夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

ちょっと早いけど、 またまた     灰を篩う 08年の1

2008年04月11日 13時35分35秒 |  非・常識的茶道
    写真は後程、少しづつアップしていきます。
    以前も同じタイトルで何度か書いていますので、08年のその1というのを加えました。
    これからこの灰がどうなるのかはその都度お知らせいたしますので、ご笑覧あれ。
 


昔の同僚にちょっとおばかな「茶人」がおりました。
人の灰をみて難癖ばかりつけているのですよね。貴女の灰を見せてよっていいたいけど、彼女が見慣れているのはどこかの(家のお流ではないけど)お家元に伝わる灰、そのお家元の「尊属」のところでお稽古を20年以上やってきているのです。自分が扱っている灰が何十年どころか下手をすれば100年、200年かかって一級の茶人の手で作り上げられたもの。それが当たり前で、宝物って自覚が全くない人、自分で作ったらどれだけ大変か判らない人、こんな人が他のお道具なんかを扱っているのを見てみたい。私ならこの人は受付だけで、水屋には絶対に立ち入らせないな~なんて思いながらその言葉を聞いていました。

ほんと、お茶をやる人にとって灰はその人の履歴書みたいなものだから、家が火事になったら灰の壷を抱えて逃げるっていうのもあながち嘘じゃないみたいな気がします。

でも、100年の歴史を持つ灰を自分が作るということはできない。
それに貧乏なボクちゃん、できるだけ安く作らなければ灰ができない。

灰ができなければ、炭も熾せないし、お湯も沸かせない。
もちろんお茶も点てられない。
お茶を点てられるようになるまでボクちゃん頑張ります。
なぜお茶を点てるのにそうもこだわるかってお尋ねですか?

もちろん;
お裏のU20を亭主にお招きして、白魚のような指先であの袱紗捌きされるのを身近に見るまでは死んでも死にきれない。
遠州さんのU20の炭手前を見ながら、二人してぼ~っとなる時間を共有できるまで、(つまり一酸化炭素中毒で)やっぱり死ねない。
化けてこの世をさまようのはちょっと私の美意識に反しますですから。

というわけで、ちょっと早いけど、そろそろ灰を取り出して、篩にかけなきゃ。



でも、この日記をみて笑うのはいいけど、絶対に真似をしないでくださいね。
試行錯誤の連続ですから、やっぱりこれは駄目だったって放り出すことになるかもしれませんので、、
あくまで自己責任で、、、


灰篩って御茶屋さんに売っています。
でも100均でも売っているのですよ。
粗い目のものはこれで充分でしょう。
ほうき(筆?)も、お玉も、灰杓子も似たようなものがあれば即流用しましょ。
(上の二つの篩いは御茶屋さんで求めたものですね。下のが100均の漉器)



水に晒すのも、ポリバケツでいい。もしかしたら透明なポリ袋のほうがもっと使い勝手がいいかも。
これは洗車用具が入っていたポリバケツ。
でも値段のタッグがいくつもついていますよね、はて、いくらで買ったんだろう。



灰をこねるのはこの家の前のオーナーが残していった猫のトイレでいいかと思いましたら、下がでこぼこしていて、残念これは却下。



家で使うくらいの量だったら、食器の乾燥用のバスケットがちょうどいい。

鍬なんていらない、これまた100均の草刈釜、参上!



とにかく今回分の灰と尉(炭の燃えカスね)と底、そして灰の篩いは終りました。
(まだあと2回あるんですよ、古い灰と、ぴちぴちの手におえない灰と、あぁ、ボクちゃん灰になりたい)
後は水に晒し、練っていく。左官屋さんの仕事が待っております。



でも篩ったり、晒している灰からなんだかお香の香りがするんだけど???
あの香りってまだ死んでないのかな~
灰になっても?
さすが~

私は豚だった!

