ピアニストの熊本マリさんの「人生を幸福にしてくれるピアノの話」という本が送ってきた。肩のこらない、でもそのなかにはとても大切な言葉が埋め込まれたいい本に仕上がっている。
最初のお話が、「ピアノにタッチするということは、自分の好きな人にさわるのと同じこと」なんてばら色の妄想をしてはいけませんよ。ピアノは480キロの巨体を持つ彼氏。それを弾きこなすには体力勝負。食べろ食べろ!ってお話だとおもうと、でもその彼氏がいかに繊細かというような話が前段にあったりして。
よく、ベヒシュタインがどうこうとか、ベーゼンドルファーがああだと、あそこのホールのアクースティックがどうたらとかって私は書いているけど、それは自分が弾かない、企画者の立場からの条件出し。
彼女のように彼氏をとっかえひっかえ触ることがお仕事の場合はもっと細かな条件、状態が重大な問題になってくる。たとえば湿度が上がるとタッチが重くなるというような。
面白いね~
逆に、彼女はソロが多いけど、温度一つとっても、ピアニストは演奏の間にピッチが上がってきてもどうにもならない。それに合わせている周りの楽器やオケもまた人知れず苦労して、その結果がその日の演奏なんですよね。
なんてことを思ったり。。。
あるいは、彼女は基本的な勉強を子供のころにすごしたスペインとアメリカ、イギリスでやってきているのだけど、日本とヨーロッパの教え方の差を書いている部分がある。
ヨーロッパでは多少のミスよりも音楽性、歌うことを大切にする。
友人からこんどそっちの留学生に応募したい生徒がいるから話をしてくれなんていわれるたびに言ってきたこと。小品でいいから自分がちゃんと歌っている曲を提出してよねって。
これだけ弾けますって気違いみたいにがんがん弾いているのを毎日何十となく聴かされるこちらの身にもなってよって言いたくなる。
エチュードを弾く場面と、プロとして、プロを目指す音楽家として自分を見せる場面は違うし、エチュードを弾いているのなんか人に聞かせるもんじゃないと思うけど。
だから日本人の音楽家ってテクニックはあるけど、自分を表現していない。
これは別に音楽だけの問題じゃないけど。
なんてことを以前のブログにはよくこぼしてたのを思い出しました。
ところで、この本の中に楽器の「賞味期限」についてちょっと触れられていた。
そのことと、楽器が生まれてきたヨーロッパとの湿度の違いなどを以前のブログに書いていて、それをこちらに転記したものがあったので、こちらにリンクを張っておきますね。ハモンベジョータとストラディバリウス
2005年7月10日の記事でした。
続きはまた、後で追加しますね。
なんて書いたけど、あまり追加しても仕方がない。皆さん買って読んでくださいよ。
ただ、一つだけ追加するとすれば、彼女がグレングールドからもらった「自分自身をよく知ること、自分を信じること」っていうメッセージは、実にこの芸術・文化のアンダーラインされたノートではありませんか。
それにしても自分に自信がなければ、自分を信じられない。切磋琢磨すること、、、
音楽でも、美術でも、表現者である限り、それは一番大切なことなのでしょうね。
最初のお話が、「ピアノにタッチするということは、自分の好きな人にさわるのと同じこと」なんてばら色の妄想をしてはいけませんよ。ピアノは480キロの巨体を持つ彼氏。それを弾きこなすには体力勝負。食べろ食べろ!ってお話だとおもうと、でもその彼氏がいかに繊細かというような話が前段にあったりして。
よく、ベヒシュタインがどうこうとか、ベーゼンドルファーがああだと、あそこのホールのアクースティックがどうたらとかって私は書いているけど、それは自分が弾かない、企画者の立場からの条件出し。
彼女のように彼氏をとっかえひっかえ触ることがお仕事の場合はもっと細かな条件、状態が重大な問題になってくる。たとえば湿度が上がるとタッチが重くなるというような。
面白いね~
逆に、彼女はソロが多いけど、温度一つとっても、ピアニストは演奏の間にピッチが上がってきてもどうにもならない。それに合わせている周りの楽器やオケもまた人知れず苦労して、その結果がその日の演奏なんですよね。
なんてことを思ったり。。。
あるいは、彼女は基本的な勉強を子供のころにすごしたスペインとアメリカ、イギリスでやってきているのだけど、日本とヨーロッパの教え方の差を書いている部分がある。
ヨーロッパでは多少のミスよりも音楽性、歌うことを大切にする。
友人からこんどそっちの留学生に応募したい生徒がいるから話をしてくれなんていわれるたびに言ってきたこと。小品でいいから自分がちゃんと歌っている曲を提出してよねって。
これだけ弾けますって気違いみたいにがんがん弾いているのを毎日何十となく聴かされるこちらの身にもなってよって言いたくなる。
エチュードを弾く場面と、プロとして、プロを目指す音楽家として自分を見せる場面は違うし、エチュードを弾いているのなんか人に聞かせるもんじゃないと思うけど。
だから日本人の音楽家ってテクニックはあるけど、自分を表現していない。
これは別に音楽だけの問題じゃないけど。
なんてことを以前のブログにはよくこぼしてたのを思い出しました。
ところで、この本の中に楽器の「賞味期限」についてちょっと触れられていた。
そのことと、楽器が生まれてきたヨーロッパとの湿度の違いなどを以前のブログに書いていて、それをこちらに転記したものがあったので、こちらにリンクを張っておきますね。ハモンベジョータとストラディバリウス
2005年7月10日の記事でした。
続きはまた、後で追加しますね。
なんて書いたけど、あまり追加しても仕方がない。皆さん買って読んでくださいよ。
ただ、一つだけ追加するとすれば、彼女がグレングールドからもらった「自分自身をよく知ること、自分を信じること」っていうメッセージは、実にこの芸術・文化のアンダーラインされたノートではありませんか。
それにしても自分に自信がなければ、自分を信じられない。切磋琢磨すること、、、
音楽でも、美術でも、表現者である限り、それは一番大切なことなのでしょうね。
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