夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

ネズミの呪いか?

2020年01月03日 19時03分08秒 |  岬な日々

 

 

この前のブログで我が家の屠蘇は甘くって飲めたもんじゃないなんてブツブツ言っておりました。

でもそれは家のしきたりで仕方ないこと。

謹厳実直な私としては、毎年、酒と屠蘇散だけで作ろうかと思いながらついついしきたりを守ってしまっているだけ。

しょうがないって思うしかありません。

 

でも、今年のぜんざいはちょっとと言うより、だいぶ変。

砂糖を入れるところまではいつも通りだったんですけど、

いつも通りの量を入れてもあまり甘くならない。

やっと甘くなったと思ったら、汁だけで、豆の甘さとの落差がある、、

何度か味見と称して、食べてはおりましたけど、、、

やっと、豆と汁の格差が少なくなったと思うころには、もう豆が煮詰まって、汁粉状態。

水を足し、砂糖を加えながら、食べ続けておりますけど、、、

どうも、不満。

 

今年はネズミ年というのに、去年の暮れに大量にネズミを退治した呪いでしょうか???

今年はどんな一年になるのやら、心配になってきた。

 

 

 


お屠蘇も飲み飽きました、、、 

2020年01月03日 09時40分44秒 |  岬な日々

 

 

正月も三日目。

お屠蘇も飲み飽きました。

我が家のお屠蘇は、子供向けなのかすごく甘めに作ります。

まあ、正月というのはまず子供、そしてご婦人向けに考慮されているものが多いですよね。

 

若水を汲むというのもそうですけど、

新しい年、新しい春ということで、子供の生気を取り込もうということなのだと思います。

火を使わない、なるべく刃物も使わないということでのお節の用意というのもあったのかな?

我が家の元旦の食事には尾頭付きがつきますけど、それには箸をつけるだけで食べない。

お昼にそれが食事として出てくるんです。

刃物を使わない知恵ですね。

お屠蘇も、酒に屠蘇散という家もあるようですけど、我が家ではかなり味醂が入る仕様。

こんなのを三日もちびりちびりやっていると、口の中が甘くなりすぎて、、、、

 

ずいぶん前から、お正月にはどうしていたのか思い出しながら用意しておりますけど、

屠蘇の前の祝い肴、三宝に椿の葉に塩を載せて昆布とするめが出されていたと思うのですけど、飾り方を忘れてしまった。

思い出したら三宝も買ってなんて思いながら、いまだに買えてません。

そちらができれば屠蘇器も欲しいと思いながら毎年パス、、、

 

重箱も欲しいと思いながら、お節の用意ができないのに空箱を飾っていても仕方ないし、

それにこの歳で買い求めても何年使えるやらって、、、

安いものじゃないし、狭い我が家、置いておくところもない。

なんでもその辺のガラクタを見立て見立てで、、、

 

一番の問題は、この家には床の間がない!

お正月の軸も用意できない。

花も野の花しかない。

緋毛氈を敷こうにも、それに座ってくれる家族がチビ太だけってのは、そろえるだけ心寂しくなりますよね~

 

 

 

大昔にどこかのお家元のお正月のお節が家庭画報(だったかな)に特集されているのを見て、溜息をつきながら、、、

まあ、こちらは昔のお殿様だったお家だし、

源氏物語の主人公の一人を務められたほどの古い古いお家だし~~~

なんて諦めておりましたけど、、、

今もってその諦めから脱却できない自分が、

誇らしいかな~~~~???

 

蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る、、、、

それを敢然と貫き通したのが私の一生ですからね~

なんちゃって、