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さきほど追加しました一番下の風車の詩。また変更しました。
君こずばひとりやねなんさゝのはの
み山もそよにさやぐ霜夜を
新古今集
清輔朝臣
詩そのものはすぐにお分かりになるはずで、どうってことない詩なのですけど、ここでの問題は笹。
上代の詩にはけっこうたくさん竹や笹、篠などが詠われています。
竹のはに風ふきよわる夕暮れの
物のあはれは秋としもなし
新古今集
宮内卿
(宮内卿のことは以前、すばらしい歌人だと書いていますよね)
風そそぐしののをざさのかりのよを
思ふねざめに露ぞこぼるる
新古今集
守覚法親王
でも当時でも、その間の区別があまりはっきりしていないようです。
植物分類が発達した今、それが余計に混乱を招いています。
植物学者は「成長後に皮を落とすものをタケ、落とさないものをササ、(アズマ)ネザサを篠という」なんて簡単に言います。
でも、私に言わせればそんなのは学者の寝言。カメラを構えている私には、そこに居ついて、皮を落とすか落とさないか見極めなければ笹か竹か分からないなんて、意味ありませんよね。
それにそれが現代的にはササなのか、タケなのか分かったとしても、上代の詩人の間では混同されているのですから、、
おまけに、スズタケや、メダケはタケがついてもササ。
オカメザサはササがついてもタケなんてのたまう。
それに竹の象徴みたいなモウソウダケは徳川時代に中国から入ってきたそうなので、上代の歌人が竹というときにはマダケの類が頭にあったのでしょうね。
ということで今日のトップの写真はオカメザサ。
ササがついているけど、タケなのだそうです。
どこが違うなんて私に聞かないでくださいね。
世の中分からないことばかり。
ほんとの蛇の足
これを追加しましたので、タイムスタンプも新しくしました。
トップの清輔朝臣の詩を読み返していて、ふと一首浮かびましたので、、、、
君来ぬと思えど聞こゆ笹の葉の
さざめきやまぬ冬の夜長や
風車
また、やってみたい。
嫌がられるのは分かっているけど、
えぃ、やっちゃえ、、、
「よっ、ボクちゃん、大統領! 天才!!」
ササなのかタケなのかはっきりしてくれ、なーんて、風流を解さない人間は古代では生きていけませんワ。
ササがタケでも、地球は回る、、、ジャンジャン
さざめきやまぬ冬の夜長や
風車
あれから16年になります。オランダの旅の終わりの居候(ライデン貸家)など、風車が風音をたてて回ったころを思い出しています。
8年前に、写真展企画で飲んだ旨い洋酒(神保町ラドリオ)も忘れられません。
今春、長崎県美術館を訪ねました。文化になじまない指定管理者制度を、誰が考えたのでしょうね。
お久しぶりです。こちらを見ていただいたんですか、嬉しいです。
いかがお過ごしでしょう、メールででも近況をお知らせください。
指定管理者制度、あれには参りました。あのころ長崎市の委員会でいろいろ話をしていたのですけど、ある日突然に市役所から、指定管理者制度を受け入れなければならなくなったからって全部白紙になりました。それまで市の方針を市のいろいろなパンフにも作っていたのですけど、あれみんなどうなったのでしょうね。
おまけに、県や市の施設も指定管理者を募集しても誰も応募がなかったりするのが多発したりして、私にもなんどかやってくださいよって話が来てました。東京からリモコンで長崎の管理者になれるわけないってお断りしましたけど。
その辺、当時の日記に顛末を書いていますけど、「芸術・文化」のカテゴリーを読んでいただいたのかな?
東京目線で全てが決まるっていう政府のやり方にはあの時代は本気で腹を立ててました。