2008年03月19日 19時51分01秒 |  非・常識的茶道


今日はお稽古の日。
さあ出かけましょうと、車のエンジンをかけたらかからない。
なんで~? この間バッテリーを換えたばかりじゃない。
悪女を出して、ジムニーちゃんを引き入れるというので、旋毛を曲げたのかもしれませんね。
悪女はどうせ病気療養中だから、それほど気にならなかったのでしょうけど、ジムニーちゃんはU16みたいなキャピキャピだから、、、

とにかく、修理屋さんを呼んできて、やっと始動。
理由は「判らん」って、それはないでしょう。
この間の、ディスチャージのときにキーを抜いたら、ヘッドランプとワイパーが動き出した怪の二の舞じゃない。

その間に、師匠に、「遅れます」って連絡を入れたら、なら今日はお稽古の代わりに、お家元のお好みの展覧会があるので、そちらにしますって言われて、行き先を変更、高島屋まで行ってまいりました。

そして、、、「が~ん」自分が豚だということに気がつかされましたよ。
どうもここに並んでいる物、いいと思えないのですよ。
ほんとうは真珠なんですけどね。
豚には判らないんですね。
たった一つだけ、欲しいと思ったのはお茶席の花器。
あれは欲しかったけど、さて豚に褒められた花器はなんと思うのでしょうね。

なんて、思いながら会場の外に売りに出ていた本を物色。
「灰形と灰の作り方」なる本を見つけました。

灰は途中まで作って今寝ているんですよね。
この間も、知人からあれはどうなったってお叱りを受けたりして、、、
だからなんとかその先へ行かなければと思っていたのですけど、教科書がなかった。
灰の本はあるんですけど、それは淡交社のもの。
これで灰形を勉強したら、また破門になってしまう。ねっ。

即、この本と、「やさしい茶花の入れ方」という本を購入。
小間の、、つまり草の茶花が満載の本。
他のお流と違って、茶花の活け方なんて特に指定がないのだけど、でもだからといって勝手に活けても、「違うでしょう」って怒られる変なお流だから、ずっとガイドがほしかったんですよね。

灰の本は、灰形よりもまだ、灰そのものの段階だからなんともいえないけど、まあ他に参考になるものがないからお勉強ね。





灰形と灰の作り方(表千家流) (お茶のおけいこ)
堀内 宗心
世界文化社

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草木萌え動く

2008年03月01日 10時42分58秒 |  非・常識的茶道
今日から3月ですね。
ベランダに出てみても、陽射しは暖かく、日の光にも冬の厳しさはありません。
目の下に見える田んぼは朝霞に包まれて、その先の山肌だけがまるで高い山から雲海を見ているような景色でした。
気持ちもなんとなく暖かくなるような、、、
手足を大きく伸ばして、深呼吸をしたくなるような素晴らしい一日です。
そうもう少しで啓蟄、虫も穴から出てくるのですよね。

でも旧暦では今日は1月24日。
昔の人が元旦に感じた季節への思い。春の兆しを感じる思い、新春をいわる祝う言葉、それはそのまま生活実感であったわけでしょうね。(もっともかなりずれている年もあったみたいですけど)

元旦だけでなく、それぞれの季節に思いをはせるというのは今ではすっかりずれてしまっているのですね。
もっとも桃はそろそろ咲き始めるころ、桃の節句に間に合いそうです。端午の節句もあの時期の気候にすっかり慣れてしまって、あまり不思議を感じません。温暖化のせいなのでしょうか?

