読書三昧

本は一冊一冊がワンダーランド。良い本との出会いは一期一会。そんな出会いを綴ります。

それをお金で買いますか 市場主義の限界

2013年09月12日 18時46分00秒 | ■読む
マイケル・サンデル著、早川書房刊
日曜日の夕刻、酒を飲みながらたまたまNHK教育テレビを見たら、「ハーバード白熱教室」の初回目でありました。ハーバード大学の人気講義をテレビで収録したものを放映していました。見た途端に引き込まれてしまい、以後は出来るだけ視聴しました。多くの学生に事例を挙げながら、ジレンマの際にどちらを選択するかと問い、選択して理由を学生に発言させます。それらの発言が当を得ているかいないかはまちまちでしたが、それ故に、人の信条は理論構成されたものでは無く、培われたものであることが分かります。そしてサンデルは答えを出すのでは無く、様々な思想家の思想体系を紐解き、世の事柄を解釈する様々な立場があることを示します。
それらの講義で惹き付けられたのは、現実には存在しないと思っていた”正義”を正面から論じていることでした。思えば、今日ほど”正義”が忘れられている時代は無いのではないか。正義が不在の時代がしばらく続いてきたように思います。それなのに、サンデルは”正義とは何か”を語っています。正確には”正義”について語ろうと呼び掛けているのでした。私は心が震えました。
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URL => http://ja.wikipedia.org/wiki/白熱教室
     http://ja.wikipedia.org/wiki/マイケル・サンデル
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そんなサンデルの著書を読みました。本書での作者の主張を引用すると以下の通りです。
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われわらはまた、社会的慣行の意味と、それらが体現する善について論じなければならない。そして、その慣行が商業化によって堕落するかどうかを、それぞれのケースごとに問わなければならない。
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実際、市場が侵入してきた領域-家庭生活、友情、セックス、生殖、健康、教育、自然、市民性、スポーツ、死の可能性の扱い方-の多くについて、何が正しい規範なのか、意見が一致していない。だが、私が言いたいのはそこだ。市場や商業は触れた善の性格を変えてしまうことをひとたび理解すれば、われわれは、市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所はどこかを問わざるをえない。そして、この問いに答えるには、善の意味と目的について、それらを支配すべき価値観についての熟議が欠かせない。
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市場が浸食してきた様々な領域に関する事例が本書に多く収録されており、その様相に驚きます。アメリカの市場の侵食の現状は、日本の遙か彼方を突き進んでいます。それ故にサンデルの危惧が心に迫ります。私がかねて気に掛かっていた事が本書で氷解されました。かつて、日本の各地のインフラを整備することは”善”であったはずです。ところが、本四架橋が実現する頃から、その採算性が問題とされました。つまり、有料であるにもかかわらず、永久に採算が取れない。政治の利益誘導によって無駄な社会インフラが整備されたといいうものでした。北海道などでの高速道路網もその例でしょう。実際、沖縄の自動車道路の通行量は驚くほど少なかったので、採算は取れないでしょう。そして、政治による利益誘導も事実だと思います。しかしその一方で、地方のインフラを都市が稼ぎ出したお金で整備することは、都市が搾取した地方の人材や、都市にない機能を提供する地方の資源(農産物や原発など)故に、社会的に許容されるべきではないかと思います。声高に非難されるようになったのは何故か、という20年以上の私の疑問は、本書によって、正しく市場が公共空間を浸食している結果だと理解出来ました。本書に示された事例が、今後の日本に普及しないことを願います。
評価は5です。

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