鹿沼市粕尾地区を道祖神で活性化させようと、二箇所の駐車帯には新しい双体道祖神が置かれていた。
栃木県の双体道祖神の数が28体ということだが、2007年の段階ではそのうちの11体が粟野町にあるらしい。ということは栃木県の4割はこの町にあるということになる。現在鹿沼市に合併されて鹿沼市粟野になっている。いろいろ調べていくと、栃木県の双体道祖神がこの地域に特化してあるのは、実に面白く興味深いことである。
また、新たにこの地域の道祖神について調べてみると、資料集では2007年には11体とあった道祖神は、現在では9体ということがわかった。
鹿沼市地区で一番南にある道祖神は宮端地区にある。個人の敷地内にあるため入るわけにいかないが、石塀の隙間から見ることができた。
宮端集落 奥の赤い屋根の敷地内にある。
碑型(舟型) 姿態(不明) 碑高(高さ53cm×幅18cm×像高36cm)
次に訪れた鬼平では、道祖神があった場所は土砂崩れがあり、行方不明になっているとのことだった。奥の白い土留部分あたり。
鬼平道祖神が不明ということは9体から一つ減り、この地域の道祖神は8体ということになる。
北に向かって進むと次に現れるのは赤石川原の道祖神である。バス停から200mあまりの駐車帯にある。
落石防止のフェンス越に岩盤の中に。
赤石川原の道祖神。製作年 (1791年)碑型(打切型)姿態(手握) 碑高(高55cm×幅35cm×像高40cm)
双体道祖神の殆どが1800年代以降の建立が多い中で、痛みが激しいが1700年代は建立は少ないと思われるので貴重である。
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