何度も書きましたけど、五月雨は梅雨のことだし、五月晴れは梅雨の合間の晴れ間のこと。梅雨寒の一日、お茶会に出られる方が、6月だから絽なのか紗なのかなんて迷われ、寒さに震えながら出かけられているのを見るとおかしくなってしまう。
8月15日の中秋の名月も新暦でやってあのうだるような暑さと湿度のなかでは何の意味もない。その後の重陽だって、9月9日には露地では菊なんか咲いていない。

季節に織り込まれた先人の気持ち、普段は無視をしてもいいのだろうけど、日本の古典に携わる人々には、特に日本の文化が季節と密接に結びついているだけに大変なんだろうなと、、、お察しします。


思い出しました。昔々、「風車様、雨が」って傘をさしてくれたU20がおりましたけど、春は1月から3月。旧暦とはいえ新暦換算で2月から4、5月くらいですね。
お茶人といわれる人たちは旧暦の日にちをそのまま新暦に当てはめようとするからとても変なことが起こる。よそ様のことだから傍で笑っていればそれでいいのでしょうけど。
そのときの春雨はいつのころだったのだろう。まさかお茶人的に新暦の1、2月じゃないですよね。今年の2月はずいぶんと雪が降りましたけど、下手をすれば春雨じゃなくて雪になってしまう。
なんだか抹消にこだわって、それに含まれている生活実感を忘れているような気がします。そのうちにお茶の世界では春雨に暖かい粉糠雨を想像するのは間違いということになりそう? 春雨が氷雨ではずいぶんとイメージが違ってきますね。



恐ろしい人たち  邯鄲の夢、、、、茶飯釜

2008年02月18日 10時59分12秒 |  非・常識的茶道


2月2日の日記に「茶飯釜」のことを書いていました。
この発端になった方のお茶事が無事に終わったみたい。
でもお家元のところのお茶事だからたいへんだったのでしょうね。
その日記がMixiに書かれていたけど、水加減をちょっと間違われて、お粥になってしまい、それを指摘されたことも書かれていた。
それに対してのコメントに邯鄲の夢と言えばよかったのにというのがあって、そのレスで黍でも混ぜておけばよかった、、、って返事をされていた。
飯炊き婆さん(驪山老母)の役をやるには、まだお若いご亭主なのに可哀想。
でも、「忙しき時には忙しくしたり。、、、、貴兄に言はん。われは痴れ者にはあらず。酒を飲むことを愛せる鍾離がすなはちわれぞかし」なんてのがこの話の終わりにはあるから、普段は酒仙に憧れ、忙しいを口にされていた方の日記にはぴったりのお返し。

こんな会話がするすると続くって素晴らしい人たちですね~
でも恐ろしくってなかなかコメントをつけられなくなって来ているのも事実です。
世の中恐ろしい。
そして面白いのかな?

見ているだけならね。
もしこのお仲間の中に入ったら、話をするたびに、頭真っ白になって、頭がショートして、夢から目が覚めなくなるでしょうね~

トップの写真は以前に使った大昔のもの。

それにしても、家の師匠もちょうど同じころに茶飯釜をやっていたんですね。
こちらも亭主だったけど、今なんで茶飯釜が流行るのだろう?
家のお流では茶飯釜はお許し物ではないけど、でもやはりどこの本を見てもカンペがない。昔の記憶にもさらさらない。
やらないものは覚えなくてもいいか、、、

茶飯釜

2008年02月03日 10時15分22秒 |  非・常識的茶道
                                 あっちっち!


知人が茶飯釜のお稽古のことを日記に書いておられた。
この方はあるお流の直門だから、その日は宗匠クラスの方にお稽古をつけてもらい、お仲間の稽古を拝見し、前の家元、そして家元と3回もお稽古があったみたい。

釜が普通じゃない。5合のお米を炊く釜を使っておられる。
お稽古よりも、背筋が壊れそうって悲鳴を上げておられた。
可哀相、、、
顔は煤だらけ、眉毛や髪はちりちり、目はうるうる、おまけに背骨までですか、、、、


私なんぞは、茶飯釜は気のあった人たちと内々でやるものと決めてます。
(だから孤独な私は一度もやったことがない。。。??)
そんな大きな釜でやるなんて、さすがにお家元の場は普通とは違うのですね。



