空が白んできた、散歩にでる
目的があるわけじゃなか
目の前の道を足の向くままに歩いていくとじゃ
丘を登って、谷を渡って、朝靄のなかをどこまでも
山は紅、谷川は緑
綺麗じゃね~
大きか木があちこちに生えとる
流れでは、靴を脱いで川石を踏んで行く
水の音がゴーって鳴る。川風は服を翻す
人の一生なんて、こんな風に楽しむもんちゃ
仕事やら、立身やらのために、自分を曲げ、ぺこぺこする必要はなかじゃろが
歳をとってまで、あくせす仕事にしがみつく理由なんてなんかあるとね?
空がまだ明けぼらけのころ散歩にでる
別に目的があるわけじゃないし
目の前に出てくる道を気の向くままに辿っていく
丘を登り、谷を渡り、朝靄の中をどこまでも歩く
山は紅をまとい、谷川は緑を飾っている
その景色に心を奪われる
周りには時として大きな木々がそびえている
流れに来て、靴を脱ぎ素足で川石を踏んで渡る
水音はゴーゴー、川風は服を翻す
人生なんて、こんな風に楽しむべきもの
仕事や、立身のために、節を曲げ、ぺこぺこと過ごすことはないじゃない
ねえみんな。歳をとってまであくせく仕事にしがみつく理由なんて何がある?
天明獨去無道路
出入高下窮煙霏
山紅澗碧紛爛漫
時見松櫪皆十圍
當流赤足踏澗石
水聲激激風吹衣
人生如此自可樂
豈必局束為人鞿
嗟哉吾黨二三子
安得至老不更歸
山石
韓愈
確かに、これはたくさんの人が夢見るところ。
私も岬を手にいれ、その賭場口にはいるのだけど、でもあまりにもさまざまな問題が起こってくる。
これだけ進んだ社会が、戦士として働き、その余生を平和に送ろうとしている人々に、生命が誕生して以来連綿として起きてきている問題や、悲劇に、何もできないでいるということが信じられないくらい。
目的があるわけじゃなか
目の前の道を足の向くままに歩いていくとじゃ
丘を登って、谷を渡って、朝靄のなかをどこまでも
山は紅、谷川は緑
綺麗じゃね~
大きか木があちこちに生えとる
流れでは、靴を脱いで川石を踏んで行く
水の音がゴーって鳴る。川風は服を翻す
人の一生なんて、こんな風に楽しむもんちゃ
仕事やら、立身やらのために、自分を曲げ、ぺこぺこする必要はなかじゃろが
歳をとってまで、あくせす仕事にしがみつく理由なんてなんかあるとね?
空がまだ明けぼらけのころ散歩にでる
別に目的があるわけじゃないし
目の前に出てくる道を気の向くままに辿っていく
丘を登り、谷を渡り、朝靄の中をどこまでも歩く
山は紅をまとい、谷川は緑を飾っている
その景色に心を奪われる
周りには時として大きな木々がそびえている
流れに来て、靴を脱ぎ素足で川石を踏んで渡る
水音はゴーゴー、川風は服を翻す
人生なんて、こんな風に楽しむべきもの
仕事や、立身のために、節を曲げ、ぺこぺこと過ごすことはないじゃない
ねえみんな。歳をとってまであくせく仕事にしがみつく理由なんて何がある?
天明獨去無道路
出入高下窮煙霏
山紅澗碧紛爛漫
時見松櫪皆十圍
當流赤足踏澗石
水聲激激風吹衣
人生如此自可樂
豈必局束為人鞿
嗟哉吾黨二三子
安得至老不更歸
山石
韓愈
確かに、これはたくさんの人が夢見るところ。
私も岬を手にいれ、その賭場口にはいるのだけど、でもあまりにもさまざまな問題が起こってくる。
これだけ進んだ社会が、戦士として働き、その余生を平和に送ろうとしている人々に、生命が誕生して以来連綿として起きてきている問題や、悲劇に、何もできないでいるということが信じられないくらい。
挈壷相與至
班荊坐松下
数斟已復酔
父老雑乱言
觴酌失行次
不覚知有我
安知物為貴
悠悠迷所留
酒中有深味
憂いに捕らわれる時には、こんな賑やかな趣向も……
何千年たっても、人間はそんなに変われないもので、だから逆に皆、生を愛するのかもしれません
でも姐さまのボーイフレンドの陶さんは
万族各有託
孤雲独無依
曖曖空中滅
何時見余暉
陶淵明「詠貧士 其一」
とも詠っておりますよ?
おまけに姐さまの前カレの李さんは陶さんのことをなぞって;
東風扇淑気
水木栄春暉
白日照緑草
落花散且飛
孤雲還空山
衆鳥各已帰
彼物皆有託
吾生独無依
対此石上月
長酔歌芳菲
李白「春日独酌 其一」
なぞとのたもうてておりましたね。
でもここに東風が出てきた。
訳をつけなきゃ怒られちゃうのよね。
姐さまの書かれている詩は
陶淵明の「飲酒 其十四(故人賞我趣)」
です。
友達たちも私の考えに賛同してくれて
お酒の壜をもって集まってきた
落ち葉をしいて、松の下に座り
酒を酌み交わしてしたたかに酔った
年長者たちもしどろもどろになってきて
杯の順もおかしくなってしまった
自分が何者かもわからなくなって
世の中の秩序もどこかへ飛んで行った
この世の地位や財産なんて
酒の持つこの深い味わいに比べればなんてことはない
ん、でもって、陶淵明の「詠貧士 其一」は一部だけですけど、
世の中のすべてのものは帰属するところがあるけど
雲にはそれがない
ぼんやりと空中に消えてしまって
二度と残照を見せることも無い
そんで、李白さんはこの詩を元に、
東から吹いてくる風は目出度い生気をかきたたせ
水や木は春の光に輝く
太陽は緑草を照らし
花びらは散り風に舞う
雲も空山に帰り
鳥たちも自分の巣に帰る
すべてのものは帰属するところがあるけど
私の人生だけは頼るものが無い
石の上に出ている月に
酔い痴れて花の歌を歌うだけ
陶淵明様も李白様も、時に俗世を、時に山中を思いつつご様子ですわね
大詩人達でも……まして、俗な世間の蛇は……