まあ、たぶんそんな方はいらっしゃらないと思いますけど、今日のタイトルを見てあれって思われた方はないですよね~
実は9月の5日の日記「露草 月草のうつろひやすく思へかも」に万葉集の詩
月草に衣ぞ染むる君がため、斑の衣、摺らむと思ひて
をご紹介しているのです。ここでは同じ万葉集の
月草のうつろひやすく思へかも、我が思ふ人の言も告げ来ぬ
というのもご紹介しています。
今日のタイトルは「月草に衣はすらむあさ露に」になっていますので、間違いかななんて思ってくださる方が一人でもいらっしゃれば嬉しいけど、、、、
まぁ、高望みはやめましょうね。
月草に衣はすらむあさ露に
ぬれてののちはうつろひぬとも
古今集
詠み人知らず
こちらは古今集の詩。
もちろん最初にあげた万葉集を念頭においての詩ですね。
私の衣を月草で染めよう
朝露に濡れて、色が失せてしまっても
貴方の気持が変わってしまうとしても私は貴方と添いたい
そんな気持を詠った詩。なんとも羨ましい、「この色男めっ」ですよね~
前の日記でも書いていますけど、昔は衣を月草(つまり今で言う露草ですよね)で染めたのですけど、これは水に濡れるとすぐに色が落ちてしまいます。下絵を描くのに使うくらいですから。そこから移ろう、褪せる、、、、というようなニュアンスが生まれてくるのですね。
でも、万葉集や、古今、新古今も含めて、大和詩にはこの、儚さ、移ろいを嘆く詩がいかに多いか、、、特に日本人が醒めやすいとは思えないのです。それを特筆するのが日本人の特性なのか、、、感性がウエットなのか、、、、たぶんそうなんでしょうね~
見習いたいですわ。
心変わりは嫌ですね。
辛くて死んでしまう。。。
それにしても、綺麗な詩を詠まれるものですね。