高島俊男著、文春文庫刊
著者は1937年(昭和12年)のお生まれなので、現在は70代の半ばです。本書の執筆は1995年とのことで、著者が58歳の頃だそうで、現在の私位の年齢であろうかと思います。著者は東京大学で経済学を専攻し社会人になりましたが、同大学の大学院で中国文学を学んだ後、色々な経緯を経て著述業に専念するようになったとのことです。
本書の内容は、著者が様々な媒体に掲載したエッセイを収録したものです。その濃密でがっしりした内容が見事で、しかもごく理解しやすい平易な言葉で語られています。例えば、誤った言葉の用い方を取り上げて、その間違いを実に精密に解き明かしており、更に、言葉の成り立ちを平易に説明しています。また、李白と杜甫を取り上げていますが、そのタイトルは「ネアカ李白とネクラ杜甫」です。何とも人を食ったネーミングですが、内容はこの二人の詩人の出自や生い立ち、また社会状況などを説明しながら、その作風と特徴を大変に分かり易く示しています。また「「支那」はわるいことばだとうか」という一文では、支那という言葉が自己規制によって使えなくなっている現状を、その言葉の成り立ちや用い方の歴史的経緯を紐解いて、批判しています。
どの文章も深い内容でありながら、実に分かり易い。そして、高い目線からではなく、一人の自由人として発言している感じがして爽快です。唯一無二の人柄とお見受けしました。まぁ「変人なのかぁ」と思いますが、私は非常に好きになりました。良書です。
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URL => http://ja.wikipedia.org/wiki/高島俊男
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評価は5です。
著者は1937年(昭和12年)のお生まれなので、現在は70代の半ばです。本書の執筆は1995年とのことで、著者が58歳の頃だそうで、現在の私位の年齢であろうかと思います。著者は東京大学で経済学を専攻し社会人になりましたが、同大学の大学院で中国文学を学んだ後、色々な経緯を経て著述業に専念するようになったとのことです。
本書の内容は、著者が様々な媒体に掲載したエッセイを収録したものです。その濃密でがっしりした内容が見事で、しかもごく理解しやすい平易な言葉で語られています。例えば、誤った言葉の用い方を取り上げて、その間違いを実に精密に解き明かしており、更に、言葉の成り立ちを平易に説明しています。また、李白と杜甫を取り上げていますが、そのタイトルは「ネアカ李白とネクラ杜甫」です。何とも人を食ったネーミングですが、内容はこの二人の詩人の出自や生い立ち、また社会状況などを説明しながら、その作風と特徴を大変に分かり易く示しています。また「「支那」はわるいことばだとうか」という一文では、支那という言葉が自己規制によって使えなくなっている現状を、その言葉の成り立ちや用い方の歴史的経緯を紐解いて、批判しています。
どの文章も深い内容でありながら、実に分かり易い。そして、高い目線からではなく、一人の自由人として発言している感じがして爽快です。唯一無二の人柄とお見受けしました。まぁ「変人なのかぁ」と思いますが、私は非常に好きになりました。良書です。
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