この辺の日曜大工屋さんには直径が6-70センチほどのバーベキュー用の炉が置いてあって、その上に載せらられる飯釜も売っています。ワッカがついていないのは残念ですけど。なに、釜のチュチュのすそを持ち上げればいい。いつもやってみたいって衝動に駆られているのだから、いい機会ですよね。
これにワッカを付けてもらって、バーベキューの三脚で吊って、キャンプで茶飯釜なんてよろしいんじゃないかな~っていつも思っています。
いうじゃないですか、何事にも初心忘れるべからず。
お茶なんてもともとはお助けの道具でもあったんですよね。
大きな釜っていうのはもともとに帰るだけの話。
中に、ご飯が入れば、それこそ貧民救済にもなる。
おぶづけ、、よろしゅうおますな~
それなら練習してもいいかな。



熱い? 茶道は苦行の場ですよ。
二酸化炭素と、化粧品の匂いが炭の匂いと混じって失神寸前の状態で、
何時間も座らせられていることは別にしても、
女性はともかく男は毎回指をやけどして、
茶室の中を熱い釜の蓋が飛び交い、
客はそれを座ったまま避ける技術を求められる。
その辺のお茶碗を粉々にしてやっと着地した釜蓋をそしらぬ顔をして蓋置きへ、、、
粉々になったお茶碗をみて、今年の運勢を占い、
吉とでても、凶とでても、お酒をだして、お清め。
千鳥が万鳥になるころにはお茶はお開き。

お茶がでない?
私のお茶に招かれてお茶を飲むことを期待したんですか?
それは心得違いですよ。
変? それは天地の開闢以来のお約束ですよ。
それを知らないほうが変なんですからね。
物を知らないってこぼされている今の若い子たちだって、「お茶しようよ」ってのがお茶を飲むことじゃないことぐらい判っているはずでしょう、、、

でもこの知人の方、東慶寺の炉縁を使われているらしい。
修復可能なくらいの傷をつけるくらいならともかく、
縁を燃やして、東慶寺との関係を断ってしまわないようにこの方のためにお祈りしたい。
そして、まだこの方に東慶寺が必要なことを祈って、
アーメン。





そういえば お茶はどうなったんだろう

2007年11月02日 09時50分56秒 |  非・常識的茶道
茶道を習い始めましたって3月に書いていました
そのときは袱紗の扱い。
ハンカチ3枚もどうするのって聞きましたら、知人からは「一枚は頭に載せ、一枚はお尻に敷く。そして後の一枚は加齢臭防止のために耳の後ろにあてがっておく」って説明を受け、師匠からは禁じ手のお裏さんの袱紗捌きをしっかりと教えてもらいました。そして二人して遠州さんの逆勝手の袱紗捌きはどうなるんだろうってトライしていましたら、折角のお裏さんの袱紗捌きも頭のなかから飛んで行ってしまいました。
頭に入る容量がすごく小さくなっているので、結局このお稽古のことは何も覚えていないってことでしたね。

その後、家では灰を篩ったりはしておりますけど、篩った灰はまだ若すぎて、なまっちろくって、使えません。だからこれは風炉から瓶掛に移すようにビニールに入れました。当座は火鉢に薬缶で練習です

それにしても、師匠のところの私のお稽古はどうなったんでしょう。中置だの、名残だのって、師匠、私は入門小習のはずじゃなかったんでしたっけ。袱紗捌きの割り稽古もだけど、そのほかにやることがあるんじゃないでしょうか。
いったい入門小習では何をやるんでしたっけ?



盆略

2007年10月03日 15時49分20秒 |  非・常識的茶道


9月28日に次回は盆略の稽古って書きましたけど、今日がその日。
でも、いろんなことを忘れちゃったな~
仕方ないから、またお家稽古、、、
でも、忘れるだろうな~

満月のときに活けたススキと萩。まだ元気でした。
両方とも水揚げが悪いのに、どうしたことでしょうね。
紫陽花は根を出していますので、もちろん元気。
庭にシュウメイギクとフジバカマが咲いていましたので、コップに移してみました。
シランの実が面白いですね。



