夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

狸 1

2006年04月26日 10時56分26秒 |  河童、狸、狐
岬の河童のことはお話しましたよね。
あぁ、声をださないでください。
美登里が後ろで聞いていますから。

彼女もあの頃はまだ可愛かった。
思い出すと、貴方が今までの男の中では一番素敵なんてうるうるだったし、もう貴方なしでは私が生きている意味もないわなんて言っていたのですよね。
そのころは人間の社会についても、いろんなことに新鮮な驚きを示して、見ているだけで可愛いなって思えたんですけど。
でもやはり人間の社会に毒されたのでしょうかね。

今も新しい着物を買うんだとかで、隣の部屋で家計簿とにらめっこしてます。
貴方が来なきゃ、今頃は稼ぎが悪いってはっぱをかけられているところですよ。

まあ、今日は愚痴をいうのが目的じゃなくって、貴方のお望みの狸の話をいたしましょう。

あの河童たちと会った所から、夷隅川をそう2,3キロ上流に入ったところ。
河童たちのいた所だって川岸は名前もしらないような草や木が生い茂っていたのですから、もうその辺では人の姿を見ることさえできないような緑の、そうアマゾンの川を遡ったりしているような雰囲気がありました。
えっ、アマゾンに行ったことがあるかって、とんでもない、私は蒸し暑いところと、虫と、蛇が大嫌いなんで、あんなところ頼まれてもいきませんよ。
テレビですよテレビ、テレビで見たんです。いや、こんなとこには仕事でも行かないよって思いながら見てました。

まあ、話は戻りますけど、そこにちょっとした釣のスポットがありましてね、よく行ったものです。釣りっていっても、ご存知のように私の釣は魚を釣るためじゃない、ただぼけ~とする時間を持ちたいために行くんですよね。だから小船を出して、船の中で寝そべっていたり、川原で昼寝をする、それにちょうどいい場所ってことなんですけど。
川が曲がっていて、よどみになっていて、片側は高い崖。反対側の岸は低い草が生い茂っていて、崖の上とこちらの岸は木々が生い茂って影を作ってくれる。ちょっと暑い日なんかに船をこの辺に留めて川面の小さな波が船を揺らしているとすごくいい気持ちで眠れるんです。結構風も来ていて涼しいし。船を出さなくても川岸で心の中を真っ白にしてぼけっとしていると本当に幸福な感じになってくる、そんな場所なんです。
釣りをしないんなら釣道具なんか持たなくてもいいと思われるでしょうけど、他に人がいなければいいのですけど、たまたま人がいたりして、何もしないで川面を見ていたりすると、変な人がいるなんて思われて警察に通報されかねませんからね。釣師の格好だけしているのですよ。

それである日のことです、いつものように夷隅川のその川原へ出かけたのです。
太陽も鈍い光を川面に投げかけていて、ちょうど八重の桜も終わり、新緑の匂いが苦しいくらいに満ちてまして、ぼ~とするにはおあつらえ向きの日だったんです。

しばらく針のついていない釣棹を川へだしてました。
すると、草の間から、犬のようなのがちょろちょろって出てきて、釣り糸のほうをみ、こちらの顔を見て、私から一間くらい離れて、川原に座り込んでしまったのです。
そして人の顔を盗みみて、なにやら言いたいことがあるみたい。
あんなあって言葉が聞こえそうで、
「どうしたんだ、何か言うことがあるのか」って聞きますと、この犬、驚いたように、「お前の言葉が判る」っていうのです。
苦笑して、「河童とは毎日口喧嘩もしているし、妖怪たちの言葉も考えている事も判るよ」っていいますと、大きくうなずいて、
「お前だな河童の娘を貰った人間って言うのは」って聞きますので、そうだよって答えると、いや最近何も食べてないので、釣りをしているんだったら、何か分け前をもらえるかって思ったんだって答えるのです。
私の釣り糸には針はついてないよって答えると、不思議そうな顔をして、じゃなんで釣をしているんだ、時間がもったいないじゃないかって聞いてくるから、
「いやただぼ~っとしている時間が欲しいんだよ」って答えると
「仕事もしないで、ぶらぶらしてたら、餌がとれないだろう。腹が減るだろう。
俺なんか一生懸命餌をとろうとしても、最近餌が取れなくって、もう死にそうだよ」って目やにの一杯詰まった目をしょぼしょぼさせている。
「見てくれよ、この毛皮。ぼろぼろになっちゃって。これでも若い頃は、女狸が寄ってきて大変もてたんだけどな~」って昔を懐かしむような顔をして、川面を見つめる。
おかしくなってきて、「じゃあそのボックスに針が入っているから、とってくれよ、魚が釣れたらお前にやるから」っていうと、急いでボックスから針を持ち出してきて、私のそばに座る。

