がり、仕事を支援した旭ケミテックの親企業、東京高圧山崎の前田社長さんはとても先見の明がある経営者です。
今日はお二人懇談してきましたが、ファースの家と一緒に年齢を重ねて来た人かもしれません。人がいて企業があり、そして企業に人がいて存続しています。
人体は齢を重ねて弱って行きますが、企業は再生と改革を繰り返し常に若さを保つ事が必要。
北海道と10℃異なる東京にも夕闇が迫ってきています。(写真)

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当時は住宅建築における断熱手法として現場スプレー発泡工法は、公式に認められていない時代でした。私は、何回も当時、東京都内西新井にあった日清紡の技術研究セーターに通い詰めて開発実験にあたりました。目的を一緒にする日清紡のエンジニアとそれを支持する経営者が存在していたからです。
平成5年には木造住宅の断熱法として国内で初めて、この樹脂スプレー発泡工法が認定交付を受けました。当時は、私達の認定交付を承認した学識者の先生方までもが批判対象になりました。現在は、国内の木造住宅に様々な樹脂発泡の工法が存在しております。
関わった方々は「住む人と関わった人が同等の利益を分け合おう」との共通理念に賛同した方々ばかりです。多くの方々が関わってきました。そしてその人の思想、信念、技術が引き継がれ、企業と企業との付き合いが存続しています。
今日はファース工法の誕生に大きく関わった旭ケミテックの山田専務と久々に会合が出来ました。当時の旭ケミテックさんは日清紡との資本関係の関連企業でした。
山田さんのご尽力で日清紡と繋がり、仕事を支援した旭ケミテックの親企業、東京高圧山崎の前田社長さんはとても先見の明がある経営者です。
今日はお二人懇談してきましたが、ファースの家と一緒に年齢を重ねて来た人かもしれません。人がいて企業があり、そして企業に人がいて存続しています。
人体は齢を重ねて弱って行きますが、企業は再生と改革を繰り返し常に若さを保つ事が必要。
北海道と10℃異なる東京にも夕闇が迫ってきています。(写真)

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