ところでこれはなんの実ですか? お分かりの方教えて下さい。



はい? 灰ですね

2007年09月28日 13時42分55秒 |  非・常識的茶道
師匠から次回は盆略だとお聞きしました。
次回に何をやるのか聞くのは珍しいのですけど、助かります。
お家稽古ができますね。

お家稽古では火鉢に鉄瓶でやりましょうーということにしました。



理由があります。
先日の灰を篩うで、「灰が白い」ってご意見がありました。
確かに、確かに。
この灰はお茶道具屋さんで求めてまだ数年しか経っていない、穢れを知らない子。世の荒波にもまれていないのですよ。だから所作もふわふわとおちつかない。
来週、火鉢を使うのであれば、風炉も瓶掛も一時お休み。
だからその間に、この子は瓶掛に移ってもらい、今、瓶掛にある灰を移しましょう。
風炉も瓶掛も行水をしてもらって、汗を落としてあげましょう。
という算段になりました。



手前が先日篩った灰。白いですよね。それ以上にふわふわしすぎている。まだまだこれからいろいろと育っていかなければ、、、
火鉢の灰も大体これと同じくらいの状態。こちらにもいろいろと教え込まなきゃね、って、思いながらあちこち見ていましたら、もう一つ灰が出てきました。
こちらは大分歴戦の勇士。



奥のほうがこの灰です。なら、下にも、もっとひどいのがたくさんと、もっと歳を経たのがお休み中。この家は毛だらけ、灰だらけだったんだって今更ながら気がつきました。


心頭滅却すれば火も自ら、、、あじじ! 炭

2007年08月16日 08時26分06秒 |  非・常識的茶道
「お茶の師匠は三日やったら止められない座ます。夏はお稽古しなくても弟子はちゃんとお月謝を持ってくるし、あらその上お中元まで、、いいってことよ、白鳥麗子でございますからして、、、」な~んてほざいている山姥の声が聞こえそうな八月でございますね。
今年は異常な天気のおかげか、師匠が八月の稽古をやっておりますがな。「師匠、お稽古はいりません。お体に障りますから。だからお月謝をまけてくださいませ」とはいえない気の弱いボクちゃんは仕方なくお稽古に参りましたでございます。

そして師匠の精神異常がこちらにも移ってしまい、お家稽古? この間灰を作ったから、その引き続きに炭をやろう。暑いときには暑いことやろう、、、、になってしまいましたがな。異常気象は人を狂わせる、、、、
でも秋は人を色キチガイにさせて、、
冬は、鬱病、春は躁病、、、
考えてみると人って一年中狂っているのですね。
なんとなく納得しました。

  いや、人だけじゃない。
  今朝の4時から、何度も地震で家が揺れている、、、
  地球もおかしくなったみたい。

「安禅必ずしも山中をもちいず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」なんてことはぜぇったいにありえない。心頭滅却すれば火もまた、、、、あじじい!






灰を篩う その4

2007年08月03日 22時12分34秒 |  非・常識的茶道
灰を篩うも4回目になってしまいました。
もっと簡単に終わるつもりだったのですけど、思ったよりも時間がかかりましたね。
ただ、今回は篩いも荒い目の物を使い、灰を摺りませんでしたので、出来上がってみるとずいぶんと荒いものになってしまいました。
もう少しましな(二つ分あるんだけど)灰を使った、本チャンでは、ちゃんとやらなければいけないと、心に決めました。
何ごとにも手抜きはいけないね~

ってことで、風炉に灰を入れてみました。


まずは種も仕掛けもないところをお見せしなきゃね。



奉紙を敷いて



敷き瓦を入れて



灰を入れていきます。
100均でお玉を買っとけばよかった。



入れる灰の量を見ています。
でも、風炉用の炭がなかった、、、
準備不足。喝!



灰を少しづつ形づくって行きます。



山ができてきましたね



後は、はしょって、
瓦が入りました。





まあ、中くらいの、めでたし。
めでたし、めでたし。