さ~っと風が吹いて川原の葦の葉をさざめかす。
鈍い色の空には、空とあまり区別がつかないような雲が西からゆっくりと動いている。
時々川面で魚が跳ねる。

釣り糸を垂れながら、風を楽しんでいると、狸が
「何か考えているのか」って聞いてくる。、
「いや、何も考えていない」って答えると、
「ならなんで仕事をしない、食べなきゃ死んでしまうだろうに」狸はますます不思議そうな顔をして同じことを聞いてくる。

「いや、年金というのがあってね、若い頃に稼ぎの上がりを預けておくと、年とってからそれがもらえるんだ。もっとも若い頃に預けたのはその時代の年寄りのところに行っちゃって、今貰っているのは若い者の稼ぎなんだけど」って狸なんかには多分判らないだろうと思いながら言うと、
奴は大きくうなずいて、「俺たちにもあるよ。若い物が獲物の一部を届けてくれるんだ」って言う。

年金なんて、人間の発明だから、狸たちなんかに判るもんかと思ってたのが、見事に外れておかしくなってきた。
ちょっと笑っていると、狸は、下を向きながら、ぼそりと「でもな~、わしらの若い頃は年寄りの智慧は皆が尊重してくれたもんだけど、今じゃな~」ってこぼす。
私の不思議そうな顔を見て、
「見てみろよ、こんなに人間が俺たちの縄張りに入ってきて、荒らしまわっている。俺たちの生活は成り立たなくなってきているんだ。
昔は何も変らなかったから、俺たちの智慧が若い者にも役に立った。
今じゃ俺たちが何を言っても状況が違いすぎているから彼らの役には立たないんだ。
二言目には時代が違うって言いやがる。でも奴らのいうことも当然なんだよ。
しかも獲物が少ない、若い者の数は減ってくるってことで、俺たちに貢物を出すような余裕がなくなってきているんだよ。
若い者だけを一概には責められないってのもよく判るんだけど、俺たちも食べていかなきゃならないし。俺たちも大変なのよ」

「この川だって昔は国道なんてものや、車もなくて、あのあたりは河童がうようよいたし、もっと上流に行けば、俺たちと住み分けて狐の領分だったんだ」
驚いて、「お前はいったいいくつか」って聞くと、
「ある程度まで生き延びると死ななくなるんだよ。普通の狸だと10年も生きればオンの字なんだけど、おれはもう何歳になったのかな、もう歳を数えるのも面倒なくらい生きてきたよ」って答える。
「俺の連れ添いなんか、還暦過ぎたら若返って、300歳でまだ子狸だって自分でほざきながら、その辺の若いのを悩殺してたんだ。
ちょっと小太りだったけど、可愛かったよ、ほんとに。あそこの国道で車にはねられて死んじゃったけどな~ まあ、今でも時々思い出すよ」

そんな年寄りがぞろぞろいたんじゃ、高齢者の割合が増えて互助システムなんか機能したいだろうと思いながら、そんな「妖怪」狸がたくさんいるのかって聞きましたら、このときばかりは胸を張って、いるもんかね。本当にひとにぎりだけだよ。万の狸がいても100を超えられるのは一匹いるかどうかだねって答える。

じゃ、本当に狸社会のエリート中のエリートなんだって、このしょぼくれ狸を尊敬の目で見直した。



狸の互助システムや世代の格差の問題は、どこかの国の高齢化社会と年金問題の話を聞いているようで、笑ってしまったけど、この話はまだ続きますね。